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反戦議論のための本棚〜最近の購入本/読了本は?
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:
末丁伽
:2003/10/05(日) 13:36
絶対的平和主義者がいるとすれば
事の真実を知る一つの方法にその考えを徹底的に追求するという手がある。平和を考えるには平和を、戦争を考えるには戦争を極端まで探求するのである。すると、今まで見えなかった真理が見えて来る。見えないものが見えて来る。
もし絶対的平和主義者がいるとすれば、そのひとは大変な軽率な政策論をもたざるをえない。いかなる事態となろうとも戦いや戦争を回避するということは、他人や他国のどんなヒドイ仕打ちでも不合理な要求でも、最終的には受諾するということ、あるいは人間の尊厳を否定することに繋がる。即ち無抵抗は、自分の信念や正義、モラルを蹂躙されてもかまわないという意味なのである。
またこれは、目の前で自分の子供が殺されても、自分の命さえあれば良いと平然と見過ごすようなものである。人間としての道を踏み外しても生きのびたいのか、基本的人権をないがしろにされてでも、奴隷にされてでもかまわないと思うしかない。
普通、人が生きていれば、“人間らしく生きるためには戦うしかない”と言う厳しい現実に直面するものである。
絶対に戦争をしないというのなら、初期の段階から国益をあまりに強く主張しないという政策をとらざるをえない。自国の主張はほどほどにし、国益が損なわれることがあっても、ほどほどの抵抗にとどめ、外国からの強い圧力には、つねに屈する覚悟がないとつとまらない。
中立とは本来相対的なものであって、相手あってのことである。
人類社会はつねに過程のことである。最終的な桃源郷しか考えない人には参る。
何が何でも平和第一で武器の類は一切持たない等と言えるというのであれば、事が今だに関係当事国間で「死活の問題となっていない」のだ。その良い例が野党時代の社会党である。政権につくや否や、それまでの平和憲法死守、非武装中立の路線を返上して、武装やむなしに豹変する。政策の責任者として現実を考えると、理想論や観念論など通用しないと気付くのである。
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