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最近読んで印象的だった本

215藤原肇:2015/12/08(火) 13:43:51
四日間ほどの短い息抜きの旅だったが、アンコールワット遺跡として知られる、シェムリアップの町に滞在して、大地のエネルギーを取り込んで来た。何といっても私にとって最高の遺跡は、アンコールトムの四面仏の石像群で、須弥山(メール山)の観世音菩薩が聳え立つ、バイヨンの持つエネルギーの渦は、不老長生への案内役である。このバイヨン寺院の建設は12世紀末で、ジャヤ・ヴァルマン七世によると言われ、この地に立って世界史に思いを馳せると、ジンギスカンがモンゴル帝国を築き、歴史が世界的な広がりの中で、東洋と西洋が一体化し統一した時代だと分かる。ユーラシア大陸とインド洋を制圧して、空前絶後のモンゴル大帝国が君臨し、交通網と金融システムを築き上げた点では、近代の原型は既にここに痕跡がある。
中国史が強調してきた宋や明の歴史さえが、いかに局地的な地方政権に過ぎず、日本の鎌倉から室町の歴史が周辺的なもので、大航海時代と呼ばれるものでも、モンゴル帝国の残像の中から生まれ、モンゴル史の波紋だと感じられて、人類史を見る目から鱗が落ちてしまう。その予感は幸田露伴の『運命』を読んだ時に、明の歴史のインチキ振りを予感したが、文字で書かれた歴史の持ついかがわしさは、藤原不比等が仕上げた『日本書紀』を始め、文部省の歴史教科書を見るだけで、誰の目にも一目瞭然になることだ。
数年前に四川省から雲南にかけて、チベットの周辺を歩いてみたが、そこはタイ族とチベット族の生活圏であり、大理までモンゴル族の影響が及び、その支配力の大きさに驚いたものだった。だが、インド洋がアラブ人とインド人の手で、貿易圏として発達していただけでなく、彼らの多くがモンゴル帝国の庇護で、商業活動を営んでいたことを知り、モンゴル文明の持つ圧倒的な力に、今さらながら目を見張ることになった。それを最も明瞭に示しているのは、われわれが元の「染め付け」と呼んで、その白とブルーの鮮やかさを称賛する白磁で、白磁のカオリナイトは中国にあり、紺色のコバルトはペルシアだけが産出し、それを組み合わせた景徳鎮の官窯は、世界が憧れる白磁の大生産地であった。
だから、モンゴルが作った「海のシルクロード」は、大量の貿易商品として白磁を運搬したが、それはイスタンブールのトッカプ宮殿に、素晴らしいコレクションとして保存されており、その前で呆然とした思い出がある。何しろ、直径が1mもある「染め付け」の大皿が、十数枚も並んでいるのは壮観であり、船で運んだのは疑いもないことだのに、説明にはラクダで運んだとあったので、「シルクロード病』の名残を強く感じたものだった。
カンボジアの古名であるクメールが、シュメールに由来していることや、沖縄の久米島にもその流れが届いており、南回りの海洋民の渡航ルートが、北回りの日本海経由で渡来した、草原の騎馬民族が日本列島で出会い、そこに船と馬が南北の形でポラリティを作り、日本史に小宇宙を刻印している。
それにしても文化における南北の違いは、地球上におけるエネルギー格差で、植生から始まり気候や環境の違いが、人間の生態や歴史に違いを生み、地上に多様性をもたらせる原因になっている。私の体験では地中海型と北海型で、パリやロンドンは私の好みには合わないために、論じることが至って少ないのが、還暦を過ぎてからは寒いところはご免蒙って、温かい南国についつい向かってしまう。しかも、地球は自転するのでコリオの力が働き、分力と合力のためにズレが生じ、南と北の対立に歪みが発生すると共に、裏と表の捻じれ現象と逆転があり、それが波と渦流で歴史を面白くしている。
そのような人類史の波動現象が、カンボジアのバイヨンから遠望できるのは、実に壮大で素晴らしい景観であり、観世音大菩薩から受けた掲示でるにしても、ここがカイラス山だから見えてしまう。数年前にインドを訪れブッタガヤに行った時に、出合ったチベット人が教えてくれた、カイラス山の話に啓発されて読んだが、久しぶりの河口慧海の『チベット旅行記』は、山歩きをやる私が感心する行動力で、明治には凄い日本人がいたと痛感したのだった。


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