反乱の気配が暫く前から感じ取られ、サボタージュの形で動き出したが、それまで書籍を発送する手間のお礼に、私は2000円を支払ってきたのに、3000円に値上げしないと赤字だから、発送の仕事は出来ないと通告された。
医師は兆候で病状を読み取るので、これは危険な症状だと思ったが、ポロンタリー行為に赤字の概念は奇妙でも、本の発送の中止は困ると思い、それでは値上げでやって下さいと返事した。
そうした時に福島原発が爆破して、放射能汚染が始まったことが原因で、避難のために疎開する話になった。
それから後は皆が経過を知る通りで、些細な言葉遣いの齟齬をきっかけにして、反乱の言動が挑戦の形で現れたが、本を引き取れと言う最後通牒は、受けて立つには余りにも幼稚すぎた。
本当は相手の欠陥と愚劣さを指摘して、思い上がりを叩くことも考えたが、それでは相手のレベルに降りなければならず、「愚者と喧嘩すれば馬鹿になる」というゲーテの言葉を思い出し、適当にたしなめるだけで済ますことにした。
だから、思いあがりを叩くために考えた、
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亀よ、信頼を裏切って、血圧が285の人間に最後通牒を突きつけることが、そんなに嬉しいか。悪魔よ、消え失せろ。
(註:小悪魔は窃盗や横領のレベル。大悪魔はナチス流侵略や亡国を伴うこの世の地獄)
「ヌスット ダケダケシイ」という電文が届いたら、読者たちからだと心得よ。
門出に「朽木不可雕也、糞土之牆、不可朽也」と「腐木は柱にするな」という訳文を贈る。
藤原肇
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という文章は書かずに、最後の段階までお蔵にしまったのである。
『論語』の「公治長」にあるこの有名な言葉は、誰かの英訳文を引用すれば、
Zai Yu took a nap without learning during the daytime. Confucius said, “We cannot carve on a rotten wood. We cannot make a mud wall with rotten mud. How can I discipline Zai Yu?
I believed in their acts by hearing their word at first. Now I watch their acts by hearing their word. Zai Yu’s acts taught me this thing.”
ということになるらしい。
ファイサル国王は国民が欲しいと思ったが、遊牧民は季節によって移動しており、イェーメンやイラクの間には国境はないも同然。そこで遊牧民を定着させるためには、どうしても水が必要だということで、アラビア半島の国土改造計画が動き出し、それを世界一の水のシンクタンクに発注した。それにしても不思議な因縁だというか、学位を取った私は詳細を知らない状態で、シンクタンクで社会人の第一歩を踏み出し、サウジに派遣されたことによって、「アラビアのロレンス」と関係を持つという、奇妙な体験を味わうことになった。
アラビア半島を七つの地区に区分してから、井戸を掘ったり用水工事をしたりして、大規模な国土改造計画が動き出した。ある時リャドの400キロほど北西の地点で、素晴らしい飲料水を掘り当てたので、当時では世界最大の口径のパイプラインを敷き、首都に送水する計画の提案になった。ところが、あれだけ名君の誉れの高いファイサル国王が、「われわれにはアッラーの加護がある。首都の地下から水を汲み出せば、パイプラインは無用だ」と言ったので、担当責任者はアッラーの尊厳にひれ伏し、ビジネスとして王命を無条件で引き受け、「Riyadh Deep Well Project」が発足し、数年にわたり井戸を掘り続けていた。
だが、地質学的には不可能な事業計画であり、帯水層の砂岩は首都の地下には発達せず、出てくるのは硫黄や石油混じりの温泉で、とても飲料用には適さないものだったから、担当者は困惑の中で持て余していた。そうした複雑な事情まで知らされなかった私は、フランスが誇るシンクタンクから、現場主任という肩書を与えられて有頂天になり、サウジの国土開発計画にのめり込んだのは、若気の至りというべき事かも知れない。「若い時の苦労は買ってもやれ」というが、学位を取るまで商社の資源コンサルタントをして、アフリカでの資源開発の仕事で嫌な体験したせいもある。そこで、諜報絡みの世界から縁が切れたと思い、地質のプロとして実直な人生を始めて、爽やかな気持で新しい仕事に臨んだことが、リャドでの油断の原因になったにしろ、人生は何が「塞翁が馬」になるか分からないものだ。
私の読者には二、二六事件の関係者が多く、彼らから歴史の真相を学ぶ目的のために、不思議な形で付き合いが続いてきた。国家主義を信じている者もいれば、愛国主義者の栗原さんのように、天皇を敬愛する人も混在するが、読者層が多様であるのは悪いと思わない。中江兆民は頭山満と親しかったが、信条が違っても人格として交友関係は成り立ち、大人同士の人間的なつき合いなら、他人がとやかく言うことではない。
だから、栗原さんが皇室の家系図のコピーを示し、この人たちに献辞とサインをして欲しいと言った時に、確か『理は利よりも強し』だったが、私は本の内容から考え喜んで署名した。また、皇室との関係のことで驚いたのは、英文で「ホロコスミックス論」を書いた時だ。「HOLOCOSMICS : Beyond the new horizon of an unified theory in the Meta-Sciences」の記事が掲載されている、「Bulletin of International Earth Environment University, IEEU」の Volume 21, January 2000 issueに、献辞と署名をした後で栗原さんが、わざわざ東宮に届けたことがあった。
皇太子が「もう読んでいます」と答えたと、栗原さんが報告した時に仰天して、皇室の持つ情報網の凄さに私は驚き、外務省とは雲泥の差であると思った。
それに彼がもたらす公安情報の正確さは、現役の警察官僚の読者のものよりも、はるかに的確で核心を突いていた。しかも、裏経済の実情や人脈に関しての情報も、新聞記者には真似できない凄さがあった。そのお陰で外国の記者を相手に、カマをかけ誘導する時の武器として、栗原情報は予想外なほど役に立った。ニュース・ソースが誰かを明らかにすれば、それは裏切り行為として許されないし、背信行為は信用を損なってしまうが、この程度なら栗原さんも許すと思う。だから、既に時効になった昔の話だから、もう一つだけゲームの秘手を明らかにする。
歴史の学徒として証言を記録したのだが、匿名記事の形で書いた記事の中には、高松守保の名前で書いたものがあり、栗原さんとの会話からヒントを得て、エピソードに織り込んだケースもある。その情報が内容的に凄かったので、高松守保とは誰かと取り沙汰され、公安関係まで聞きこみに動いたし、守保は保守の裏返しの文字であるから、左翼の人間の執筆だと噂になったと、編集長から聞いて笑ったことがある。石井紘基議員の刺殺や二千円札が出たり、自衛隊のイラク派兵などの記述から見て、栗原さんと頻繁に会ったのは、世紀末から小泉政権登場にかけての頃が峠だろう。
守保は軍隊用語で酒保のことを意味し、酒保は軍人の飲み屋のことだから、高松守保は高松宮のアナグラムで、栗原さんが親しく交際していたという、高松宮喜久子さんの名字だったが・・・。