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雑談・議論・質問スレ9

969</b><font color=#FF0000>(iH1f4Rg.)</font><b>:2005/05/13(金) 14:51:16
よく言われる、「加害者の体験が犯罪に結び付いた可能性」の事。
そしてそれについてよく言われる、
「自分が何かされたからって犯罪を犯す理由にはならないじゃないか!」って事。

その二つは別個の事だって言うのを分かっていない人が本当に多いと感じる。
事件を起こすに至った課程は必要だ。筋、道程、論理として。
何がどうしてどうなったのか。
事件が起こった時、はっきりしているのは「どうなった」の部分だけだ。
でも、結果だけが事件な訳じゃない。
「何が」「どうして」こうなった。
それら全てで一つの事件…と言うか、一つの結果なのだから、
その全体を把握もせずに判断するのは、事件に対して無責任じゃないだろうか。
だから加害者の体験や心理状態、精神鑑定と言う物もやっぱり必要になる。
加害者を守る為じゃなくて、出来事を把握する為に。

把握した結果、死刑が適当でなくなったり責任能力が認められなかったりする事も有る。
その場合の結果だけ見て
「自分が酷い事をされたからって無関係な人に何をしても良いのか。
加害者の人権ばかり認められるのか」
って方向に行ってしまうのは、気持ちは分かるけど、間違えてる。
裁く方は被害者、加害者、どちらに対しても同情出来ないし、していないはずだから。
…そうすると「情状酌量」ってのがどうなのか疑問になって来るんだけど
情状酌量については私は分からないし何とも言えないな。
事件全体を把握した時に、確かに
「情状酌量の余地」としか言い様の無い課程が有る事件も有るからなあ…尊属殺人事件とか。

自分が被害者になったら、または自分の周囲の人が被害者になったら
こんな事は言えないのも、分かってる。
分かってるけども、事件を事件として聞くだけの第三者である時は、冷静に見ていようと思っているから
こんな風に考えてる。




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