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雑談・議論・質問スレ12

288:2013/01/28(月) 07:15:49
嫉妬というのは、
「自分がそうであったかもしれない可能性」をもとに起きる怒りの変成じゃないか
と前から考えている。

そうであり得た「かもしれない」のに、実際には、そうではない、そうではなかった、
じっくり考えれば、その理由や原因はそれなりにわかる  
わかるのだが、、、しかし、、、くやしさが湧きおこる
頭ではわかっても、心が納得しない。

嫉妬というのはそういうことじゃないか、とか考える。

「可能性」がある(あった)こと、でなければ嫉妬はおきない。
その可能性がみじんもなかったと得心している場合、嫉妬はおきない。

たとえば、
おっさんはイチローの活躍に嫉妬しない。でももしおっさんがプロ野球選手だったら、
もしおっさんが松井秀喜だったなら、嫉妬するかもしれない。
だが、おっさんは自分に全然その可能性を感じないのでイチローに嫉妬はしない。
(あたりまえちゃああたりまえだがw) 
たとえば、宝くじの一等当選者
「うらやましい」とは思っても嫉妬はしない。
でももし同じくじを1000枚買ってて、隣の奴が当選していたら、かなり嫉妬するかもしれない。
「そうあり得た可能性」。自分がそうでなかったことへの「口惜しさ」

いくら嫉妬しても、「そうでなかった自分」という事実は変えられない。
嫉妬は堂々巡りだ。

もし、無責任な第三者として岡目八目を働かせるなら
「そうであり得たかもしれないが、現実にそうではなかった自分」をめぐる出口のないループより、
「なぜそうではなかったのか」、という分析 をはじめるか、
「口惜しさ」に着目点を移し、口惜しさをバネにして前へ進むか、のほうが
出口への細い通路はありそうな気がする。

もちろんこれは、
今、そういう状態にないから言えるのであって
その感情に囚われたとき、おなじことを自分が冷静にできるか問われれば
そんな自信などこれっぽっちもない、と自信を持って断言できるが。


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