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根本・珪水なんでもコーナー
241
:
ナニワのダルマ
:2006/04/12(水) 17:20:08
根本さん、お久しぶりですね。過日京都では貴兄の興味深い話を拝聴させて頂き有難う御座いました。
人間は快な出来事より不快なものに立ち会った時の方があとあと心の隅に残る事が多く場合によってはそのような曇った心のメガネでその他の世界まで捉えてしまうきらいがあると思います。要は執着しているわけですが以前、珪水さんがご紹介されていましたが何か日常に小さな変化を取り入れそれを習慣化してリズムを作るなどして氣を再び上昇させていくきっかけを実践してみる事の方が頭で考えるより有益かと存じます。囚われの無い純化された心というのは自身のあるがままの感情を写し出す心の状態を指すのではと愚考致しております。そういった状態をより正確に認識しようと思ったら自分の中にある他の視座を働かせ意気力を高めなければ見えるもの見えてこないそんな気がします。
最近、繁華街にある大型書店の店頭コーナーに山積みされていると「食品の裏側」安部司著 いう本がよく売れているそうです。20代、30代の女性を中心に購入しているのを見かける事があります。新聞でも紹介されていたと記憶しています。読み手に化学の素養がないと何と比較していいのか混乱する部分もありますがそれはともかく一般データとして家庭に一冊置いておくと役に立つ本だと思います。
これからますます進行する経済グローバリゼーションの影響下のおかけで人々の食品に対する意識がかえって強く持たれる傾向も随所に見られ、今後生活の質的要素を追求するといった観点からこの方面のビジネスや研究も盛んになってくると思われますがそもそも大量生産すると言う事はそれだけ質を下げざるを得ないという点からいっても本物を享受できるのは結局の所限られた人間になるという構図は変わりそうにないというのが現実かと思います。
免疫を専門にしている先生の話によるとガンの発生原因は後天的にはストレスと食べ物によるものだと言い切る方もいます。より良い物(情報)を得るか否かで極端に云えばその人の運命まで左右されるのだとしたら感受性を鋭敏にしながら意識の質を高めていく生き方は確かにその人の責任次第でもあります。何故なら感応し合う波長がそのまま自分が得られる情報の限界に帰結すると思いますし、広い意味では「情報は信頼の関数」という表現に集約されるとしたらそのまま藤原博士の「経世済民の時代」や「超経済学」の領域にも繋がります。
以下
http://www.videonews.com/
第262回 ゲスト安部司
参考までに
プレビューで見れます。
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