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<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>

960N:2014/01/18(土) 17:32:19
「定位」と「社会的既定」

「社会的既定」 おおざっぱにイメージするなら「肩書き」みたいなもの
「定位」  イメージをどこに定めていくか、ということで、辞書的な定義とはすこし異なる。
      
(子供を例に)
「こども」という社会的既定は、本人が自分をどう定位するかとは別に
勝手に「向こう側」から既定される。
本人が「だって、ボク(orアタシ)、こどもだも〜ん」 というなら
それは本人が自分を「こども」と定位したことになる。 
赤ちゃんは自身を定位できない。 
しかし「赤ん坊」とか「幼児」とかの社会的既定は勝手に向こう側から与えられる。

ひとりの人間であっても複数の社会的既定の位相がある。
家族の中では「親・子供」 
これに男女が(これは「生物的既定(セクシャリティ)と社会的既定(ジェンダー)というふたつの位相があるが)
加わると 「父親・母親」「長男長女次男次女・・・」「姉・兄・妹・弟」「末っ子」などなどが被さる。
こどもも齢を重ねると社会的既定が増える。
「園児」とか「小学生」さらに細分化されて「何年何組」とか「班長」とか「委員」とか。


定位は、自分の主体性に基づく、個人的な「思索行為」。
つまり、社会的既定がどうであれ、どう自分を「定位」するかは、当人の自由だ。
一個人の行為だから、気分や環境変化などで、定位が変化していくのも自由だ。
「定位しない」という選択もおおいにあり得る。

社会的既定だけがはびこっている世の中で、
自身が自身をどう「定位」するかという自由はもっとあっていい。


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