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インテリジェンスしゅうれんと慧智を求める旅路

15asa:2011/08/10(水) 14:25:11
新たな記事「人災を覆い隠す被害者意識 繰り返してはいけない一億総懺悔」を読ませて頂きました。
記事の表題にある藤原先生のご意見には大いに賛同すると共に、私達日本国民として真摯に受け止めなくてはならない
ことは当然のことだと存じます。

しかしながら、記事の中ででおっしゃっておられた下記のことに対しては、違和感を感じております。

「トップの軽率で無責任な行動としては、撃墜で死んだ連合艦隊の山本五十六司令長官と同類です。」

山本五十六司令長官は、そもそもアメリカとの戦争を始めるに当たっては、1年か長くても2年以内で決着がつかなければ勝つことは難しいとも語って
おられたことは学んだこともあり、そう簡単に切り捨てられるものでは無いとつくづく感じております。
連合艦隊司令長官という立場的には、「脱ニッポン型思考のすすめ」の中であるとおり、戦争を終らせるためにどうするのかと言うことを政治的に考えなくては
ならないことに近い様に感じるものの、それが言える立場に無いということの無念さというものも感じてしまう所であります。
仮に、海軍大臣あるいは軍令部総長と言う立場であればどうだったのかは分かりませんが、もしかすると陸軍参謀本部等の圧力によって自ら立場を失い踏み潰されて
しまうことに至ってしまったのかも知れないとも感じられるところでもあります。
山本五十六連合艦隊司令長官の頭の中には、ミッドウェー海戦で敗北した当たりのところで、もうこれ以上は戦争は続けることは難しいのでは無いかと考え、どうすれば
戦争を早く終らせることができるのかということも考えておられたのかも知れないとすれば、何とも無念とも感じると共に、単純に無責任だとは思えないところでもあります。

だからと言って、偏狭な国粋主義者にも左翼的な共産主義者も、どちらも大嫌いであり一切同調するつもりはございませんが、論理的に言えば、建設的野党に過ぎない共産党を
始めとする共産主義には矛盾は比較的少ないものの、対する右寄りの国粋主義者には細かい点では矛盾は無いものの全体を通して見ると矛盾だらけであり、左翼の足元にも及ばない
世界にとっても日本にとっても、全くいい迷惑な存在に過ぎないとさえ感じるところではあります。

そういう意味からすれば、菅総理の「将来は原発が無くてもやっていける社会にする」と言う方向性そのものは決して間違っていないと感じるものの、単純に一国の総理の首を挿げ替えれば良い
と言うことには同調することは出来ません。
むしろ、これを引き継いで、共に和すると言う共和精神を以って、例えば小日本共和国の懐妊に繋がる道が切り開かれても良いと感じます。

小学校の国語ではありませんが、共和というものは「共に和する」と言う意味から捉えれば、「共に同する」と言うだけなら、「共同国」の意味に
なってしまいますよね。
共同国というのは、世界的に見て何処に存在するのか分かりませんが、日本は、「天皇陛下を中心とした運命共同国」なんて言うおかしな表現になって
しまうだけなら、余りにも天皇陛下が可哀想なだけでなく、国際社会から見れば、とんでもない厄病神であり、こんな国粋精神そのものが、極めていい
迷惑な存在に過ぎない、反日的な国粋精神の何物でも無いとさえ思えてしまいます。

文化や歴史と言えば、韓国の歴史ドラマと日本の大河ドラマを比較しながら見ると、相対的に共通点や相違点と言うものを観察することが出来て大変興味
深く感じるのですが、「手にした権力は手段と方法を選んで使うべき」と言うことは、これからの政治や外交において、日本は韓国に限らず、全世界的
に共通するところでは無いかと感じます。

権力を手にすることで、悪事にも使えることは確かであるものの、一旦それによって相手を追い詰めてしまうことで、それが自分自身を追い詰めて、身を滅ぼして
しまうだけのことになってしまうと言うことを教訓にして行くだけで、お互いに分かち合い、助け合い、支え合うという絆を取り戻すことにより、
地域経済の活性化に繋がり、それが日本経済を支え、更には世界経済の安定と全人類の恒久的な平和を齎し、地球規模での環境汚染を食い止め、
その中で、日本はもう社会福祉国家としてつつましく存続することが出来るのなら、もうそれだけで十分では無いかとさえ感じるところではあります。


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