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【マターリ】闇のS★Mスレ2【調教】

677なんちゃって:2007/06/09(土) 17:55:27
>作者の哲学や思想がまったく入っていない小説はほとんど無い

もちろんそうだが、たとえばドストエフスキーから「ロシア主義」を感受して
そこを拡大しても、作品のおもしろさとは関係ないだろうと思う。
そんな部分より、熱病にとりつかれたような言動をくりかえす登場人物や
それをとりまくそれぞれの個性豊かな男女達の離反や、
そういったものから引き起こされる事件とその描写に作品の価値があるのではないか。

その時、作者の哲学や思想は単なる「背景」にすぎないし、また、
そこまで概念をイメージが凌駕していなければ、プロレタリア文学のように
つまらないプロパガンダにしかならないのではないか。
モノリスについて勘違いしているというよりワシにとってはどうでもよかったのだ。
(モノリスについては「勘違い」もくそもない。完全に忘れてたw
とにかく徹頭徹尾、特撮の映像表現のみを期待し、そこだけを感受する姿勢で観た)

思想・哲学に関しては、SFや小説からではなく、
現実の事象に対する解釈や分析から導き出された思想にしか興味がないということだ。
それにワシの能力では、その両方について考えるゆとりはない。
たとえば量子力学それ自体、一般相対性理論それ自体(つまり数学的抽象と事象との関係)に
ついて考えだすと、それだけでかなり疲労する。(ヘーゲルでもフロイトでもそうだ)
芸術は純粋に楽しみたい。

芸術は考えるためのものではなく、イメージを感受して楽しむものだと割り切っている。
単に作品を楽しむ時、そんな必要はないだろうし、また、そうやって感受したものを
「勘違い」や「妄想」とされたとしても、まったく同意しないし、
テーマに対する掘り下げをしないことが、作品をきちんと見ていないことにもならない。
そのような態度は、そのまま延長すれば、作品のテーマが反日的だからけしからんとか
あるいはかつての党派たちのようにブルジョワ的だからけしからん、反動的だからけしからん
という「主題主義」に陥らないだろうか?

なんにせよ「ワシ」は2001年では、宇宙船突入以後のシーンには、
イメージとして何ら感銘を受けなかった。 というだけのことだ。

ところで、何日か休ませて貰うことになるかもしれない。 

追記 ルディラッカーは本職が数学者でサイバーパンクというくくりには入らないと思う。


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