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<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>

1extright:2004/06/28(月) 00:40
★★★ 必 読 「この掲示板利用にあたって/管理人」 ★★★
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2470&KEY=1040148566

ここは雑談スレでは敬遠されがちな 長文、連投 OKスレになりました。
何処かのスレで気になった一文について詳しく聞いてみたい時、ひとこと申し述べたい時、
更に議論に発展しそうな話題にと、幅広くご活用ください。

[ご注意]
 ・古参者にとっては、新ネタ旧ネタ繰り返しが延々となされる様に感じるでしょうが、
  そこにこそ新たな発見もあるかもしれないという、柔軟な考え方で進みましょう。
  うっかりさんが現れても叩きはやめましょう。
  何故そういう考え方に至ったのかを聞き、理解しあう事が大切です。
  言葉とは何のためにあるのか、今一度ロイのスタンスを学びましょう。

※ご利用前に
 ・一度は全てのスレに目を通し、これまでの雰囲気を掴んでおきましょう。
※コテハン推奨
 ・これは議論へと発展した場合にどれが誰のレスなのかを判別し、混乱を防ぐ為です。
 ・また、板の「検索機能」によって過去の意見を参照する際にも便利です。

785A ◆CPjaa6Nup6:2011/02/06(日) 08:33:15
どの宗派でも宗教でもそれは同じかな
などと
乏しい経験だが思う。

786N:2011/02/09(水) 23:11:00
祈り不信者の俺だが(子供のとき「祈らされ」てはいたが)
その捉え方ならすこしは何か考えることができそうだ。

1)キリスト・イスラム・ユダヤ教の祈りでも、神道的な手合わせでも
祈りの心理的効用は「集中」「不安軽減」「静謐」といったところじゃないだろうか

2)それぞれに儀式めいた作法があって
それを行うことは、各個人が属している共同体(宗派)に
象徴的に参加することを意味しいているような気がする。

3)快癒祈願でも他者のための祈りでもいいが
祈りというのは、なにがしかの不安に対し、自分の力が及ばない
あるいは自分の力以上のなにかを必要としている、
と自身が感じていることを祈るのではないだろうか。
つまり形式的に参加しているだけではない場合、
その底に無力感・無能力感が、程度の差はあれ、潜んでいる気がする

4)個人の力量を越えた共同性の象徴(神でもいわしの頭でもなんでもいい)
に向かって祈ることで、共同性に象徴的に参加している、という意識が
不安感や無力感が軽減する。
祈りも呪いも、象徴的な共同性との共生意識をもたらすことで
精神の安定を求める行為なのかもしれない。

と、A’s照明をてがかりにすこし考えてみた。

787N:2011/02/09(水) 23:14:06
テニヲハのおかしい部分は、見てみないふりをするように

788A ◆CPjaa6Nup6:2011/02/13(日) 08:54:03
>786
を! それだ、そんな感じだ。

789N:2011/02/16(水) 20:21:47
どんな感じだったっけ、と読み直してみた。だめだ!我慢できない!テニヲハ推敲する。。
(単なる自己マンだ。読み飛ばしてくれ)
----( 内容は>>786とおなじ。テニヲハ改良バージョン)-------------


1)キリスト・イスラム・ユダヤ教の祈りでも、神道的な手合わせでも
祈りの心理的効用は「集中」「不安軽減」「静謐・安定」といったところじゃないだろうか

2)それぞれに儀式めいた作法があって
それを行うことは、各個人が属している共同体(宗派)に
象徴的に参加することを意味しているような気がする。

3)快癒祈願でも他者のための祈りでもいいが
祈りというのは、なにかの不安に対し、自分の力が及ばない
あるいは自分の力以上のなにかを必要としている
と、自身が感じていることを祈るのではないだろうか。
その底には無力感・無能力感が(程度の差はあれ)潜んでいる気がする

4)個人の力量を越えた解決力をもつ、と信仰される共同性の象徴
(神でも先祖でもいわしの頭でも岩でも樹でもなんでもいい)
を想定し、そこに向かって祈ることで、
共同性に象徴的に参加している、という意識が生じ
不安感や無力感が軽減する。
祈りも呪いも、象徴的な共同性との共生意識をもつことで
精神の安定を求める行為なのかもしれない。

--------------------------------------------------------

790zebla:2011/02/24(木) 09:27:31
そういえば、母親が仏壇(先祖の霊)に向かって家族の良いところを褒めたり感謝したりすると
家庭内の問題がよくなってくると唱えた学者さんもいたな。
神仏が助けてくれるというよりは、褒めたり感謝したりすることで意識改革をするという感じだったが。

791N:2011/02/24(木) 19:22:48
親が二人、その親にそれぞれ親が二人。
2の指数で増えていく。直径の先祖ってのは10代遡ると千と24人。
20代遡れば、なんと1000万人超になる。国家なみだ。
子供を50歳で産むと多少多いめに見積もっても
わずか1000年前にタイムマシンで行けば
直接のDNA先祖がそこには1000万人いることになる。
奇妙なことだが、さらに遡り続ければ簡単に
1億人を突破する。おそらく当時の世界人口を超えてる。
どうにも納得しがたい。 この計算はどこがおかしいのだろう。

さらに、さらに遡り続ければ、魚にまで戻り 魚のご先祖さまが登場なさる。
それはややほほえましい。

792N:2011/02/24(木) 19:25:43
一桁間違えた。 1000年前の先祖は100万人超だ

793N:2011/03/01(火) 18:10:55
世代数も一個ずれてるな。。 
すこし頭のましな状態の時だけ書き込んでるつもりなんだが。。
まぁねずみ算だから、100万が1000万になるのは
200万-400万-800万-1600万 とわずか4代しかかからん。

この遡りの人工爆発の謎を回避するには
近親婚のきわめて長い期間の持続、母親の出産死亡率の高さ
を想定することくらいしか思いつかん

でも直系の魚のご先祖はやはりどこかホッとする。

今日の昼は焼き魚を食った。親類かもしれん

794A ◆CPjaa6Nup6:2011/03/05(土) 20:54:07
>790
なんかいい。

795N:2011/03/23(水) 06:58:00
ツイッターを見てると、
なにか昨日あたりを潮目に、
日常性への復帰がはじまったような印象を受ける。
どこかまだちぐはぐな日常。

796N:2011/04/04(月) 19:19:09
そういや、あっちで「心は内臓だ」というのを無断転載していたのだ。
(すぐに腸がセンサー反応する男)
しかし、もうひとつ「心は記憶だ」という考えもある。
「心の起源」木下清一郎 中公新書 
中公新書には名著が多い。

無意識=内臓
意識=記憶 
としてしまえば図式的にはすっきりするが
すこし単純すぎるか。

797N:2011/04/04(月) 19:37:22
リョウへ。
「逝きし世の面影」渡辺京二 という本が面白い。
開国後に来た外国人(欧米)たちが、
日本人(おもに江戸時代の面影を残した庶民)に感嘆している文を
いろんな方面からまとめてる本だが、その7章「自由と身分」には
服従の自由というテーマに触れている箇所がある。

渡辺京二という人は、明治に「輸入」された近代欧米的感性に対し
それ以前に培われた日本人というオリジナリティという視点から
かなり深い考察を続けていた人だ。 

今回の震災をきっかけに、また図書館から借りてきて読み返していた。 
表面的には失われていた「古層」が噴き出てきた気がしたから。
今回の震災に対する日本人の反応についての
外国人の「賛美」がそのまま、開国後にやってきた外国人たちの反応と
一緒であったりする部分もあって、日本人(庶民)のDNAということについて
考えさせられたりした。 完全に変わってしまった部分もあるが。

ブログの読書録に書いてた赤松啓介が内側からのドキュメントだとすれば
こちらは、外から見た日本のドキュメント(賛美寄りw)だ。

798N:2011/04/04(月) 19:43:16
「恥じらい」は完全に「輸入思想」だw

799N:2011/04/04(月) 20:08:05
まったく変わらないのは役人(幕吏)の嘘つきぶり。
「彼らは地上における最大の嘘つき」(ハリス)

このDNAにも相当根深いものがあるようだ。
とにかくこの時期にこの本を読むと色々面白い。

800タター:2011/04/05(火) 04:24:13
>>797
>今回の震災をきっかけに、また図書館から借りてきて読み返していた。 
>表面的には失われていた「古層」が噴き出てきた気がしたから。

「古層」という言葉に「ああ、なるほど!」と手を打った。
漠然と感じていたものを的確に言葉にして貰った感覚だ。ありがとう。

ついでにずっと読みたかった『逝きし世の面影』を密林で注文したよw
これまたありがとうw

801N:2011/04/05(火) 17:52:28
この本は、どちらかというと「入り口」だな。
ここから先にいろんな方向が見える。
渡辺京二本来の仕事とはすこし趣きが違う(辛さ控えめw)。

ところで、密林、やはり震災の影響か、
支払い請求まではいつものスピードだが、
配送はかなり遅れてる模様だ。

802タター:2011/04/09(土) 04:08:30
震災の影響はすでに脱したらしい。
このレスを読んだ時にはもう到着していたよ>密林

仕事関係の資料を優先せにゃならんので
読めるのはしばらく後になりそうだ。

長文でも連投でも議論でもないレス、勘弁な。
たいした意味のないレスをこうやって書き込みたくなるのは
仙台の大きな余震が実はわりとショックだったからなのだろうな
……と自分では分析してるんだがw

803N:2011/04/11(月) 17:34:15
>>802
俺とこは、先月末に申し込んだのが、
やっと昨日ついた(支払って10日目)。コンビニ受け取りがまずかったのか。。
それとも東から西(かつて禿童が紅衛兵のように市中の民を密告して廻った町)への
通行が後回しにされているのか。

>長文でも連投でも議論でもないレス
もうな、そんなことどうでもいいんじゃないか?w
数人の住民しかいないという事も点呼ではっきりしたしw

余震というには大きすぎ、ほとんど本震と変わらんから
今度はそれに対する余震も必ずある。とあらかじめ思っておいた方がよい。
ただし、本震より大きな余震はない。エネルギーの放出は
必ず初発が一番大きい。そのエネルギー放出分だけ蓄えられた
エネルギーは減じられてるから。

804N:2011/04/11(月) 17:59:16
さてノイローゼというものは
特定の物理事象(音・光・揺れ・匂いといった五感に訴える現象)が
個体に繰り返し訪れることで、それらの五感が次第に
鋭敏・過敏に感受性が増感し、心理的に追いつめられるという状態だと
俺は理解している。

たまたま、こないだ風車発電に関するテレビ映像を見ていた。
すると現地(デンマークかどっか)の人間が、
「ほらあの音」と風車を指して言うのだが、インタビュアーには
ぜんぜん聞こえないという場面があった。
幻聴ではないのだ。彼らの知覚がそれほど鋭敏になっているのだ
いわゆる「低周波騒音」というやつだ。
これが長年続くと、幻聴すら発する。

たとえば、「揺れ」だと、それは
大きな地震から小さな地震、やがて、人には感じられない
1以下の地震すら感受しうるレベルに達する。と想定できる。
やがては、階下を人が走るわずかな揺れまで、
それに応じた小さなトラウマが発動する。
そこまでいけばノイローゼだ。
過ぎた事象は「なかったもの」、とむりやりにでも
空白化するか、大もとである物理事象から隔離されるほかない。

805N:2011/04/11(月) 18:03:10
あぁ、ちょうどテレビをつけたら、福島でまた6弱の揺れがあったようだ。

ところで地震酔いというのはかなりノイローゼの機構に似ているようだ。

----------------------------------------------------------
人間の脳幹には、後の体験に役立たせるために、
直前に体験した加速度などの情報を蓄える「速度蓄積機構」
というシステムがある。
震災時の衝撃や、相次ぐ余震の揺れは刺激が強く、
感覚が残りやすいため、「地震酔い」が起きるという。

 震災に伴う心理的なストレスにより、
感覚が敏感になっていることも要因の一つとみられる。
「感覚が敏感になると、心臓が動いているだけでも、
それを揺れと感じてしまうことがある。
生活環境が変わる季節でもあり、自律神経の働きの乱れも影響している」

 対処法として、大きく深呼吸をしたり、水を飲んだりすると落ち着くという。
------------------------------------------------------------
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20110407/491547

一種の防御反応だな。過剰防御になるとノイローゼってことかな。

806N:2011/04/11(月) 19:06:53
渡辺京二に誘(いざ)なわれ読み始めた石牟礼道子
(出世作「苦界浄土」は渡辺が編集していた熊本の同人誌に掲載されたもの)

「あやとりの記」(福音館文庫)は、ジャンルでいえば童話になるのだろうが
古層から掬い取られる宝石のような名作
(ただし最終章はなんとも不安と哀切を残し、感動的ではない。
 しかし、途中でなんども目の端によけいな水分が増量した)
3歳の女の子が主役。これに、村からも外れた位置にいながら
山・海の自然と交歓する古層の内実を見事に描き出している)

リトル・トリーを思い出した。こちらは5歳の少年が主人公。
どちらも、祖父・祖母との緊密な結びつきを仲介にして
自然との深い交歓にいたるイノセンスな魂が、そのまま
古層(根層・深層)へと結びつく世界を深く描いている。

807N:2011/04/11(月) 19:10:38
おそらくだが、宮崎駿はかなり
「あやかしの記」の影響を受けているのではないか。
実際に映像化したのは同じ書店でも「魔女の宅急便」の方だったが。

同じスタッフによる風景を使っても、
高畑勲は近代的な感性しかなく
古層的な感性が皆無なので、全然ひかり輝かない。

808タター:2011/04/12(火) 05:33:22
>>805
お言葉に甘えて、長文でも連投でも議論でも考察でもないレスをもうひとつw

「地震酔い」の説明を読んで真っ先に思い出したのが湖での釣りだ。
小さなボートに乗って夜明けから夕暮れまで釣り続けていると
納竿して2時間以上車を走らせた後でも、台所に立つと身体がゆらゆら揺れる。
釣りの場合、可笑しくはあるが不快な感覚ではない。

ちなみにその揺れが、釣りたての魚をつまみに旨いビールを飲んだせいでないことは言い添えておこうw

809N:2011/04/12(火) 22:22:19
たまたまツイッターに2ちゃんネタが紹介されてた。
地震に対する静岡県人の反応
http://blog.livedoor.jp/copipepa/archives/2749581.html

ようするに、揺れが怖いんじゃなく、家屋の倒壊が怖いのであるな。

>>808
いちおう、あくまでいちおう、その'言い添え'を信じておくw

810N:2011/04/27(水) 05:37:48
石牟礼道子の「苦界浄土」を読んでたら
水俣チッソの社長と東電の社長がところどころダブって見えた

811N:2011/04/30(土) 11:22:44
苦「海」浄土

812N:2011/07/28(木) 22:25:41
雑スレで自粛して削ったが、やはり無理してでも書いておこう。
なにかのきっかけになるかもしれない。

○個の時間は、各個の系列として流れる。
 個と、別の個たちの時間は平行してそれぞれに流れており
 このような不思議な空間で偶に交錯する。
 そしてまたそれぞれの個の系列を流れ続ける。

時間は止めることも溜めることもできない。
ただ、平行している個々の時間が、時たま直交し
個の記憶として貯蓄される。

○記憶もまた時間の一種であることには違いない。
 それは常に現在の中で「想起」され、
 想起されるたびに新たに記憶されなおす。
 木下清一郎によれば、記憶はつねに更新されるものだ。
 更新にはそれぞれに基準があり、その基準が変更されれば
 記憶の「意味」もまた変更され、記憶自体も更新される。

そのようにして、生命も物質も常に「現在」であるほかに
存在することはできない。

○子どもは、その中でも特に「現在進行形」だ。
 大人のように“記憶まみれ”ではないから。

そのことは、子どもの「単眼」性にも通じる。
複眼となった時、子どもはイノセンスを脱し、
浄土から、いや、楽園から追放される。
例の「知恵のりんご」というやつだ。

知恵とは複眼のことだ。
単眼や複眼ということばが伝わりにくいのなら
単視点、複合視点と言い換えてもいい。
知恵とは複合視点のことだ。

813N:2011/07/28(木) 22:31:06
それにしても、妙法蓮華教の涅槃も通俗西洋絵画の天国も
なんだか華美でバブリーだな。
表面的な美しかイメージできないんだろう。啓蒙主義ってやつは。

これが地獄になると、とたんに両方とも、
過剰なまでに想像力豊かに、かつ饒舌に語られるわけだが。

814N:2011/07/28(木) 22:38:46
複合視点というのもあまりいいネーミングじゃないな。
要するに、もうひとつ別の視点、ということだ。<知恵

815N:2011/07/30(土) 21:04:14
知恵→楽園追放。

816N:2011/07/30(土) 21:11:31
記憶というものは、必ず「事実」とは異なる。

事実というものは、常に複合的な時間の総体であるのに
記憶は単眼に切り取られた、その記憶者の遠近法の範囲内であるから。

さらに、想起のたびにそれは更新される。
更新される、というのは、その記憶の内容がうつろうということとは限らないが
たとえば、その記憶自体がスポットライトで照明されることによって
周辺部分がトリミングされてしまうというような事が含まれている。
そのような「純粋化」も含めての更新・変遷として記憶(エピソード記憶)はある。

817N:2011/07/30(土) 21:13:37
人格の多重性は、記憶の多重性と繋がっている。

818N:2011/09/16(金) 19:58:28
俺は自分が陥った二度目の鬱を、
自分個人の問題から来ると考えるより
この国の現在がもたらすものだと考えることにした。

そういう転換を図れるんじゃないかとある日ふと思った。
未だ強く主張できるほどの成功には至ってないが、
それもある程度は通る考えだと思えるような、そういう読書をせよと
心身が欲している。

誰かのせいではなく何かのせい、にすることは赦されるべきだ。
他に逃げ道がない人間には。

819N:2011/09/16(金) 20:34:10
そもそも、感情というのは、共同性との関係に起源がある、という見方も可能だ。
泣きも笑いも怒りも絶望も、そもそも共同体に向けられた心の発動だという見方。
つまり、心理学ではなく社会学の問題としての感情。

振り返ってみれば震災以後、
もっぱら「共同性」「共同体」(このふたつは違う)についての本を
中心的に読むようになっていることに最近気づいた。
震災の「記憶からの復旧」がマスメディアを主体に進んでいけばいくほど
どこかで、絶望が一瞬、この国の基調になった時の、
ある意味の「居心地の良さ」が減衰していく。極めて個人的な感じ方だが
絶望してるは俺ひとりじゃない、という雰囲気が、一瞬鬱を解消した。
資本主義に塗れたマスメディアに突如大量に登場した
ありふれた名も無きよるべない大衆の姿は、孤立した自分にとって
ひどく救いだったのは確かだ。彼らは、人を倫理的に指弾したり、
賢しらげにご高説をぶったり、才能をひけらかしたりしていなかった。
ただ、ひたすら自分の生活に集中してた。他人に構う余裕などもっていなかった。
再び、テレビが毎日同じような顔ぶれの「有名人」ばかりの世界に戻ってしまったことと
鬱の復活は関係があるように思えた。  

このレスにまとまりや落ちや積極的な主張と呼べるようなモノはないのだが
とにかく、噴き出しを見て、何か書かねばと書いている。
本当はもっと色んなことを整理できてから、書きたかったが、
おそらくは整理などできず、いつもの如く自分の中で完結し、
そのまま堰止め湖となってしまう予感に、破れ目を、堪った水の圧迫を穿つ小穴を、と。

820N:2011/09/16(金) 20:40:15
う〜、だめだな、どこかで俺自身が圧迫者に転化していきそうな。。

821N:2011/09/25(日) 20:59:41
人間というのは、自然性の中で誕生し、不自然に育ち、自然性として死ぬ。
自死は、自然性として死なず、不自然性のまま途切れるということなのかもしれない。
自然性としての自己生の帰結を知ることなく。

この考え方になにがしかの説得性があるとは、あまり思っちゃないが、
まあ、書いておく。

822N:2011/09/25(日) 21:24:05
3.11以後、ずっと考えているのは、「共同体」「共同性」についてだ。
被災した地域は、特に直接的な共同体性の強い地域、
つまり都市ではなかったことで、よりはっきり見えたものがある。

惣村的な直接共同体が、今も地域には深く根ざして存在し続けていること。
そういった第一次的共同体から見上げれば、
国家というのは共同体ではなく、メタ共同性であり、
つまるところ国家は直接的共同体ではありえないということ。
これを基本中の基本として共時的にも通時的にも眺め直してみるということ。

それとは別に、一次的な共同体、と、家族という最小の共同体
(子どもという「3人目」がいることで家族は共同体となる)との関係はどうなのか。
果たしてそれも「メタ」なのか。あるいはそこはメタでは解けない別の何かが働いているのか。

考えるべきことはたくさん、たくさんある。
少なくとも「自分の頭」で考えようとするならば。

823N (あるイメージ):2011/09/29(木) 20:03:53
我々の生を、例えば水中に漂っているとイメージしてみる。

不安が硬い壁のようになり、前方(未)来が塞がれると
人は壁に頭を打ち付けながら下向きに逆立する。

上下が正立していれば、入ってこない水が
どんどん鼻の穴から入り込んでくる。
実態は、上下が逆さになっただけなのに
まるで強い濁流に呑み込まれたような呼吸の困難さを覚える。

失神してしまえば、
沈んでいって水底にぶつかり、そこに横たわることになる。
身動きならなくなるが、代わりに、横向きの呼吸が現れる。

水底から見上げれば浮遊体は、必ず自分より上方にある。
自分は最下位の存在となるが、代わりに下からしか見えない視界 を得る。

上下逆さになって呼吸が苦しくなった時
わざわざ自分で自分の首を絞める必要はない。
自然に失神し、やがては水底に沈んで朽ち果てる自然の布置が訪れる。

浮遊しているものたちの知らない視座を、最後に得て。



(いろいろ考えている間に形成されていったイメージ)

あるいは底で静かに横たわっていれば(もがくのも自由だ)
知らない水流が、海底の砂をわずかに動かし、ぷかりと体は浮くかもしれない。

(敢えて、つけたすイメージ)

824N:2011/09/29(木) 20:08:12
この比喩的イメージ を書き込んでいるうちに
もうひとつの事が気になった。
水圧、だ。

海の表面近くと、海底近くでの水圧の違い。

おお、魚たちよ。深海魚たちよ。
そして地底で暮らす蟻たちよ。

もっとお前たちのことが知りたい。
俺はお前たちから学びたくなっている。

825N:2011/10/08(土) 06:29:59
「お利口ばっかりでも,たわけばっかりでもダメよね!」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jes2/NL/NL43_web.pdf
のP22〜23

常識や空気から外れた「たわけ」は
結果として母集団にとって有益だそうな。<蟻
「怠け者」も「働かないことそのものがコロニー
の存続にとって意味を持っている可能性」<カドフシアリ

わだばタワケになる

826N:2011/10/08(土) 06:45:07
怠け者にはもうなってるし

なんにせよ、アリとキリギリスのイソップ寓話は
ウソだな。ニーチェ流にいえば奴隷道徳だ。
“武士道”の異端「葉隠」も同じ。

827N:2011/10/10(月) 23:48:04
自己価値観を、共同体的なものに依って立脚させるのは
ひとつのポピュラーな在り方ではあるが、
俺は、生命論的な流れの中に、自己を位置づけるという
在り方も、もっとあっていい、と思う。

我々の身体には、数十億〜数億年の生命史が
宿っている。

828N:2011/10/24(月) 05:57:16
自殺衝動→殺人衝動は
生命に対する価値観の低下
で通底してる。

どこかが、あるいは何かが
硬直しているように思える。

どこか、あるいは何かを
具体的にさししめすほどの力量は
まだ持ち合わせていないが、
それが子どもに向かう場合は
明らかに、共同体からの疎外感が根底にあるように思える。
(宅間や宮崎。特に宅間)

829:2011/10/24(月) 05:59:05
※但し、殺人衝動→自殺衝動という連関は
必ずしも成り立たない。
生きるための殺害という動物の宿命が
もともとあるから。

830:2011/10/24(月) 06:17:58
「外部」から見ると、

子どもというのは
共同体への最も低い入り口
に見える。

子どもは親から共同体への移行を
始めたばかり、あるいはこれから始める初心者だから、
そう見える。

したがって、もっとも低い共同体へのハードルのように
外部者からは見える。
そのもっとも低い入り口(に見える)者に拒絶されると、
入り口を閉ざされたようシャッター感に駆られ、
絶望という硬直が起きる。
それが怒りに変わると、殺人衝動が発生するのではないか。

831:2011/10/24(月) 06:33:16
もちろんこれ(>830)は
特殊例(念頭にあるのは宅間)から
jじぶんなりにロジックだけを抽象化して
取りだしてみただけなので
まだまだ見落としや不足も多いだろうが、
こういう自分の頭で考えた基本線をもっていれば
様々なことを考えたり、他人の考察を聞く時にも
借り物や洗脳ではない判断レベルが
設定できるのではないだろうか。

大事なことは、他人の(むろん俺も含む)意見ではなく
直接事象なり情報(そこにある意図を見抜くことも必要だが)
を、「まず」自分で抽象化してみることだろう。

ただし情報には「誘導」を狙っているものが多い。
特に、語られていることではなく
語られなかったことに気をつける必要がある。

宅間が裁判長によって家族感情を口実に
口封じされたことは、罪深い。

832:2011/10/24(月) 06:45:04
なぜ、抽象化にこだわるのか。

情報に直接反応していると
自分で考えたり感じたりしているつもりでも
いつのまにか誘導どうりに考えさせられたり
感じさせられたりしている場合が多いからだ。

特に十代のころの自分を顧みてそう思う。

833:2011/10/24(月) 06:49:19
鬱に関しても、神経ホルモンなどの内因ばかりを
言うのは片手オチで
半分くらいは、情報群から発せられるメッセージに
原因があるのではないか、と最近考えている。

そうでなければ、ある国ではある時代に鬱が増え、
ある国では逆がある、ということの説明がつかない

834:2011/10/24(月) 06:51:55
むろんそれは「半分くらい」で
実際には、金があったり、フィジカルに健康が回復すれば
離脱する鬱も多いと思うが。

835:2011/10/24(月) 06:56:40
>>834 を抽象化すると「将来不安」
もっと抽象化すれば「不安」→「未来への切断感覚」
→「過去のみへの巡回」ということになる。

836:2011/10/24(月) 07:02:55
「笑い」の重要性は
それが「過去の切断」「リセット」を含んで事にある。

837:2011/10/24(月) 07:07:23
性欲は「未来への投企」を含んでいる。

ゆえに鬱ではこれらが低下する。
(逆方向、つまり 性欲低下・笑いの喪失→鬱 もありえる)

838:2011/10/24(月) 07:10:18
「低下」は甘いか。。 
はっきり性欲・笑いの「喪失」 というべきだろうな、経験上。

839:2011/10/25(火) 19:24:38
鬱状態は、無気力・無感動といった現象を呈したり
外観的にはぐったりしているように見えたりするかもしれないが
実際には、緊張状態にあるといっていい。

好むと好まざるに関わらず
なにか「課題」のようなものに襲われたり、取り憑かれたりしている。

ぼんやりとした状態で、もやもやと
真綿の首締めみたいな状態になる時もあれば
明確な形で強迫的に心を責め立てられる時もある。

強迫的にという部分では、ある意味
ノイローゼに似ているかもしれない。
ただノイローゼの場合体は動く。 時には攻撃的なほどに。

840:2011/10/25(火) 19:26:40
なんにせよ、
いろんな形で(精神的な意味も含めて)「硬直」している。
(自分の意志でそうしているわけではないのだから
 硬直させられていると言ってもいい)。

つまりリラックスすること自体が難しい。
リラックスできれば、それは脱している、と同義だと
いってもいいほどかもしれない。

以前、彼自身から教わった「入浴」は一時的に効いた。
(一日中風呂に入ってるわけにもいくまい)。
心だけではなく具体的にフィジカルも硬直していたのだろう。
ストレッチやマッサージ(接骨・整体)もいいのかもしれない。

とにかく強い殺意や希死念慮といった危険な状態の時に
一時的な応急処置として色んなことは試していいのではないだろうか。


精神的には、無駄なことをするのが柔軟性への手がかりになる気がする。

散歩するとか、風景や夜空を見るとか、
試したことはないが、アロマテラビーとか。
読めれば、だが、漫画とか、刺激の少ない映像(自然の映像など)も
無駄を承知で試してみてもいいのかもしれない。
(俺の場合、昭和なあだちみつるなどを読み返してみたりした。
 あれはテンポがのんびりしていて良かった)

選択はひとそれぞれ違うだろうが、
とにかく読めるもの(できれば何巻も続く長編がよい)を探してみるのも
ひとつの手としてあるのではないだろうか。


とりあえず基本は、狭く苦しい筒に閉じ込めるような課題がもたらす硬直を
なんとか解きほぐすことにあるように思える。
この方面のベテランに向かってとやかく言うのは
釈迦に説法だとは思うが、どうやら医者・薬なしに脱しつつある俺の
考えを書いてみた。

841:2011/10/25(火) 20:01:49
ようかいにんげん、か。。
ひとつショッキングな映像があるんだが、
ちょっとどうしたもんか、迷う。。

いわゆるフリークスものだが、、
こういうのは、ちゃんとした医学的所見を併せて観ないと
残像だけが残るしな、、  とりあえず保留。。

842zebla:2011/10/26(水) 11:31:51
>>841
診てみたいぞ。

843zebla:2011/10/26(水) 11:34:37
もとい、見てみたい、だ。
普段どんだけ病気関連文字打ってるんだおれw


こないだは死なないでくれと叫んでくれてありがとう。
あれは正直嬉しかった。



昔むかしは多分そういうのは重たく感じるだろうと思ったりしてた。
重たかったりうざかったり、多分そんな感じなんだろうと。


でも嬉しかったよ。
そして今は嬉しいと思えたことが嬉しい。
俺たちはおまいが好きだ。
おまいらが好きだ。
名のあるやつも名無しのやつもみんな、ね。

844:2011/10/26(水) 20:57:38
>>842-843

うむ。正直まだ迷ってる。
君らの中には子どもがいるしな。

だから自己責任で、という意味も込めて
検索のヒントだけだしておくことにする
(ちょっと卑怯だが、最初これを見てショックを受け
 作り物だろう、と思った。数年前だ。
 そして最近、同じ状態の別の少女の映像を見て
 作り物じゃなく、実際にそういうことがあるのだと知った。
 
 その状態に関する医学的な所見を述べているサイトを
 見つけて、それをじっくり読んでみると、
 よくあること、とまでは言えなくても
 割と医学的には認知されてる状態なのだな、と思えたので
 効果あるんじゃないか、と思ったんだが、
 
 ここ数日、何度も見てるうちに、
 その医学的な解説を越えて
 −―つまり彼女たちはフリークスではなく、人間には何%か割合で
 よく起きる自然現象のひとつであることを失念して――
 残像だけが強く残っている状態になってしまった。
 これはむしろ、悪影響を及ぼすかもしれない、とも考えるようになった)

845:2011/10/26(水) 22:01:54
ぐだぐだ書いているのは、ある程度、
ハードルをあげておきたいためだ。
それと、ある程度心の準備をしておいた方がいいかもしれないからだ。
どういう状態か、というと、脳がふたつ、体はひとつ、という状態だ。
こう書いて、ああ、あれか、と判ったなら
医学的所見を書いているサイトだけを紹介する。
(まあ、そこもリンクを辿れば写真はいっぱい載ってるわけだが)
しかし眼目は、その状態の白人少女
というか、少女たち(首がふたつある)が
実に堂々と一般のハイスクールに通っている映像と、
それを、受け容れてるアメリカ社会の強さなんだ。
彼女たちの状態は、結合双生児だ。 
−−−−−
いや、今試してみたが、余計なサイトが上位に来てしまうな。
医学所見を書いたサイトから辿るのが一番いいのかもしれない。。
tp://anima.x51.org/x/siamesetwins/siamse_twins_overview.php
この中に実名が上げられている姉妹の映像が、youtubeとニコ動にある。
(ニコ動には、投稿者によるおおざっぱな翻訳がついてるが
例によって、あのうんざりする書き込みどもが邪魔してよく読み取れない。。
ニコ動をみるときあれは消して見ることにしてるんだが
そうすると投稿者がつけた翻訳めいたものも一緒に消えてしまう。ったく…)

リンクの途中で気分が悪くなったら直ちに止めて欲しい。
ひょっとしたら、直接、彼女たちの明るい様子から見た方が
かえっていいのかもしれない。。
そっちが希望なら、メールで直接映像のリンクを知らせるから言ってくれ。
すまんが、とりあえずこれで。 

いいか悪いか判断がつかないのに
清水舞台で無責任に紹介してしまう事がこれほど疲れる事とは……
ぐったりだw……

846:2011/10/26(水) 22:16:50
あぁ、それと、悪い影響が出たら
恨み言を書いてくれ。今後の戒めとする。

847zebla:2011/10/26(水) 22:26:38
>>845
今見たが医学所見じたいは以前に読んだことがあるので衝撃はなかった。
主にブラックジャックでだがw
今の自分には検索能力が皆無といっていいくらいないので
直接紹介してもらえると助かる。
気味が悪ければ多分途中で誰かが消すだろう。
数ヶ月前にTVで低学年くらいの女児のシャム双子の話をやってたがあれかな?
と思いあたってみたりしてるがでもあれはアメリカじゃなかった気がする。

848zebla:2011/10/26(水) 22:27:29
>>845
下3行、その気持ちはよおーーーーくわかるよw
些細な悪影響でもぐちぐち言ってやるから安心してくれ。

849:2011/10/27(木) 17:45:56
>>847 メールした。件名「頭が二つある少女」
>>848 あぁそうだった。。
気遣いやおもんばかりのがんじからめ牢獄を突破して
なにか言ったり、したりする事は、君らにとって
「自由」を意味していたんだったな。

850:2011/12/28(水) 18:35:36
タターよ、まだいるか?

ロロメイの日本語wikiがあまりに寂しいので
著作リストなど投稿しようと思って準備してたら
Existence という著作の発行年度が1956年と1958年と両説あって
行き詰まってる。 
いろいろ調べてたら、ロロメイ自身のインタビューがあって
どうもそのへんに触れているように「感じた」んだが、
聴きとってくれないか?  
1957年と言ってる箇所があるような気がするんだが、、
http://www.thinkingallowed.com/1rmay.html

851:2011/12/28(水) 18:41:06
年内にもう一度は覗く。
正月は回避するかもしれんw

852:2011/12/28(水) 18:56:13
>>850 追加
50秒過ぎのあたり

853タター:2011/12/31(土) 03:58:06
うい。いるぞ。おひさ!>N

んで残念ながら仕事で煮詰まり中だ。
煮詰まりきったら逃避に聞くかも知れんが、たぶん年内はムリだ。
つか年内ってあと1日しかねえw

854:2011/12/31(土) 20:11:56
>>853
よう、タター。 おおみそかも仕事漬けか

どっちみち、図書館が再開して、不明の翻訳書の奥付と原著タイトルを確認できるまで
リストは仕上がらない。
(地元の図書館にない本が多いので、よその図書館からの
 また貸しをお願いすることになるので一ヶ月近くはかかるだろう)
というわけでまったく急いでいない。

インタビュー自体は4分強あるが、、その日付に関係する発言は、
(俺の耳できれぎれに聞き取れる単語をつなぎあわせた感触では)
たぶん最初の50秒目からの数十秒だけだと思う。

Existence という本は、単著ではなく、当時のヨーロッパ実存主義者たちの論文などの
紹介・翻訳をメインにした共同編書のようだ。
という予備知識があれば、より聞き取りはスムースなのではないか、と愚行する次第。
(俺が「感じた」単語は「エディット」「ヨーロピアン」の二つだけだw
 それを結びつけて、「ナインティーン・・・」と言ってる部分が、その本を出した年だと
 言ってるのではないかと「疑ぐっている」。ひょっとしたらその本の編集に取りかかった年だと
 言ってるのかもしれんし)


なんにせよ
返事ありがとよ。

855タター:2012/01/05(木) 04:31:55
問題の箇所だけさっくり聞いた。

インタビュアーが
「サルトル、キルケゴール、ハイデッガーらの実存主義がどーとかこーとか…」と尋ね
ロロ・メイが50年代、60年代に出版社からの勧めで上梓したExistenceについて
話してるっぽいところで、たしかに「57年」という単語を言ってるな。

↑ここをちゃんと聞きなおそうと思ってるんだが、
新しいPCにしたら、なぜかYouTubeを見るとフリーズするんだ。
たぶんディスプレイドライバのせいだと思ったんで、
新しいドライバをダウンロードしたんだが改善しない。

古いPCならたぶん問題なく見られると思うんだが、
こっちはHDDの容量ぱっつぱつで動作が超絶遅い(悲

すまんが、もうちょい待っててくれ。悪いな。

856:2012/01/05(木) 19:30:04
関係ないが>>855
図書館が開いたので、Existenceの翻訳と思われる本を
他の図書館から又貸ししてもらう手続きをしてきた。

その本に原著名が載っていて年度が書いてあればその年度をwikiに載せ、
「本人はインタビューで57年発行と言っている」と注を入れる形になる。
(「注」を入れるための書式がまだ1㍉も判ってないがw)

要するにまったく急いでいない。

ということを強調したうえで、該当箇所とおぼしき部分を切り取ってupしたw
http://jp.myspace.com/video/1005012121/rollo-may/108452019
関係あるのは最初の20秒だけのように感じる。

言われてみて「出版(上梓)」を和英で調べ、
もう一度聞いてみると
確かに「パブリッシュド」と言ってるように聞こえた。
そのあと「リライト」と言ってるように聞こえるのも気になるが。

とにかく、「失われし自我を求めて」の1953年から
1961年の「実存心理学」(英語版wikiには載ってない)までの間に
ロロ・メイが出した本はおそらく「Existence」一冊だけなので、
このインタビューで言っているのが、問題の本であることはほぼ間違いない、と思う。


ついでに、関係ないが、
日本人は絶望的に英語をしゃべれないのだ、
という池谷裕二の嘆きは「へえ〜、そういうもんなのか」と、蒙を啓かれた。
『カタカナ英語でいいんじゃない?』
http://gaya.jp/english/katakana.htm

857:2012/01/05(木) 19:32:26
冒頭の「関係ないが」は、最後の蛇足文の「関係ないが」
がなぜかコピーされて冒頭に貼り付いてしまったようで、
まさに、まったく関係ないので、無視してくらはい。。

858:2012/01/05(木) 19:40:00
関係ないついでに書くと、上の池谷(『進化しすぎた脳』の著者)のHPにある
西洋名画壁紙チェンジャーアプリはなかなかいい。
XP以後では動作しないようだが、、
古いパソコンに入れて流しておくと、気分転換にとてもいい。
http://gaya.jp/programs/ArtWall.htm

859タター:2012/01/21(土) 13:55:40
>856
切り出しサンクス!
ようやく仕事が一息ついたんで、この週末にでももう一度聞いてみる。
遅くなってスマン。

しかしアレだな。
何の知識もない分野を聞くのは厄介だな。
音声は拾えても、背景がわからんので、内容がち〜んぷんかんぷんだw
Nが折々に書いてたレスを思い出しながらの拾い聞きだった。

860N:2012/01/22(日) 09:21:14
>>859
他県の図書館からの取り寄せは、相手図書館で予約がつまってるようで
いつになるかわからんと言われた。
ゆえに、相変わらず急いでいない。
(もうリストはできてて、あと該当書の奥付を確認するだけなんだが)


>音声は拾えても、背景がわからんので、内容がち〜んぷんかんぷん

うむ、おっさんにとってのギャル語みたいなもんか。
母国語でも専門用語を羅列されればちんぷんかんだしな。
ともあれ
こっちは専門用語がとびかっているのかどうかすら判らんレベルだw
どっちかというと、あれは雑談っぽいのかと思って気軽に頼んだが、
悪かったかな。

いちおう再度書いておくと、知りたいのは
1957年に「出版」した、といってるのか、
出版の準備を始めた(編集・執筆を始めた)、と言ってるのか、「だけ」。

しかし、まぁ、
言葉というものは、結局
「イメージを喚起する」道具にすぎないのかもしれん。
(数学も含めて。 ただ
 日本の法律、役所・契約文書はわざとイメージを喚起させないよう書かれてる気が
 しないでもないw)

861:2012/02/01(水) 20:05:20
>>859
他県の図書館から本が届いた。
1958年できまりのようなので(ロロメイの序文に1958年2月とはっきり記されていた)
もし、あのインタビューで1957年に出版したと言っていたとしても、
本人の記憶違いだろう。

騒がせてすまなんだ。 

wikiに試し書きしてプレビューしてみたらあちこちわけのわからん事になってるんで
これから書き込み用の記号をコツコツ勉強だw

862タター:2012/02/03(金) 08:23:57
>>861
うわー、スマン!

前のレスんときの週末に聞くつもりだったんだが
次の仕事が早まったもんで急にバタバタしちまって
とりあえずNに一言残そうと思ってここに来たんだが……

ホント、スマンかったーー!!

ついでに、はるか昔にやると叫んだ『Primal Scream』も
覚えてはいるんだが、どーにもこーにも……
年単位で気長に待ってくれ。
Nにもロイ達にもまとめてあやまっとく。悪い!!

863N:2012/02/04(土) 23:17:49
いや、こちらこそ気軽に頼んで悪かった。
”パブリッシュ”が聴き取れただけでも収穫だったのだ。

『原初の叫び』は、ひょっとして実存主義っぽいのだろうか(年代的に)。
ロロ・メイ読んでるとアメリカの50〜70年代はかなり実存主義が盛んだったのがわかる。
日本だと同時期大江けんじゃぶろうのサルトル傾倒が表面的に一種の流行だったようだが。
ま、大江はまだ翻訳されてないサリンジャーとかの文体をパクったという噂もあるけどw

kusamuraを使ってくれても構わんぞ。
原文を小分けにして、それを引用タグで前後はさんで
とりあえずスレッドを立ててしまうのだ。
あとは、気が向いたときに、それを見ながら、ああでもない、こうでもないと苦心してみるのだw
(何度でも書き直しできるのがあそこの利点)

864N:2012/03/16(金) 22:40:10
吉本隆明 死す、、、、

865N:2012/03/16(金) 22:47:02
http://www.47news.jp/47topics/e/226748.php

866N:2012/03/22(木) 00:49:58
怒りについて想念が浮かんだので
木の葉に乗せて流しておこう。

怒りは、個の内部にたまっている場合、
行動のエネルギーになることもあるが、
エネルギーの出口がないと自らをむしばむ場合もある。

もともと、怒りというのは外部との関係で現れる感情だ。
外部からもたらされるものは外部に押し返すのが本来だ。

問題は、「外部」をどういうふうに捉えるかだ。
漠然とした外部のままなら、目の前を通る他者たち、ということになり
アキバ加藤のようになる。
直接・具体的な相手だと、祖母殺しの彼のようになる。
もっとも彼は、「大衆」という外部を言葉でつくり、その代表としての祖母へ
刃を向けたわけだが。

俺は、具体的な、あるいは一般的な社会問題に転嫁した「外部」を設定するのが、
一番、楽な気がする。
相手の巨きさゆえに、解決の道のりが長くなり、
怒りのスパンが長く薄く引き延ばせるような気がするからだ。

政府の、あるいは国の、悪口が言える社会は、近代的な意味で健康な社会だ。

867N:2012/03/22(木) 00:53:35
ふむ。
あたまの中でだjけ、考えていると、もっと先まで想念は進むのだが
こうして、書き流し始めると、次の言葉がうまく出てこなくなった。

木の葉流し瞑想法は、確かにききめがあるようだw

868N:2012/03/22(木) 01:08:30
と、思ったが、やめたとたんにまた想念が溜まってきたw

中国、北朝鮮、戦中の日本、これらはいずれも
言葉に対する憲兵的干渉が行われ、
言葉にタブーを設けることで、国というメタ構造を維持しようした(している)政体社会だ。

言葉にタブーを設ける社会は、現・近代的な意味では
健康とはいえない。
国という共同幻想は、法という言葉で、あるいは宗教という言葉で成り立っているからだ。
(むろん、軍隊というものの所有が、国家成立の最低条件ではあるのだが)

言葉で成り立っている共同性において
言葉にタブーを設けることは、共同性の発展の阻害となるのは自明だが
そのことは、残念なながら、一般的な共通認識となっていない。

日本が活力を失ってきたのは、放送禁止用語なるものを筆頭に
言葉に「さわり」を作り始めてきたのが大きい。

869N:2012/03/22(木) 01:22:21
途中で、enterキーに指が触れてしまった。。l

前段最後、
言葉に「さわり」が出る、という言葉遣いは吉本のものだ。
このとき、吉本が批判した相手は、
読売TVかなんかのディレクターだかプロデューサーだかで
放送禁止用語を始めた男だ。

そう、もともと、放送禁止用語というのは、TV局が寄り集まって合意されたような
経緯ではなく、
たったひとりのプロデューサーだかディレクターだかが始めたものなのだ。
そのときはたしか「女中」ということばはけしからん、というような事だった。

その男は、このあいだネット検索したらどっかの大学教授かなんかになっていた。

想念が脇にそれたが、
ともかく、
言葉にタブーを設ける社会は、必ず、むしばまれる。
直接的、目先の統治としての言論統制はきわめて協力だが
迂回路を通して、必ず、社会を萎縮させ、ひいてはメタ共同体をおかしくする。

だから修正が働く。紅衛兵が一般大衆を糾弾してまわった文革しかり、
戦中の日本しかり、現在の北朝鮮しかり、さかのぼれば
禿童子が京の街中で、人々の話をスパイしていた平家政権しかり、だ。

うむ。
想念が千々に散ってきた。これも流し効果か、
いや、単に俺のあたまが長い言葉表現に向かなくなってきているのか。

きょうはこのへんにしといてやろう。(むろんここは吉本のちび芸人口調だw)
                               ↑
                           名前がでてこない。。w。。

870N:2012/03/22(木) 01:25:02
言葉にタブーを設けるほど罪深いことはない。
たとえ、それが敬神や善意であっても。

「善意の道は地獄へ通ず」

これも吉本で知った言葉のひとつだった。

871N:2012/03/22(木) 01:33:09
思い出したが、もちろん社会主義大国だったロシアもしかり、だ。
ソルジェニーツインの収容所列島には、ことこまかに
相互監視・牽制社会のありさまが描かれている。

スターリンの写真が載った新聞紙のうえに腰掛けただけで
逮捕されシベリア送りになったとか、
お偉いさんの演説が終わったとき、誰が最初に拍手をやめるかを
監視しあい、その結果、いつまでも拍手が終わらないとか、
そんなのを覚えてる。

872N:2012/03/22(木) 22:44:58
>>869 <吉本のちび芸人

思い出した。 池乃めだか だw

873N:2012/03/22(木) 22:52:48
>869
ついでに訂正。 >きわめて協力→  きわめて強力
ついでに補足。

「だから修正が働く。中国文化大革命、
戦中日本の憲兵による見張り制度および隣組監視制度、云々」

これらはもともと、人々の自然な心理を権力によって強圧的に抑制することに
一時的には成功するが、
結果、体制自体が不自然で歪んだものになるので
長くは続かない。

日本は原爆を落とされ、敗戦した。
ソビエト連邦のような世界を二分するような勢いをもっていた強力な体制ですら、
結局70年くらいしかもたなかった。
紅衛兵運動の元締め、元・毛沢東夫人は5人組のひとりとして死刑になった。


むろん、それぞれの社会で生存せざるを得なかったものにはそれぞれ後遺症が残ったし
それよりなにより、その体制下で生存を続けられなかったものが万単位でいる。
カンボジアのクメールルージュもそうだ。
めがねをかけているだけで「知識人」と「レッテル貼り」され、
「思想改造」教育として農村へ送られたり、殺されたりした。

こういったものとベクトルとして同じなのが
「空気読め」主義だ。
俺は大嫌いだ。

874N:2012/04/07(土) 22:30:34
誤解されたくないので付け加えておくと
別に空気を読む人が嫌いなわけじゃない。
それ自体はその人の生き方だから俺なんぞが文句いう筋合いはない。

空気を読めと
まるで当然の正義のように人に「強制」する言動を見かけると
なんかしこりのようなものが煮えたぎる。

875N @チラシの裏:2012/04/28(土) 20:11:05
半分くらいは書いたwikiのロロ・メイの履歴が
イタリアwikiで採用されてた。
アメリカwikiの翻訳を無断ですると炎上するようだが
おとなしい日本人の俺はどっちかというとウレシイwwんだが
他に書くとこがないんでここでw

で、その履歴を書くときの参考に古本屋で買ったロロ・メイの講演の中に
「自分の中心」という考え方があった。
そこからいろんな敷衍が浮かんで拡がって、いずれ書きたいと思ってるんだが
ここに書くか、kusamura掲示板に書くか決めかねている。
GWの間にどっちかに書けたらなあと思ってるんだが
ま、なんか知らんが疲労しているのでそれがとれたらの話。

876N @チラシの裏 2:2012/06/01(金) 06:16:40
自分にプレッシャーを与えれば、少しは書けるかと思ったが
GWにはすこし「出来事」があって、そのあと、
頭がうまく働かなくなって(特に抽象的なことに関して)結局どこにも書けなかった。

レジェメ風に書き留めておくと
○自分の中心−対幻想においては、自分の分割
         -共同性からは、自分への侵入

○実存(我有り)は、
ロロメイら白人にとっては、「意志」の問題になるのに対し
東洋では、むしろ実存は、「無我」の境地へ向かう傾向にあるということ。

○実存は今では思想界の問題ではなくむしろビジネスマンなどの実践領域の問題になっている
我有り、世界と対峙す。 西洋的
我、世界に溶融す。  東洋的

など。
ここ最近の頭の調子からは
これらを、丁寧に、他人にもわかるように書くというのが苦痛でおっくうだ。
むしろ鬱の時のほうが頭は働いていた気さえする。
気分が沈んでいるときのほうが人はよく考えるのかもしれない。

877N @チラシの裏 3:2012/06/02(土) 22:01:51
>自分への侵入

たとえば、深夜のまったく人気のない交差点で
信号が赤だと、どこにも車の陰も形もなくても
なんとなく立ち止まってしまったりする。
(結局ばかばかしくなって渡ったりするが
 どこかひっかかりをもったまま渡ったりする)

共同性が自分へ「侵入している」というイメージは、
身近でいえばそういうことをさす。
あまりエッジの効いた例ではないが
なにも例をあげないより「感じ」がすこしはわかるのではないか。

おおげさにいえばこういった例がハイデッガー先生のいう
「世界=内=存在」ということにも通じていくし、
状況に応じて形式的な交通法規より自分の判断を尊重して信号を渡るというのは
白人が重要視する「意志」のもんだいにも通じていく、と思う。

878N (入院話):2012/08/03(金) 21:15:21
>>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1300368303/190
入院そのくらいで済むもんなん?


救急車で運び込まれた第2日赤病院で、最初は、
その晩のうちに帰宅して、骨折に関しては近所の病院で相談してくれという話だったんだよ。

それがCTで脳内に出血が見つかって、急遽、入院になったんだ。

で、救急病棟3日間−脳外科病棟2日間、脳のCT検査をメインに行われ
脳内の出血に拡大が見うけられない、ということで、
主治医が脳外科医から整形外科医に変わって整形外科病棟に移動したのが6日目。

移動した次の日に、やっと骨折の手術を受けた。
(全身麻酔、執刀医2名−3時間)

その時の説明では、全体で3週間の入院予定を提示されてたんだが、
俺が、手術2日後、挿れられてた尿道カテーテルを抜かれた次の日に
自力で立ってトイレまで歩いていけたので、
術後9日ほど経過を見る予定だったのが、4日目に「退院してくれ」といわれ
追い出されるように、退院させられたんだ。

このあたりに関しては、実は主治医とモメたんだが、ちょっと
いま、キーボードを長く打つのが、きついので、省略。
興味があるなら、サイド質問してくれれば、また改めて書くよ。
 なんつうか、
 今回の入院を通じて、なぜかしらんが、俺は個人特定されてもかまわない
 という気分になってんだ。
 
すぐにいろいろ書くのは、「身体的に」まだすこしきついが、
精神的には、この件に関して,質問があれば、
たいていの事には答えるつもりでいるから、書いといてくださいませw


なお骨折に関しては、
全治まであと2ヶ月ほどかかる、と言われてます。

879A ◆CPjaa6Nup6:2012/08/27(月) 06:42:13
わお、何ゆえ4日で???

880N (入院話):2012/08/28(火) 07:24:37
>>879
第二赤十字は救急も多いので、ベッドを開けてほしい、と言われたのだ。
それなら、ここは通うには不便だから、近所の病院に紹介状を書いてくれと頼むと
「それはできない」と言う。
近所の病院にも電話したのだが、「紹介状」がないと診るのはむずかしい、と言われた。

救急で運び込まれた時に診てもらった整形外科医は、手術の担当ではなかったが
「どうしてもというなら紹介状を書かないこともないが、」と言ってくれた。
しかし、主治医には3回ほど言っても「絶対に紹介状は書きませんから」と言われ
「これは、追い出されるという感覚だ。
 一階で対応ボランティアにここまでのバス路線を尋ねたが、ここへは直通のバスもないし通院はしんどい。
 納得して通院に変えるということではないことだけは しっかり認識しといて欲しい」 
 と言った。 

 以来その主治医は、表面的には低姿勢だw


退院した日は、乗り換えなしで行ける最寄りのバスまで2kmほど歩かねばならず、
炎天下を荷物を左肩に下げ、右肩は三角巾で歩いてて、途中で気分が悪くなり、
結局通りがかったタクシーを止めた。
目的地までの値段を聞くと「800円くらいですかね」というので乗った。

タクシーの中でも、事故の経緯やら、
主治医がどうしても紹介状を書いてくれない、という話をしてたら
タクシーの年配の運転手も、おかしな話ですね。だいたいレントゲンとかは誰のものなんでしょうね。
と妙に話がはずんだw

目的地につくと運ちゃんは
「ほんとは800円超えてますけど、退院祝いということで800円でいいです」と。
実際は1000円をすこし超えてたらしいが
ありがたく好意に甘えたw


そもそも、
緊急で運ばれたときも、最初は「数時間休んだら帰って、近所の謬院で診てもらってください」
と言われてた。
骨折くらいで入院はさせない方針の急性病院なのかもしれない。
結局、脳挫傷で頭内出血してることが判明して急遽入院することになったのだ。
だから、
最初は救急病棟でも病室の外に出ることを禁じられてた。
勝手に部屋を出られてそこで倒れられたら困るから。

4人部屋だったが、毎日朝夕おきまりの質問があった。
「名前」「今日の日付」「いま居る場所」の三つだが
同室の者は俺以外は全員、「いまいる場所」が答えられなかった。
そのレベルが入院する病院だったのかもしれない。

そのあと変わった病棟も「脳外科病棟」だったし、
骨折の手術は、あくまで脳の経過を診る課程で、ついでにした、という感覚だったのかも。

881zebla:2012/08/28(火) 15:57:53
大変だったね・・・
今もまだ通院してるの?

882N (入院話):2012/08/29(水) 08:31:08
>>881 週一回ペースで通院してる。

一回目はギプスの痛みがひどかったので予定日より早く行った。
このとき、市の交通局に電話して訊いたところ
病院から教えられた2km離れたバス停よりは近いバス停があることがわかったので
歩行に困難を感じていた初期にはかなり助かった。 
しかし11時に着いたが結局2時まで、三時間待ちだった。

2週目は脳外科と整形外科が別の日に予約を設定していたので同じ日に設定し直してもらった。
そのため、整形の主治医ではなく、2人で手術をしたもうひとりの方にかかった。
毎回、行くたびギプスをまき直しているが、
こちらの医者のギプスの巻き方はうまかったので傷みは軽減した。

先週は、親指と人差し指の間から外に出ているワイヤーを抜いた。
このワイヤーがギプスに当たると痛かったのだ。

いったいこのワイヤーがなんの役割をしていのか未だにわからない。
局所麻酔かなんかして抜くのかと思っていたが、
いきなり指でつまんで引っこ抜かれたw かなり痛かったが一瞬で終わった。
抜いた後が化膿してないかどうかみるため、2日後にもう1度来てくれと言われたので
交換条件として、今週は休みを勝ち取ったw
やはり主治医のギプスの巻き方が下手で、けが以外の場所が痛んだりする。


ギプスが取れるまでは通院させらると思う。
そして、骨がついてるかどうかは
骨を繋いでいるプレートもレントゲンだと同じように白く撮影されてしまうため
レントゲンではよくわからないらしい。
けっきょく、主治医の主観で骨折関連の通院期間が決まるということのようだ。

最終的には、
すでに来年の2月に決まっている脳のMRI撮影をもって
正式に通院が終わる(脳の画像が正常ならば、だが)ことになるのだと思う。

883A ◆CPjaa6Nup6:2012/08/30(木) 14:35:40
骨がそんなに。あちこちポキポキ?!

884zebla:2012/09/01(土) 07:35:21
大変だったねぇ。
通院も大仕事だね、こりゃ。
早くに回復していきますように。


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