したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

占領軍の性犯罪に被占領国はどう対処しましょうか

1スライムベス:2003/10/30(木) 22:19
今まで出ているのは

1.慰安婦(対価を払って募集するか、抽選で決めるか)
2.セックスボランティアの募集。
3.徹底的な取り締まりと厳罰主義(断固戦う)。

くらいでしょうか。
どなたか他に案があれば出してください。

199ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2003/11/15(土) 15:55
というわけで、ご無沙汰していたレスの続きから。遅くなりましてすみません。

>>189
>売買春によって生まれた娼婦の子供を偏見なく受け容れる世界はある?

過去にはあったみたいですよ。
これは、「売買春」の定義や、「娼婦の社会的地位」にもよると思うので、一概には言えませんが。
「売買春」及びそれに従事する職人/職業人としての「娼婦」の地位が低く設定されるようになったのは、キリスト教あたりの一神教の蔓延に伴う一種の信仰なのでは、と思われます。

売買春は、「貨幣かそれに類する兌換通貨の流通」があって、そこで初めて「春を売る」という認識がされる、というのは武蔵氏の説だったかと思います。
もっとも、「物々交換の時代」であっても、交換する「商品」として自分(または自分の保有する女性の)身体を売る(奴隷的なものから、サービスのみに至るまで)はあり得るので、売買春はもっと古くからあった、というのが私の見解です。
で、売買春というものの性格と需要は、あらゆる階層に対して存在しただろう、と。高貴な身分であろうと、低所得層であろうと。なにせ、人間の身体が欲する本能を埋める商売ですので。
だとすると、高貴な層向けの「娼婦(高級娼婦)」や低層向け娼婦など、さまざまな形態の娼婦が存在し得た。
とすると、「売買春=卑しい」「娼婦=卑しい」が、必ずしも繋がらなくなってくる。
そうすると、「売買春=娼婦」の子供にも「卑しい子供」という認識が付いてこないケースが多々ある、と。

ただしこれは「過去にそういう時代があった」「そういうケースもあった」が、現代人の多くはそう思ってはいないのかもしれない、という結論に繋げることもできてしまいます。
売買春、娼婦が「卑しい」と思われているから、その子供も汚らわしいと思われるわけでして、売買春、娼婦に対して偏見がないか少ない地域・環境では、もちろん子供にはその偏見も繋がっていかない、と。

>純潔・貞操の観念
その観念は、確かに家父長制の中で育ったものかもしれません。もっと言うと、「(財産・名誉・地位の継承者である)嫡子の重要性」が強く認識される社会では、より「誰の子か?」が重視されるのでは?
逆に言えば、「財産・名誉・地位」の継承と無縁な世界では、その子供が誰の子供か? というのは、あまり重要ではなかった、といえますね。

200ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2003/11/15(土) 16:03
>>189 の続き

私が売春の合法化に賛成なのは、
「金銭授受に相当するサービスを行ったのであれば、そのサービス内容に応じた金銭を受け取ることで契約が成立する。契約の成立に足るサービスであったことの証明として金銭は払われるべき(金銭を払うことで、商売であることを確立すべき)」
「金銭授受を含む商売であることを確立することで、いわれなき【淫乱】の汚名を削ぐべき」
「金銭授受を含む商売であることを確立することで、他の商売と同様の社会保障(もちろん義務も負う)を受けられるようにすべき」
と考えているからです。

違法行為であるが故に徴税などの義務から逃れている私娼もいますが、義務から逃れることによって保障を得られないのだとすると、目先の得のために長期的な得を捨てていることになります。だから合法化することは、長い目で見れば商売に従事する職業人としての売春婦/娼婦の生活を保護することにもなります。
また、娼婦に対する蔑視の原因には、〈金をもらって〉の部分よりも、〈不特定多数の男と〉の部分のほうが大きいのでは、と。つまり、「娼婦=好んで不特定多数の男とsexする(ことを誰からも差し止められない)淫乱女」という認識が、「そんな淫乱は不幸になるがいい!」という(保守層に留まる女性からの)報復意識を含んだ蔑視に繋がっているのでは、と。
もちろん、「好きでやってる人」もいないわけではないでしょうから、それについては全てがそうとは言いませんが、他の全ての商売がそうであるように「お金をもらう」ことで、「金をもらっているからできる商売」に留めることができるようになる(その職業に従事している人が、自分の中の不満を抑止するために、金銭授受という事実が必要)ということで。

と、今の説明にも少し出てきましたが、売買春及び娼婦に対する態度としては、
1)淫乱(欲望/性欲を制御できない=娼婦)という決めつけと蔑視 【娼婦の自由さに対する妬み】
2)汚らわしい(複数の異性の陵辱)行為を受けている事実から、娼婦と対峙する異性に対する嫌悪感を、それを受け止める娼婦に対して抱く 【娼婦に行われている行為への生理的嫌悪を、娼婦に投射】
3)不純である(性行為は聖なるもの、高潔なものでなければならないという【信仰】に対する違反として、不特定多数との行為、または行為に対する代償の請求を不徳な行為と見る) 【sexの宗教的神聖視から来る、違反者への懲罰】
あたりが根底にあるのでは、と思われます。

とすると、この(1〜3)に寛容な社会では、娼婦そのものが賤しいとはいえず、「娼婦という不潔」に対する絶対性もないため、やはり「その子供が……」とはなりにくいようです。
この(1〜3)は、社会が保守的(財産・地位があり、それを継承させる必要があり、血統の純血性が重用視され、子供の父親が誰か、家がどこかをはっきさせないといけない社会)で、より重視される要素でしょうね。

娼婦については、「娼婦といういやらしい職業から解放すべき」という考え方の人と、「娼婦という職業が当たり前の職業として認識されるべき」という考えの、二系統の「救済」があるようですが、需要を抹消することができない以上、職業(サービスの提供者)としての供給者がなくなることはあり得ないわけです。
そう考えれば、「娼婦をしなくていいように、売春を消滅させよう」とか「娼婦の苦しみを、他の全ての人が共有しよう」とかよりも、「娼婦という職業が当たり前のものになるようにしよう」のほうが、遙かに建設的……と、そう考えるが故に、私は売買春合法化に賛成なんです。

201ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2003/11/15(土) 16:17
>>189
そんなわけで、少し答えとしては脱線してしまっているかもしれません。
「聞きたいのはそれじゃないよ」という場合は、改めてご質問ください。すみません。

>>190-191
サービス業の是非を問う問題でもあるんですよね。
例えば、今流行のリラクゼーション。マッサージなどですね。私は腰痛持ちなのでよく利用するのですが、高級なマッサージ椅子よりも専門のマッサージ師による治癒のほうが遙かに気持ちいいし、効果があります。
これは、海兵之月女史の言に乗せれば、「人間をマッサージごとき道具に利用する」、ということになってしまいますが、そういう人はいませんよね。
肉体を用いたサービス業として、マッサージは許されるのに、娼婦が許されないのはなぜ? と考えたとき、「女性を道具として利用することはよくないから」というのは、理由として十分な説得力を持たないのでは、と思いました。

ま、仮に100歩譲って「肉体を駆使したサービス」を行うのが娼婦/売春婦だとしましょう。で、それが十分に高級かつ高等な、金銭を支払う価値があるサービスが成され、それに「価値がある」と考えられているから、売買春という商売は成立するんですよね。
「穴が付いてりゃ誰でもよくて、穴に出すだけなら道具でも人でも変わらない」という程度のものだったら、それこそ右手で十分です。そうではないからこそ対価を取る資格と価値があるということですよね。売春婦を職業者と認めている人の認識、というのは。

海兵之月女史が売買春に反対される理由(根拠)については、
「女性が可哀相」→「可哀相なのは、(強制された)売買春だから」→「売買春は汚らわしい行為である」→「汚らわしい売買春は人格の否定である」
という連想からなのかな、と思いますが違いますか?
海兵之月女史の連想について別に否定はしませんが、その考えの根拠と連想の経緯の把握が間違っていなければ、海兵之月女史の主張についてはもう十分納得できました。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板