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反戦議論のための本棚〜最近の購入本/読了本は?

35末丁伽:2003/10/05(日) 13:39
〜続き〜
ところが日本では、宗教は命に等しいほどのものでもない。あるいは、それ以上の「命を捨ててでも守るべきほどのもの」ではない。生きる目的ではなく、それに至る手段の一つであるか、本音ではなく、建前なのだからである。
それだから日本人には、宗教のゆえに戦争までする民族や連中の気が知れないのである。
それに西欧社会では、人間の繋がりを宗教に求める。人間の連帯は宗教にある。だから、宗教により人を判断する。宗教が違えば、考えも習慣の生き方も違うからである。(日本人場合は、生まれ故郷や学歴で判断する。宗教や宗旨の相違で人がまとまったり、離れたりする訳ではない。)そんなわけで、戦争が起きた時、原因を宗教のように考えてしまう。
プロテスタントの信徒とカソリック教徒が戦争しはじめたと聞けば、それは宗教上の対立が原因のように考えてしまう。諸外国では、人間集団を区別する時はたいてい宗教で判断する。しかし当の人間は普通、他人が考えるほどには、宗教上の違いなど問題にしていない。関心は銭金(ぜにかね)なのだ。即ち争いの多くは、貧富の差という経済的な対立が原因である。
木谷勤教授は「世界の歴史8」〈中央文庫〉という本で、千万人以上の人命を奪いドイツを以後、二百年も低迷させた典型的な宗教戦争である三十年戦争について、次のように述べる。
「三十年戦争は表面、宗教戦争でありながら、その実、最も露骨な現世的利益の戦いであった。だれもが信仰のためといいながら、じつはだれもが領土、金、権勢を求めていることは、もうどんなぼんやり者の目にもかくせなかった。中世以来、君主の行動をいつも正当化してきた宗教や道徳の鍍金は、君主自身の行動によって完全に削がれ、物質的利益という地金が赤裸々に露(あら)われ出たわけである。―――こうして一七世紀にヨーロッパの国際政治は、信仰の違いや善悪ではなく、もっぱら現実的利益によって行動する国家群によって動かされるようになった」28P
古代から中世と、ローマ人やゲルマン人たちがキリスト教を受け入れたといっても、それがそれまでの原始宗教とどこが違うのか、分かるはずもない。そういう風だから、信仰や宗旨を変えても、宗教改革が起こったとしても、それまでの考えも生活も習慣も以前とそんなに変わるわけもない。だから建前で宗教的真理や正義が主張されても、本音や本心でそのための戦いなんてだれも考えはしない。
 日本人は個人や英雄のスキャンダルがとても好きである。木は見えても森が見えない。戦争はそういう個人の事柄より民族や国民全体の集団心理、集団の性向が問題なのである。 そうなると英雄や偉人という個人が戦争を導いたと当然、思う。
しかし、王も将軍も祭司も宗教も、その民族や集団のシンボルで、神輿に乗せられた操り人形でしかないという事が多い。そうなれば、王や将軍が民や国を戦争に導いたというより、民や国が王や将軍を戦争に駆り立ていったのである。そうなれば戦争が民や国をつくり、戦争自体が戦争を作っていったのではないか。また宗教が、民や国を戦争に導いたというより、戦争が民や国を作り、その国、民が、宗教を作っていった、――と私は普通の反対を考える。


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