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135
:
ぼーん
:2003/08/16(土) 11:22
>>129
部分レスで申し訳ないですが。
> 例えば、ホ−ムレスの話が出てるけど、ホ−ムレスが重病になったら、福祉のお金で治療を受ける事が出来る、この治療費は税金から出ているわけです。
> なかには、ホ−ムレスなんて落伍者なんだから勝ってに死ね、なんであんなヤツラに金ださなきゃいねえんだ、と思う人もいるでしょう、
> けれど、そういう人も、ホ−ムレスの治療費は税金と言う形で分担しているわけです。
これはそう簡単にはいえません。
私たちは、たまたま今あるような経済システムを持っており、
その経済システムを通じた分配によれば、たまたま今あるような所得がそれぞれの手元に届けられる。
それは、いちいち「たまたまそうなっているだけ」という性質のものです。
税金を払うという行為は、一般には「私のものを拠出する」という風に意識されていると思いますが、
ここでの「私のもの」という概念の中身は検討の必要があります。
「今の社会のルールに基づいてたまたま私のものとして仮に割り当てられたもの」という意味以上の意味は
付与しようがないと思います。私有の根拠を問うていくと、これまた証明できない前提にたどりつきます。
一般には、ロックの言うような「私の身体を用いて生み出したもの、最初に摂取した無主物」は私のもの、
といったものが私的所有の根拠とされてますが、この根拠自体には、根拠はありません。
だから、「別に、その人の身体を用いて生み出したものの、半分だけがその人のもの」といっても、間違いではない。
全部その人のものにするか、半分だけにするか、あるいはもっと別な決め方か、そうした諸々の物の「分け方」については、
どれが正しい、という証明はできません。だから、ある人が、「これは元々俺の物だから」と言うとき、そのことの究極的な根拠はありません。
そのことはまず確認しておく必要があります。
さらに、現代のような複雑な経済社会においては、「何が私の身体を用いて生み出したものか」は割りと
はっきり分かるとしても、「そのうちどれくらいが私のものか」ということを決めることは非常に困難なのです。
たとえば、1つの会社がある製品を生み出して商売しているときに、その営業担当、広報担当、開発担当、
生産ラインの労働者、一人一人は、いったいどれだけの取り分を権利として主張できるのか?
これを考えると、私たちの所得の決まり方というのも、規範的な意味においては、「どんぶり勘定」でしかありません。
# もちろん、実際の取り分は、それぞれの労働者の労働市場における希少価値によってある程度決まっている。とはいえます。
しかし、「市場においてどのように取り分が決まるか」という記述的命題から、「どのように分配されるべきか」という規範的命題を
引き出すことはできません。
「なんであんな奴らに「俺の」金をださなきゃけねえんだ」と言うならば、
「それは、もともとそんな根拠なんてないからだよ」と、とりあえず言えば言えます。
それだけで話は終わらないですけどね。まずは出発点として確認しておくべきことではあります。
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