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意味論

13プロジェクトラーニング:2009/08/07(金) 23:05:32
このスレッドを立てるにあたり、あたかも興味本位で聞くかのような態度で書き出してしまったので、のっけから野田さんに一喝されてしまいましたが、私には意志があります。25年間、藤原肇さんの読者でいたことで、私は「藤原肇の七不思議」を持つようになりました(これまで誰にも話したことのない自分の認識です)。そのコンセプトは、「そんなに長い時間をかけて大事を説いているくせに、ちっとも日本国民に有益に広まっていないじゃなか!」という不思議です。その一つが意味論です。藤原さんが、〜は意味論が分かっていない、〜は意味論オンチだと発言するたびに、この不思議度のスコアは上がります。そういう訳で、自らが主体的にかかわり、意味論に通じる実利をつかむことで、この不思議の解消に少しでも役立ちたいという意志を持つに至りました。

言いだしっぺなので、私の枠組みで整理させていただきます。目的は、ビジネスパーソン(私の活動フィールドがそこなので限定していますが、そのあたりはお許し下さい)が言語をうまく用いること、だとします。優れた製品をつくるという例えに沿うと、素材を良く用い、その素材で部品をこしらえ、部品をきちんと組み立てて、優れた製品に仕上げます。この場合、素材は「言葉(最広義に解釈したいです。文字、記号などを含むとして)」、部品は「文(命題)」、製品は「文脈(コンテキスト)」だとします。後半の「素材で部品をこしらえ、部品をきちんと組み立てて」は論理学です。これはこれでとても大事です。「素材を良く用い、その素材で部品をこしらえ、」が意味論だと考えています(論理学とは一部重複がある)。ところが、この「素材を良く用い、その素材で部品をこしらえ、」の実利が皆目分からないでいました。

今の段階の仮説ですが、「言語の範囲論」と「言語の運動論」という考え方(これらの用語は私の造語です)をとろうと思います。「言語の範囲論」とは、定義と網羅であると考えます。概念の境界線を敷き、抜け漏れがないようにすることです。千々松さんの8W1Hは「言語の範囲論」の実利です。私のいる現場では有名なMECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)があり実利として用いられています(おかしなことにMEとCEが同等に大事とされていますが、CEでないと致命的ですが、少々MEであったとしても問題はないと思うのですが)。ところが残念なことに、現場はこの「言語の範囲論」で終わってしまっています。藤原さんがいう意味論の真髄は「言語の運動論」にあると思います。

千々松さんは、「全体の最適な姿が出来上がれば、それは面となり、或る物語、ストーリー、あるいはシステムエンジニアの世界ではプログラミングの仕様書の定義が出来上がるというように見ることができるのです。」と書いていただきヒントになります。ここでは、「全体の最適な姿が出来上がる」というのはどういうことをいうのかを考えることが核心でしょう。定義と網羅の静的(スタティック)な状態から、言葉や文(命題)が運動することで意味が編集される(日本で意味論に通じている一人に異論なく松岡正剛さんがいますが、編集とは情報を価値にかえることであると述べています)動的(ダイナミック)な状態をつくりだすことが意味論の実利ではないかと考えました。この考えをさらに発展するために、いま物語とは何かを考えています。この続きは後ほど。


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