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占領軍の性犯罪に被占領国はどう対処しましょうか

94ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2003/11/04(火) 01:14
(続き)

江戸はその初期においては(もちろん後期も)「将軍の起居する軍事都市」として開かれています。
江戸城は「城塞」であって軍事基地ですからね。名目上。
そして、参勤交代によって全国からやってくる大名とその配下の武士達というのは、「多国籍駐留軍の兵士」なわけです。
駐留軍は1〜2年で交替していきますが、それでも「生理的欲求の解消と、コミュニケーションの欲求の解消という需要」はあった。そういう需要に応えるための「商売」も制度としても文化としての成長していた。
軍事都市(軍隊が駐留する都市)と遊女の関係は、こんなところにルーツがあると見てよいでしょうね。
もちろん、江戸は諸国大名によって「占領」されていたわけではありません(^^;)が、吉原/新吉原については「管理監督」はしているけど、その運営は基本的に官はタッチしない、という方針だったハズ。(資料を読み返すのが面倒なんでご勘弁を)

戦前の日本というのは、「江戸幕府を倒した薩長軍による明治新政府体制」なわけですから、文化的にはそのへんの感覚と洋行組の輸入した概念のミックスです。
洋行組が海外から持ち帰った概念は、政府や行政、公衆感覚など社会の設計には大いに影響を与えているわけですが(女性がそのへんの道ばたで立ち小便をしなくなったのも、銭湯が男湯と女湯に分かれたのも、この時代です(笑))、「シモ」に関わる問題についてはそれ以前からの文化が多く引き継がれてるみたいです。
先にも名前が出た「木戸孝允」など明治を築いたのエライ人(^^;)は、田舎侍出身が多かったですから、「情報戦」に役立ち、なおかつ聡明で美人だった当時の高級娼婦を妻に取るというのが、ひとつのステータスにもなっていた。
その慣習もあってか、「戦場・軍人・娼婦」というのは違和感なく繋がっていますし、娼婦を乱暴に扱うのは田舎者がすること、みたいな文化があったみたいです。

このように考えていくと、「戦地で現地女性を強姦させないために、自前で慰安所を持つ」「慰安婦の地位と【価値】を明確にすることで、慰安婦を保護する」ということを、戦前までの日本は「すでにやっていた」ということになります。

このスレでは「占領軍の手弁当」は論じないことになっていますので、このへんにしときますが(^^;)、その制度は「現地への影響」や「慰安婦の保護」を考えれば、あながち間違ってもいなかった、ということが朧気ながら見えてくると思いますよ。

「娼婦は可哀相」という概念を生み出したのは、正に「戦後の日本人」ですから。




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