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「さらば 暴政」を読みました

19プロジェクトラーニング:2009/08/06(木) 06:43:57
一色さんの言うとおりです。私その当事者ですから反省します。そのうえで、吉田春雄さん(お名前を間違えてしまいごめんなさい)のコメントにある「すなわちリーダーシップというものに着眼すれば、この本は凄いリーダーシップ論として作られており、」に刺激を受けましたので、『さらば、暴政』を再読し、政治家の育成について少し考えたことを記します。最初に頭に浮かんだのは、話は変りますが坊さんのことです。寺に生まれたことで坊さんになることを宿命づけられ(これって世襲です)、やがて仏教系の宗門立の大学に進み宗旨に基づいた専門教育を受ける。私が不思議に思うのは、こういう若い子たちは結婚もしちゃうんです。悟りに導くための仏教的生活規範としては、女性に触れてはならないのではないかしら。一事が万事で、現実の「苦・悲・痛」の実相を知ることなく、宗教者として檀信徒のまえで法を説く。坊さんが提供するサービス(お布施の対価)が、人の老・病・死にまつわる苦悩の緩和だとするなら、いまの日本の宗教者の育成システムは、何をかいわんやでしょう。これと同じことが政治家にも言えるのではないか。そんな問題意識を持ちつつも、残念ながら私は経営学がバックグラウンドなので、経営者の育成について次に考えます。例えば金井壽宏の『仕事で「一皮むける」』光文社新書によると、「経営幹部にまで至るような方々が、いったいどのような「一皮むけた経験」を通じて、経営幹部ならではの思考法や行動の仕方を身につけたのか」についての研究が深まっています。その示唆は、藤原さんが書いているように(P27)、「資質としての適応力は指導性を決定づけるし、困難な中で一段とその輝きを増すものである。それは厳しい試練を乗り越える能力であり、優れた理念と高潔さに支えられたもので、艱難辛苦の試練を通じて鍛えられるものだ」という指摘に通底します。そうすると代議士の「艱難辛苦の試練を通じて鍛えられる」は何なのか。それはどのようにあるべきなのか。藤原さんが酷評する「未熟な世襲代議士」にはどうしてそういう「一皮むける経験」が不足するのか。すなわち政治家の育成システムを考え直さないとならないのではないかと思いました。松下政経熟の方々と交流することがあり、松下幸之助が建学精神を説いたVTRなどを観たりすると、そもそも代議士になる前に、「出家して」社会問題を真正面からとらえて関係者と協働しながらそれらに応じていくという、相当長い時間の行動実践の大事を感じます。


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