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雑談・議論・質問スレ12
87
:
N
:2011/07/30(土) 21:02:38
>>86
すこし思いついたことがあったので書いておこうと思って
珍しく日にちを空けず開いてみた。
ちょうど、書こうと思ったことが、
>>86
への応答になるかもしれない。
子ども時代の風景は、一生記憶に刻まれるようだ。
自身を省みてもそう思うし、
色々な人の回想録を見てもそうだ。
その風景が、その者にどう影響するのか、
性格なのか、思索なのか、感情なのか
思いついたばかりなので、まだ掴めないが
そこが豊かであれば、
それがその人の浄土になるのではないだろうか。
もしそこが悲惨であればどうなるのか
子どもの楽天性、イノセンスが、
客観的には悲惨な環境でも、良き風景として保存されるのかどうか
まだよくわからないが。
その風景が質朴でも豊かさを含んでいれば、
それは一種の伸びやかさのようなものに繋がるような気がする。
青年期以降の記憶は、良いものであっても鬱屈すれば
ある種のトランプゲームのように、すべてのプラスが全部ひっくり返って
マイナスになってしまうが、子ども時代の浄土風景は
その逆転を免れるようだ。 とはいえ、その「懐かしさ」は
切ない「失楽園」の想いをかきたてることも免れがたいのだが。
いろんなもんをくれ、こちらも差し入れる。
なにもかも商品化と売買・利益の資本主義に
まだ汚されていない日本の前近代が根強く残存し続けていることを
震災が教えてくれた。それらが、「復興以上」の新・復興の名の下に
高度資本主義近代から改めて切り崩されていくのかどうか
どうやら切り崩されていきそうだが、それでも、資本主義近代に
人類史的な普遍性はないのだから、原風景は、前近代的な浄土であってよい。
それにどのような功利があるかなど、二の次三の次だ。
理屈っぽくなってすまない。そんな本ばかり読んでいるせいだ。すまん。
ともあれ、Aさんが描く子らの情景は
一種の「代理体験」として、いくばくか救いになっているし
そこからいろいろ発見させてもらってもいる。
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