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意味論
75
:
藤原肇
:2010/02/18(木) 22:57:20
音楽の素養が不足しているためだと思うが、気軽なオペレッタのほうが好みに合うせいで、年末にウィーンのブルグ座で「フレーダーマオス」を楽しみ、それで新年を迎えた経験が何度かあった思い出がある。
それでも、旅のつれづれにオペラの興行に遭遇して、かなりの数のオペラを楽しんできたのであり、どんなオペラが印象深かったかと尋ねられれば、「セビリアの理髪師」「マダムバタフライ」「椿姫」「フィガロの結婚」「ラボエーム」と答えそうだ。
ブタペストを訪れたときに幸運なことに、「ラボエーム」を三日連続で興行していたので、三晩立て続けにオペラハウスに通い詰めたように、ロッシーニの素敵なメロディーは魅惑的とはいえ、イタリア歌劇としては「蝶々さん」の方がピンとくるのは、舞台が幕末期の長崎を舞台にしたの話なのと、日米関係をシンボライスしているせいだろう。
また、「セビリアの理髪師」と「フィガロの結婚」は共にボンマルシェの作品で、フィガロはウィーンのオペラ座で観劇したが、スカラ座での床屋劇の方がより印象的だった。「椿姫」はパリの古いオペラ座で見たか、ことによるとシャンベリーの劇場だったかも知れない。
セビリアの床屋はフィガロだから続き物であり、問題は「マダム・バタフライ」と「椿姫」であるが、蝶々さんは芸者というよりも娼婦に近い妾であり、椿姫はサロンを主催する高級娼婦である。十九世紀はまだ女性が解放されていなかったので、高級娼婦や妾が女性の生きる道だったから、悲劇の主人公として登場しても不思議ではない。
だだ、彼女たちは文学や歌劇に主人公として登場するが、江戸っ子から軽蔑されたヨタカは絶対に登場せず、私がかつて「電波芸者」についての議論において、田原総一郎や桜井良子を名指しで「電波ヨタカ」と呼び、御用学者をインテレクチュアル・プロスティチュートと呼んだのは、意味論的に厳密な区別をしたつもりだった。
だから、T,Nさんが娼が儒よりも上だと結論付けるのは問題で、娼には芸を身に着けてなる芸者を含む公と、私益のために芸もない私的な娼の違いがあり、御用学者の多くがカネのために走狗として、権力に節操を売るという解釈をしたいのですが、どんなものでしょうか。
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