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在日朝鮮人の立場って?
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(続き)
1942年、、「日系アメリカ人市民協会(JACL)」は各収容所から代表を集め、徴兵義務の復活を主張した。
もちろん、自分たちを追い込んだ国のために命までささげることに対し、大きな躊躇を感じたものは多かったが、
最終的にはこれに合意しました。
1943年、1月下旬、軍部は二世からなる部隊を再編することを決定。そして、18歳以上の男子に質問表を
用意しました。このとき「出所許可申請書」が問題を招いたのである。
詳細は省きますが、これは合衆国に全面的な忠誠を誓わせるものであり、日本に対して忠誠を放棄することを
誓約させるものでした。
忠誠登録を経て兵役を志願し実際兵役につけたのは僅か815名でした。これにハワイからの日系兵を合わせて
第四四二連隊戦闘部隊が結成。
彼らは、激戦地であったイタリア戦線に派遣され、ドイツ軍と戦いました。そのころ、テキサスの歩兵部隊が
ドイツ軍の猛攻を受け、全滅に近い大打撃を受け、孤立無援の状態に陥っています。
新聞では「ロースト・バタリオン」(失われた部隊)と報道されたほどでした。このときこの部隊を救おうと、
信じがたい奇跡的な戦いぶりを見せたのがこの四四二連隊戦闘部隊であり、多くの犠牲者を出しながらも、
このテキサス部隊の救出に成功。イタリアドイツ降伏にいたるまでに,10000名近い死傷者を出しながら
輝かしい功勲績を立て、ものの見事にアメリカへの忠誠を証明して見せたのです。
また、陸軍は対日戦争に備えて、情報機関語学校を作っていました。いわゆる、日本語通訳や翻訳兵の
育成機関である。46年に閉鎖されるまで、約6000名が卒業していきました。このうち、3700名が
太平洋戦線に従軍、「二世語学校のおかげで、太平洋戦争は少なくとも2年は短縮された」といわれるほど、
貢献した。
結局、第二次世界大戦に従軍した日系人のその比類なき忠誠心と、勇猛果敢なる行為が、
その後のアメリカ人の、日系人に対する感情を変え、結果的に日系人の社会復帰に大いに貢献したのです。
しかし、それは多大なる犠牲を払うものでした。
強制収容所の非人道性は問題にされており、WWIIという時代背景と、アメリカ人の単純馬鹿とも言える世論を
考慮しても、民主主義の総本山アメリカでさえ、実際に血を流すまでしなければいけなかったという事実。
たとえ帰化先国で生まれ日本にいったこともなく、実際に帰化した人々でもその事実を周囲に認めさせるのは
大変なことなのです。
武蔵氏のように「日本で生まれ、日本に基盤もあるから韓国朝鮮のことなんか考えるわけ無いからいいじゃない、
と無条件で周囲が認めると考える」というのはいささか想像力の無い意見なのではないかなぁと思ってしまいます。
長文すみません。
(以上)
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