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反戦議論のための本棚〜最近の購入本/読了本は?
38
:
末丁伽
:2003/10/05(日) 13:40
結論
聖書を読めば、ある場合は絶対(どんな場合も)に戦争せよと言われ、ある場合は絶対に戦うなと言われる。絶対とはどんな時でもどんな場合でもどんな相手でもということであるから、どんな時でもどんな場合でもどんな相手でも戦争をしてはいけないというのは、神の教えではない。戦争を命じている個所があるからである。無抵抗主義も時と場合と相手による。どんな時でもどんな場合でもどんな相手でも戦争をしろというのも神のものではない。どんなの、どんなが違う。神が命じられると、戦争であれ、戦争をしないのであれ、命じられた通りすべきなのである。そもそも絶対なのは神とその言葉だけであって、「戦争の是非」が絶対なのではないのである
どんな時でもどんな場合でもどんな相手でも戦争をしてはいけないというのは、誤りなのである。
日本に巣くうオロチは、平和念仏教でもって、さも“日本を救うか”と思わせる。それは60年前の世界大戦でも唱導されていたものであって、300万人以上の死者を出す戦争になった結果をしても止められない狂信と化している。大蛇(おろち)(愚かな智恵)に憑かれたとしか思えない。
アリは、有事に備えなかったキリギリスが死ぬのを待ち、死ぬと食べた。同様にアメリカは、平和念仏を唱えて、本気で「有事に備えようとしない日本」を食べようと虎視眈々と狙っているに違いない。
※ 注1
戦争の原因について個人レベルの問題や結果だけを探求していたのでは、本質を見失う。特定の個人や民族や宗教や秘密結社やテロ組織を槍玉にあげても解決にならない」なぜそ
ういう原因を作り出した連中や国々が生まれたのか――そこまで探ぐらなければ、真の問題解決にならない。戦争は人間の本性に根ざすもので、(本書全体で述べているように)
軍隊のような機能集団が家族のような共同体化する習性の為せるものと考える。逆に家庭のような共同体が官僚のような機能集団と化することでも起きる。
※ 注2
人生は苛烈な闘争であろう。その闘争の終わる時が、人生の終わりであろう。働くということはライバルとの競争であり、問題の解決はそれを阻もうとする相手との闘いであろう。健康な時は外との闘い、病気になれば、身体の内にひそむばい菌やウイルスとの闘いであろう。精神的に病むものが多い。その多くはストレスが原因だけではないようだ。
闘いの相手を無くしたための無気力や生きるにすべて保障されたゆえに「何も心配がない」という結果生まれたとしか考えられない、憂鬱から来るのだと思われる鬱病がある。これは心の糖尿病ではないかと思う。
闘争相手や問題を外部に持たないものは、心の内に闘う相手や問題を創るということなのだろう。日本という平和な世の中では、心の中で戦争している多くの人が増えている。
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転載終了
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