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反戦議論のための本棚〜最近の購入本/読了本は?

22末丁伽:2003/10/05(日) 13:34
神は「主義」が大嫌い

平和を作り出す人はさいわいである。かれらは神の子と呼ばれるであろう。
マタイ福音書5章9節
こういう平和を説かれるイエスの言葉が好きで、この信仰を持つ者も多いようだ。そうなればなお更、イエスは「どんな時にも武器を取らない絶対的な平和主義者だ。聖書全巻むろん平和を説いている」と、思う者も多い。しかし果たしてそうだろうか。
  剣をとるものはみな、剣で滅びる。マタイ26章52節
これらはイエスの言葉だ。しかし、イエスの弟子らは剣を捨てたわけではなかった。キリストの信徒にも多くの兵隊(マタイ福音書8章13節、使徒行伝10章他)がいた、彼らは軍隊を辞したわけではない。戦争の際、命じられた戦闘を拒否したはずもない。
それぞれが、自分の主義や考えに合う聖書の言葉の個所だけ取り上げ、自説の正しさをその根拠に使う。ところが聖書は、時には絶対平和であり、時には「絶対戦争、みな殺せ」とあるように、どの説も正しいとはしていない。要するに、神は「主義」というのが嫌いなのだ。善悪を知る木――これは神の言葉自体を絶対化する愚をいう。「神が絶対」なのであって「神の言葉が絶対」なのではない。神の言葉を神の様に絶対視して、これが一人歩きするなら、誤りだというのである。
善とは、神に従うことである。悪とは、神に逆らうことである。神に従う。それが善の本質のすべてである。逆に、神に従わない。これが、悪のすべてである。
だから、「神に従った殺人」も戦争も善で、「神に従わない」で、人を生かすのも戦争をしないのも「悪」なのである。かように、神に従うか、神に従わないかという一点に、事のすべては、尽きる(サムエル記上15章参考)。


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