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雑談・議論・質問スレ12

532N (叢の中):2015/10/12(月) 07:42:18
深化するとはどういうことかというと
臓器売買の実態をより知ることを志向することだと思う。

1.「現在」どういう連中がどういうルートでどういう人間に売って
それがどういうルートで最終的にどこでどういう相手にどういう医師たちがやるのか
というような具体的なことを知る、あるいはそういう情報を得るルートを知ること

つまりこれによって「○○ちゃんを救う会」とそれらが関係するかどうかがわかれば
対処法はおのずと生まれてくるのではないか、と。

2. もちろんそういう正しい裏情報は簡単にはいらないとして
 その可能性がどの程度あるのかを判断できる程度に情報が深化すること

つまり、「私は子どもの臓器売買があるということを聞いたことがあるんですが
 そういうものと関わりがない、と言い切れるんでしょうか、もしちょっとでもその可能性があるなら
 わたしは臓器売買に反対ですから、寄付することにためらいがあります。」
と、深化した知識のうらづけが強ければ、言えるのではないだろうか、と。
こういう言い方ならさほどザワつかないんではないか、と。

3. 道徳的な問題に対する考え方の深化。
 善意の人びとが行う会の奥にいる「鬼になった母親」と、命を奪われる子ども。
 間に入る善意の人びとはそこで道徳的にどうなのか、という問題。

4,私の感情の問題。
 つまり、それは「踏み絵」の問題だと思う。
はっきり言って、信念や信仰の問題で、たかが偶像を踏むくらいのことで
何が傷つくのか。そんなもん踏んだところで、自分の内奥にある理念や信の本質は変わるのか?
それも深化のひとつだろう。 俺は個人的には、踏んだっていいじゃないか、と無責任に「思想」する。
これは吉本が戦中の「転向」と戦後の「転向」を論じているのを後追いで読んで学んだこと。
転向は、思想が単なるイデオロギーの左右反転の問題ではないという吉本の思想軸。
戦前の右翼が戦後の左翼に、とにかく常に原論の表舞台で煽動していた連中 云々
  (以下数十行、書いたがあまりに話が外れすぎたので削除) 

ま、そんなとこ。


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