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根本・珪水なんでもコーナー
240
:
根本敦史
:2006/04/12(水) 13:34:34
「執着」について、少し思うところ書きます。
最近、人間は自分で物事を考えているというよりも、どうも自分がいる環境/場により考えさせられているといった方が正確だなと思っています。自分にどのような情報が与えられ、どのような環境/場にあるかということで、思ったり考えたりすることが違うということです。
そこで「執着」なのですが、これも一種の人間の思考であると言え、よって、これも人間の体及び周辺の環境(与えられる情報や人間関係など)という「場」の状態により発生させられているものだと考えられます。であるから、「執着」について、これがどうだ、あれがどうだ、とあれこれ考えるよりも、まずは自分という「場」をどのように作るかということが得策だと思っています。つまり、あれこれ現状のダメな「場」で考えてみても、そのダメな現状の「場」により束縛されているので仕方がなく、その「場」により発生する「執着」は恐らく拭いきれないということです。
しかしながら、今どのような「場」に生きるかということは、その方法さえ正しく「知る」ことができれば(実はこれが一番わかっていない。。。)、少しずつ改善していくことができ得るのです。東田さんが「咸宜園」について投稿されましたが、教育の原点も、然るべき人(教育者)が、学ぶ人の色々な意味での「場」を整えてやることだと思っています。だからこそ、全寮制というか、寝起きや衣食を共にしなくてはならないのだと思います。
蛇足かもしれませんが、人間が完全な健康体になった暁には、五臓六腑の調和がとれ、外に求めるものがなくなる(外から何も引付けなくても足りている)ことから、「執着」は消えると思います。しかし、常に完全な健康体であることなどなかなかありえません。振り子のように右に振れたり左に振れたりします。右に振れれば左を求め、左に振れれば右を求め、「執着」とはそんなものかもしれません。中庸を求める人間の性であり、宇宙の理とでも言いましょうか。
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