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反戦議論のための本棚〜最近の購入本/読了本は?

26末丁伽:2003/10/05(日) 13:35
平行主義と念力主義

ひとりひとりの個人がよい人になれば、社会もよい社会になる。ひとりひとりが富むことが、国が富むことである。個人に関して成立する命題が社会全体に関しても成立するという考え方を個人と社会との並行主義(パラレリズム)という。
これを平和についての命題としてあらわせば、「国民のひとりひとりが平和をねがえば、国家も平和をねがうことになり、国際社会も平和をねがうようになる」ということになり、さらにこのパラレリズムが「ねがうことはかなえるることなり」式の念力主義に結び付くと、ひとりひとりが平和をねがえば、かならず世界に平和がもたらされるということになる。
ところが過去の歴史が証明しているように、誰もが平和を心から願ったのに、戦争になったという皮肉が多々有る。即ち「戦争はいやだ。心から平和を欲するーー」なんていくら言ってみたところで、その舌の根もかわらぬうちに戦争がぼっ発して来る。
こういう考えの他に、今はなんとなくうまくいっているのだから、現状でよいに決まっているとして、理論的に考えることを、いっさいやめてしまう人たちである。
現状は平和である、その日本には、平和憲法がある。だから、平和なのだ。ゆえに、この憲法は死んでも守らねばならない、なんてことになる。非常に奇妙な理屈であるので、反論する者も多い。
日本の戦後の平和は、憲法によって守られたわけではないということを説明するのに井沢元彦はこういう例を出す。
戦後半世紀にわたって一度も強盗に襲われたことがない銀行があったとしよう。
 「なぜ一度も襲われなかったのか?」こんな問いに対して、頭取が「ウチの銀行に」は、絶対に武力では物事を解決しないという社則があり、みんながそれを守っているからです」と答えたら、どうか?
 誰もが、この人は頭が少しおかしいと思うだろう。銀行が襲われなかったとしたら、それはたまたま運がよかったか、それとも警備システムが優れていたか、のどちらかで、「平和主義の社則を守ったから」ということは有り得ない。
「日本国憲法によって戦後の平和は保たれた」というのも、結局これと同じ主張なのである。私は日本の戦後平和は、 安保(日米安全保障条約)と自衛隊という「優れた警備システム」があったからこそ保たれたのだと思う。しかし、「進歩的文化人」をはじめとして日本には「戦後平和は憲法のおかげ」という理屈に合わないことを主張する人々が、まだまだたくさんいる。
どうして、そうなのか。
もう、おわかりだろう。コトダマである。
コトダマの世界では、「平和、平和」と「一億が火の玉」になって念じていれば即「平和」になるのである。つまり「平和憲法」というものがコトダマ信仰の対象になってしまっているからである。         
逆説の日本史3小学館発行294と295p


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