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ある体験の・・・回想録6

751N:2014/05/07(水) 19:20:17
俺の仮説じたいは単純なものだ。

1、体外離脱を、開眼離脱(覚醒離脱)と閉眼離脱(半覚醒、あるいは明晰夢の類)に分けて考える。

  覚醒離脱は「幻視」ではなく、リアルタイムの視覚入力を、(長期)記憶として見ている。
  (そのため、ほんのすこし時間的遅れがある可能性) 

  しかし、もともと、生き物がものを見るという事自体、すでに記憶を見ているらしい。
  (ワーキングメモリの中の「スケッチパッド」 
   ただし「ワーキングメモリ」も仮説概念で、
   神経学的基盤の見地から十分に検証・確立されているとは、今のところ言えない。
   脳部位としては、前頭葉や大脳辺縁系の帯状回が想定されている。)
  
  問題は、 場所からの視点変容だ。
  視点変容は、サーヴェイマップ能力と関わりがあるかもしれない。
  自己像視は、まだまともな論文に行き当たってない。 日本ではほとんど研究されてないのかもしれない。
  (英語論文にはあるのかもしれないが、英語論文はつらい。。 
   2つくらい「横断翻訳」と「google翻訳」でトライしたが,翻訳というより単語のパズルゲームになった。)  

2、 なぜ、覚醒離脱を、幻想として退けないかというと、
   PTSDに関連したサイトに、ベトナム帰還兵の話があって、
   彼は、敵(ベトナム人)を殺さなければならない場面で、体外離脱経験をしている、と書いてあったからだ。 
   同様なことはほかの心的外傷でも起こりえる。 
   記憶自体が、つらさのあまりのすり替えであるというケースもあるかもしれないが、同様例が
   (すくなくとも、アメリカの研究例では)多すぎる。
    
   さらに、脳部位(”側頭頭頂接合部”)を電極で刺激すると、実際に体外離脱経験をするというアメリカの論文もある。
   (前レスのURLに上げたマインドマップの「側頭頭頂接合部」というラベルをダブルクリックすると開くカードにURL 記載)
   ただしその経験は、「眼差す私」と「存在者としての私」(柴山雅俊「解離性障害(2007)」)でいうと
   「存在者としての私」がわの経験であって、「眼差す私」のがわの経験ではない。 

   俺の仮説は、ドライの側で設定したいので、その論文そのものは参考にはならないが
   電極刺激によって再現できる事象であることを客観的に証明した点で、意義は大きい。
   
   ベトナム帰還兵の例でもそうだが、心理的に触覚を回避したい場面で
   触覚をオフにできれば、視点は位置情報を失う。
   それが、「眼差し」の体外離脱を導くのではないか。
   
   今の俺の仮説ごっこは、そういう感じだ。


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