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最近読んで印象的だった本

206藤原肇:2015/11/26(木) 11:49:15
この段階では全く意識していなかったが、大西洋を横断して北米大陸に渡り、カナダから世界を展望できたことは、運命の女神による導きにしても、幸運の一語に尽きる選択になっていた。
なぜならば、19世紀から20世紀にかけては、文明の動きに二つの潮流があり、源流はメソポタミアやギリシアでも、ヨーロッパから大西洋を越えると、ブリタニカからアメリカーナに、覇権の流れがあった歴史が記録されている。
しかも、一つはハプスブルグの二重帝国が、ブタペストとウィーンを経由して、パリからロンドンを抜けてから、アメリカに至るソフトパワーの大動脈だ。
その脇をロシアからプラハを経て、パリやロンドンを経由する流れと共に、地中海のベニスからミラノを通り、パリ経由でロはドンを経由で大西洋を横断し、アメリカに至る流れも存在する。
ウィーンやプラハは大陸的で寒いから、シカゴに向けて流れがちだが、ベニスやパリはロンドンと共に、海洋パワーの伝統を持つので、国際的なニューヨークを目指して進み、港町にたどりついて定着する流れがある。
この傾向はユダヤ人の移動ルートに適応出来て、アシュケナジ系は寒いシカゴと整合的だし、セフファラダム系はニューヨークで、国際派として活躍する傾向が見られた。
しかも、カナダは英国の王党派の砦だし、コモンウエルスの正統メンバーとして、同じ自由でもリベラルを好むし、アメリカの自由はフリーダムであると、カナダに住んだことで私は理解した。
しかも、日本人の99%は太平洋を渡って、アメリカの土を踏んでいるが、私は例外的に大西洋を船に乗って横切り、アメリカに行く前にカナダで生活し、十年も住む人生が舞い込む僥倖に恵まれ、「急がば回れ」の実現を果たせた。
また、当時の世界情勢は冷戦時代だったから、アメリカはソ連を仮想敵国としており、包囲網を作って対決路線を推進していたので、カナダからシベリアを観察したから、衛星写真の解析をするというメリットは、地質的にカナダとシベリアは地続きだし、地の利の面で理想的な場所であった。


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