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雑談・議論・質問スレ12
472
:
N
:2014/06/27(金) 19:09:45
[ 子らと親のストーリーを一致させること。]
それが真実告知の意味なんじゃないか、と考えるようになった。
長年それに携わってきた経験者でも当事者でもない者が、「頭」だけで考えた私見。
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ものごころがついたときにそれ以前の記憶がなければ
子らは、ほかの親子を見て自然に自分を同一化させるかもしれない。
その時、子供が自分について漠然と持つ自己ストーリーと、
養育者が知っているストーリーは一致しない。
その不一致を解消することが真実告知の意味なんかないだろうか。
親と子のストーリーが異なることをどう考えるか。
真実告知に対する考え方はそこのところで違ってくるように思われる。
そのまま、子自身がもつセルフストーリーを放置しておくべきか、
親が知っている事実に基づいたストーリーを秘めておくべきか、
子供が他の子を見て同一化させ、自然に作ったストーリーに従って
のびのび育つ姿が壊れてしまうのではないか、
はたして、自然に子供自身がつくりあげたストーリーを
事実に基づくストーリーに矯正することは残酷ではないのか、
親の逡巡はそういうところから来るのかなと想像してみる。
一方、事実を親の側は知っているのに、
子供は知らないという不平等(強すぎる言い方かもしれないがこの言葉しか思いつかない)
は、ある種の不自然さをつくりだす。
同じストーリーを共有することで、隠し事なしに向き合い
遠慮無く叱り、同情心ではない愛情を抱く、という自然さが
もしかしたら、すこしだけ疎外されるかもしれない。
子供は、それまで抱いていた自己ストーリーが事実に基づかない思い込みにすぎなかったことを
いつか知るかもしれない。それを畏れ、びくびく子育てするこになるかもしれない。
俺は当事者でなく、さらに子育て経験すらないから
想像だけで書いている。
もしかしたら、真実告知は、子供たちのストーリーと親のストーリーを一致させ、
同じストーリーを共有することで、それまでの種々の迷いや畏れを吹き払い、
もういちど出発点をから始めることなのかもしれない。
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