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占領軍の性犯罪に被占領国はどう対処しましょうか

626ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2003/12/24(水) 01:04
>>621
>世間体にも金にも支配されない自己決定を尊重すべき

それはムリってものです。
偏見や明日からの飯の種の心配から完全に解放された自己決定というのは、言い換えれば「ヤケのやんぱちになって、他人の都合を一切無視し、やりたい放題をやる……そういう自分を尊重する」ということですよ?

我々は、たった一人で生きていくことはできません。
魚が食べたければ、(少なくとも日常的に釣りが出来るのでない限り)漁師、市場、仲買、小売りの魚屋の手を介し、その手間に対する料金を払わなければ食べることはできません。
ゴミを捨てたいとき、(少なくとも日常的にゴミ最終処理場に住んでいるのでない限り)回収、機会分別、焼却、埋設などの手間がかかりますし、その手間に対する料金(回収料だったり、行政への税金支払いだったり)を支払わなければ、ゴミを捨てることもできません。
世間体にも金にも支配されずに、捨てたいときに勝手にゴミを捨ててもいいのか、と言われればそうじゃないでしょ?
世間体というのは、これに盲従するのも問題あるでしょうけれども、「個人の暴走」「権利要求が青天井になること」をくい止め、「一人では生きていけない、大勢で共有する社会」を円滑にするためのものでもあるわけで。

「世間体にも金にも支配されない自己決定」というのは、また別の言い方に言い換えるなら、「内心の自由」というヤツではありますね。
心の中で「そうはいっても、俺は絶対にこうするぞ」または「何をされたって、私はそれをするもんか」と思うのは自由ですし、思うことを止めることはできません。
が、思うことと、実際にそうすることは「別」でしょ?
内心の自由が、他の全てに対して優先できるかと言えば、理想がそうであっても現実には不可能。

三毛猫ナナ氏は理想のお花畑の住人のようですから、現実を拒否して理想に従うことを提唱しておられるようですけれども、現実の我々にはそんな生活は不可能です。
共同体に所属している一員であるという自覚が薄い人は、共同体からの恩恵を過剰に軽視し、個人が過剰に低いように考えがちです。それは仕方のないことでしょう。
しかし、共同体というのを形作っているのはその一員である自分たちです。そこから得られる恩恵をもう少し重視していけば、個人の権利を主張することを優先と考えすぎることは、人間の社会と「たった一人の、誰とも接触しない個人」にまで細かく分割してしまうことになってしまうことにお気づきになるかと思います。

我々は、「個人的欲求」と「共同体の維持」の双方に折り合いを付けなければ生きていけない生き物です。
人間は社会的行動を取る生き物だ、人類は個人ではなく社会という「群体生物」だ(軍隊生物じゃないですよ(^^;))、という説もあります。
個人の意識や意志が全体に影響を与えることももちろんありましょうが、それが全てではありません。

もし、「個人の無限の尊重」が、社会・共同体の維持を上回るとお考えであるのだとしたら、それは公共の福祉をあまりにも蔑ろにしすぎている(視野が狭すぎる)としか言い様がなくなってしまいます。
オトナになれ、などという失礼な言い方をするつもりはありません。
しかしながら、「アイデンティティを追求し、自分が自分であることを追い求めすぎる(法律から哲学に進む人って、必ずそういうハシカにかかるそうですが)」ことは、「自分がいる場所、自分の存在を否定しない環境」を軽視することにも繋がりかねません。

私の好きな言葉は共存共栄です。排除の理論を振りかざすヤツが何を言う、と言われそうですが、異なる立場・意見の方との間に、少しでも「共通の話」「共有できる考え」を探すことができればいい、とも思っています。

「自分は共同体の維持への協力を否定する」「そのくせ共同体の維持のための理論は【排除の論理】呼ばわり」「他人の意見など耳を貸す必要はない」「と言いながら、対話によって平和をもたらすことが可能だと言う」
矛盾の多い猫氏のような方の話から、共有できる点をつまみ上げるのはなかなか骨が折れますが、なんとか「合意できる点」を少しでも増やしたいものです。




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