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<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>

758N:2010/12/14(火) 19:01:22
もともと、プラトンあたりからニーチェに至るまで
エリート優越・大衆侮蔑思想はある
だが、実際に権力の座にいるものは大衆の命運を両肩に担うわけで
大衆侮蔑なんてのんびりしたことは言っていられない。
ヒットラーでさえ、ドイツ国民ドイツ大衆(民族)の命運に対する強い使命感をもっていた
十七条憲法でも、本当のエリート(天皇関係者)は
豪族官僚たちに対して、「もっと民の都合を考えよ」と説教している。
大衆侮蔑論は無責任な知識人(大学教授)、小官僚あたりの戯れ言にすぎない。

エリートを白人、大衆を黒人、というふうに置き換えれば
そのまま、プアーホワイトの差別意識とたいして変わらん。
あるいは、エリートをゲルマン民族、大衆をトルコ移民と置き換えれば
ネオナチの下層階級の若者の考えと同一になる。
まして、エリート家庭に育った16歳の朝倉少年はまったく大衆というものを知らない。
たとえば 「受験戦争反対」を唱えていたのは大衆ではなく
進歩的知識人と呼ばれたものたちだ。
彼は、勝手に頭の中で作り上げた大衆、という幻影を相手にしているにすぎない。
リアリティがまったくない。足のない幽霊相手に力んでいるだけだ。

ドストエフスキーの罪と罰では、
ラスコリニコフがエリートは法を超越する権利がある、として
金貸しの老婆を殺害する。
ドストエフスキーの父親は末端の地主階級で
自分の土地の住民に殺されている。だから、ドストエフスキーには
大衆侮蔑思想を書く理由をもっていたが、
様々な苦労を重ねてドストエフスキーはロシア大衆主義というべき思想にたどり着き
(これは初期のドストエフスキーが関わっていた左翼運動とは異なる)
罪と罰の最後で、ラスコリニコフはロシアの大地に接吻し懺悔する。
もちろん、
16歳の小秀才坊やにそんな深みを求めることは無理な話だけどね。
どうせ偽善としか受け取れないだろう。平凡な生活者の種々の苦労が見えてないのだから。

759N:2010/12/14(火) 19:15:27
にも関わらず、これらのノートに一種の迫真性があるとすれば
それは、真剣に思い詰めて書かれているからだ。

760N:2010/12/14(火) 19:27:58
この「真剣さ」がどこに向かうか、というテーマは自分的に興味深い。
朝倉から離れ、一般論として「真剣さ」というものを考える。

「真剣さ」の対象に、年代的な指向というものがあるのではないか。
きっちり詰めて考え抜けたわけではないが

一般的には

学童期 真剣さは「遊び」に向かう

思春期 真剣さは「内面」に向かう
      あるいは真剣さは「性」に向かう

社会期 真剣さは「仕事」に向かう
      この場合、
     「家族」は仕事に対する真剣度に反比例して等閑視される場合が多い

老人期 一概にはいえないが、死を意識した時
      真剣さは「生」そのものの検討に向かう ある意味思春期に戻る

女性の場合 真剣さが「恋愛」に向かうことも多いようにみえる
      この場合時期はあまり問わない気がする
      それらは個人の発達史より、類の生命史から来るものに思える

761N:2010/12/14(火) 19:33:15
上記はあくまでおおざっぱな一般論で
個別的にはいろいろありうるだろう、と思う
「趣味」に向かったり「思想」や「運動」に向かったり
いろいろありうるだろう。

要は、真剣さがどこに注がれているか、という視点は
自分的に新発見だったという話。

762N:2010/12/19(日) 15:08:57
朝倉の祖母の場合
亭主は書斎に閉じこもりきり、娘は脚本書きで忙しい
家で自分の存在を確認できる相手は孫だけという状況
真剣度の向かう相手は、泉しかなかった

直接関係ないが、三島由紀夫も祖母によって母から切り離され育った
太宰治も母親の記憶はほとんどなく「津軽」では乳母を探し求めて出会う
ふたりとも東大に行き、ふたりとも自殺した

朝倉泉のばあい、自殺衝動が、殺人衝動と連動してるのかもしれない
自殺は 自分の命に価値を認められなくなることで
他者の命にも価値を感じられなくなる

763N:2010/12/19(日) 15:21:45
【子どもについて】

○子どもは目の前のものしか見ない。

目の前のもの(こと)だけが、その時々の世界そのものとなる
その背後にあるものはまだ見えない
アンパンマンは目の前に出現するものであるから
子どもにとっては実在だ

その背後の作者・梁瀬について想像することはまだできないし
その漫画・アニメの現前の奥を見るということもまだできない

○子どもの記憶
フロイトによると小児は、たいてい5歳以前の記憶を失う
これを「小児健忘症」と言っている

目の前にあるもの対し、それにどう反応するかが全てだとすれば
子どもがあるものを認識するのは、そのもの(人)と直接かかわったときに
どうだったか、楽しかったのか、怖かったのか、気詰まりだったのか、
記憶は、かつてのそれが目の前にいた時の感情と結びつく
それは、エサを与えるベルを聞くと涎を垂らすというパブロフの犬の記憶と似ている
条件反射というやつだ

脳がまだ未完成で発達中(いいかえればどんどん作り替えられている)の子どもは
記憶より条件反射のほうが脳の仕組みに残っていくのかもしれない

764N:2010/12/21(火) 19:22:10
【言葉と沈黙】

今年の正月にもNHK教育で再放送が行われた吉本隆明の講演を
自分なりに要約すると

「言葉において、伝達は二次的、三次的であり、
 言葉の本質に於いては、
 自分の内部の沈黙に形を与えることが第一義である」

と理解した。
このような言葉に関する理解は、アカデミックな言語論には
(俺の知ってる範囲では)ほとんど類例がないと思われ
アカデミーからは無視されているが言葉の本質に関する重要な認識だと思える。

(ここから先は、俺個人の敷衍になる)

伝達より、自分の沈黙に形を与えることのほうが、まず言葉の本義だとすれば
(自分の実感からそれは正しいと思っているが)
うまく人に伝達できない人は、
それだけ内部にある沈黙の量が多いのだ。

その多量の沈黙がどうような経緯で貯め込まれたかは置くとして
それに形を与えることに真剣度が集中し
伝達は二の次三の次になるのは、当然だ。

吉本流に言葉の本義を、まず「沈黙に形を与える」ことにおくなら
そうなる。

765N:2010/12/27(月) 18:56:59
>>751
ようやく図書館にリクエストしてたのが届いた、と先週連絡が来た。
ずいぶん時間がかかるんだな。

あの複雑な仏教の種々の党派を粘り強く整理してるなと感じた。
巻末を見ると相当量の解説本を読破してるようで
確かに仏教というのは、直接原典に当たっても、わかりにくい箇所が多く
解説本を読むという作業をサボってる俺には「あぁそういう前後の事情があったのか」
と参考になったところも多かった。

ただ悟りに関する「全体ドカーン」という表現には微妙に違和感がある。
「全体ドピュン」とか「全体じゅわん」とか程度じゃないだろうか。

言葉が「分けることだ」という認識は俺も同じ認識だが
その元になる「全体ドカーン」のイメージが少し俺は違う。
俺の知ってる「全体ドカーン」は
移植医療の本で読んだある先天的全盲者の話からきてる。

ある先天的な全盲者が、移植手術(確か骨を使うのだが記憶があやふやなので確言はできない)
を受けた。
手術後数日して、いよいよ目を覆っていた包帯を取り目を開けたとたん
その全盲者は悲鳴をあげ、目を閉じた。
一気に強大な白い光の固まりが全盲者を襲い
その恐怖からその全盲者は二度と眼を開こうとしなかったそうだ。

ものが「分けられていない」状態の「全体ドカーン」は
その全盲者を襲った光のかたまりのようなものだ。
(厳密には、悟りの「自分も他も一緒くた」とは異なるが)

他にも色々、違和感も含めて刺激はあったが、
とにかく
紹介してくれてありがとう、と書いておきたかっただけなので省略。

766N:2010/12/27(月) 19:00:12
[遠近法①] 

目の前への全力集中が時間軸に沿って
次々、印象を積み重ねていくという子どものあり方。

そこから、
それぞれバラバラに積み重ねられてきたできごとの奥に「なにかがある」
という気づきの始まるのが思春期。
「なにか」があるというところまでは気づいても、
具体的にそれが何かにということについては思い悩み考え悩みいらだつ
というのが思春期。

もっとも単純に考えれば
「敵と味方」という図式が最初にくる。
いやなものと気持ちいいものの区別は子ども時代の印象から直線的に
図式化しやすい。

(この項は、ぼちぼちと続く予定)

767N:2010/12/27(月) 19:16:37
>>765 追加   そういえば、主役の「まなぶ」というネーミングだが、
このweb漫画(オーシャンまなぶ)にインスパイアされてるんじゃないかとか勝手に思った。
http://t-taks.com/

768N:2010/12/29(水) 19:48:36
世界が沈黙しているのではない。
自分の中に沈黙がある。

769N:2010/12/29(水) 20:01:22
沈黙にどういう形を与えるかによって
世界の見え方が異なってくる。

言葉を馬鹿にしてはならない。

だが個人の言葉はいつも限定的であり不完全だ。
個人が世界を完全に理解することなどありえない。
そんな人間はいままで1人もいないかったし、これからもあらわれない。

世界の数百兆分の一でもわかればそいつは偉人だ。
だが、ひとつ正しいことを知っているからといって
そいつのいうことが全て正しいということにもならない。

言葉を馬鹿にしてはいけないが、言葉を畏れてもいけない。
形の与え直しは何度でもできる。
内省力さえあれば。

770A ◆CPjaa6Nup6:2011/01/04(火) 21:13:03
にゃあ

771HRK ◆l/an/smhrk:2011/01/08(土) 11:40:25
吉本隆明 ラジオ版 学問ノススメ
http://www.jfn.co.jp/susume/

772N:2011/01/13(木) 18:11:11
わん

773zebla:2011/01/14(金) 23:09:22
ばうばう

774N:2011/01/16(日) 15:12:49
松村邦洋かっ!w    

くっかどぅーるどぅー

775zebla:2011/01/19(水) 23:55:39
ぱおーーん

776N:2011/01/20(木) 19:31:58
ぶひー

777N:2011/01/25(火) 03:33:10
ほんの数時間寝て目をさましてしまったが
今とても気分がいい  いい夢をみたからだ
もういちど眠って覚めれば忘れてしまうかもしれない だから記しておこう

夢はこうだ      (*長くなったので分割)

778N:2011/01/25(火) 03:38:03
むかし「僕」と仲の良かった人物が ある人物の言葉に腹を立てていて
「僕」は彼と散歩をする 彼が
「もう、町の風景がつまらない」と言ったので「僕」は
さいきん自分が発見した風景論を話しをはじめる。

風景は成長期とともにある。
成長を終え、年齢が重なりだすにつれて、変わりゆく風景はもう自分と共にはなく
風景から疎外されてしまうから、齢をとるにつれ、町の風景ではなく、
自然のほうに心が慰められるようになる。

そんな話しをしながら、
ある路地を抜けると、鄙びたまちの一角に、
懐かしいのに新しいような、リニューアルした地蔵さんのような
新しい一角を発見する。

「へー」と思いながら
覗くともなく、そこに接近し、表の竹製の着物スタンドに掛けられた
麻の着物に目をくれながら角を曲がりかけると、
「うちは、名古屋大学の○○支店なんどす」
と、店の奥まった階段上にいる、
和服姿で落ち着いた感じの30代の女性が上からこちらに声をかけた。

彼女の言ってる意味はよく判らなかったが
「あぁ、そうなんですか」 と生返事し、
その麻布の着物の前にしゃがんで、すこし手を触れると
「あらあら、それは触ってもろては困ります」と
着物の女性から笑いのこもった声で釘をさされた。
そこは夢だから都合よく「僕」は表を触らず内側に手を入れて麻の手触りを味わっている。
「まぁ、内側やったらよろしおすけど」
と女性はニコニコしながら柔らかな目で
許してくれる。

そこで目が覚めた。

779N:2011/01/25(火) 03:52:39
ほんの数時間しか眠っていないのに
ゆったりした素晴らしい気分だった。

ゆったりと流れた楽しい時間の余韻がまだ残っている。

楽しいのは、消費ではない。
消費には一瞬の快楽しかない。
その麻の着物を買う気などさらさらなかった。

楽しかったのは、その店先でのゆったりとした会話とも言えない会話や
買う気もないのに麻布を触って、むこうもこの人は買わないと判っていながら
ゆったりと話しかける、目的のない時間、
最近覚えた経済用語で言えば、債務のない時間とでもいうような
ゆったりした時間の流れだった。

780N:2011/01/28(金) 23:02:35
一度寝て、目覚めたら、
ネハンは消えていた

考えてみれば、こういう状態は
以前は普通にあったかもしれない
好きな音楽を聴いているときとか

なんにせよ、記しておいてよかった。
なにも状況は変わっていなくても
心しだいでネハンは来ること を覚えておけるから

781A ◆CPjaa6Nup6:2011/02/04(金) 06:53:36
>780
ネハン=涅槃?
nirvana

782N:2011/02/04(金) 18:29:06
そう。 ライトな感じで表記してみたw
四時間くらいしか続かなかったけどね。
悟りもネハンもそのくらいのライトさで考えていいんじゃないかと。

そういや曹洞宗の総長とか首つり自殺してるんだぜ
悟りもくそもねえや

783N:2011/02/04(金) 18:55:20
調べたら、臨済宗南禅寺の管長も首つりしてるし
同じく臨済宗で、名僧と言われた人の一番弟子も自殺してる。
なんだかなぁ。。

784A ◆CPjaa6Nup6:2011/02/06(日) 08:32:19
祈りは自分の救いの為にある。
 と最近思った。

人の為に祈ってるが、祈る自分の救い
であるようだ

つれの家族である祈る人たちを見て思う。

785A ◆CPjaa6Nup6:2011/02/06(日) 08:33:15
どの宗派でも宗教でもそれは同じかな
などと
乏しい経験だが思う。

786N:2011/02/09(水) 23:11:00
祈り不信者の俺だが(子供のとき「祈らされ」てはいたが)
その捉え方ならすこしは何か考えることができそうだ。

1)キリスト・イスラム・ユダヤ教の祈りでも、神道的な手合わせでも
祈りの心理的効用は「集中」「不安軽減」「静謐」といったところじゃないだろうか

2)それぞれに儀式めいた作法があって
それを行うことは、各個人が属している共同体(宗派)に
象徴的に参加することを意味しいているような気がする。

3)快癒祈願でも他者のための祈りでもいいが
祈りというのは、なにがしかの不安に対し、自分の力が及ばない
あるいは自分の力以上のなにかを必要としている、
と自身が感じていることを祈るのではないだろうか。
つまり形式的に参加しているだけではない場合、
その底に無力感・無能力感が、程度の差はあれ、潜んでいる気がする

4)個人の力量を越えた共同性の象徴(神でもいわしの頭でもなんでもいい)
に向かって祈ることで、共同性に象徴的に参加している、という意識が
不安感や無力感が軽減する。
祈りも呪いも、象徴的な共同性との共生意識をもたらすことで
精神の安定を求める行為なのかもしれない。

と、A’s照明をてがかりにすこし考えてみた。

787N:2011/02/09(水) 23:14:06
テニヲハのおかしい部分は、見てみないふりをするように

788A ◆CPjaa6Nup6:2011/02/13(日) 08:54:03
>786
を! それだ、そんな感じだ。

789N:2011/02/16(水) 20:21:47
どんな感じだったっけ、と読み直してみた。だめだ!我慢できない!テニヲハ推敲する。。
(単なる自己マンだ。読み飛ばしてくれ)
----( 内容は>>786とおなじ。テニヲハ改良バージョン)-------------


1)キリスト・イスラム・ユダヤ教の祈りでも、神道的な手合わせでも
祈りの心理的効用は「集中」「不安軽減」「静謐・安定」といったところじゃないだろうか

2)それぞれに儀式めいた作法があって
それを行うことは、各個人が属している共同体(宗派)に
象徴的に参加することを意味しているような気がする。

3)快癒祈願でも他者のための祈りでもいいが
祈りというのは、なにかの不安に対し、自分の力が及ばない
あるいは自分の力以上のなにかを必要としている
と、自身が感じていることを祈るのではないだろうか。
その底には無力感・無能力感が(程度の差はあれ)潜んでいる気がする

4)個人の力量を越えた解決力をもつ、と信仰される共同性の象徴
(神でも先祖でもいわしの頭でも岩でも樹でもなんでもいい)
を想定し、そこに向かって祈ることで、
共同性に象徴的に参加している、という意識が生じ
不安感や無力感が軽減する。
祈りも呪いも、象徴的な共同性との共生意識をもつことで
精神の安定を求める行為なのかもしれない。

--------------------------------------------------------

790zebla:2011/02/24(木) 09:27:31
そういえば、母親が仏壇(先祖の霊)に向かって家族の良いところを褒めたり感謝したりすると
家庭内の問題がよくなってくると唱えた学者さんもいたな。
神仏が助けてくれるというよりは、褒めたり感謝したりすることで意識改革をするという感じだったが。

791N:2011/02/24(木) 19:22:48
親が二人、その親にそれぞれ親が二人。
2の指数で増えていく。直径の先祖ってのは10代遡ると千と24人。
20代遡れば、なんと1000万人超になる。国家なみだ。
子供を50歳で産むと多少多いめに見積もっても
わずか1000年前にタイムマシンで行けば
直接のDNA先祖がそこには1000万人いることになる。
奇妙なことだが、さらに遡り続ければ簡単に
1億人を突破する。おそらく当時の世界人口を超えてる。
どうにも納得しがたい。 この計算はどこがおかしいのだろう。

さらに、さらに遡り続ければ、魚にまで戻り 魚のご先祖さまが登場なさる。
それはややほほえましい。

792N:2011/02/24(木) 19:25:43
一桁間違えた。 1000年前の先祖は100万人超だ

793N:2011/03/01(火) 18:10:55
世代数も一個ずれてるな。。 
すこし頭のましな状態の時だけ書き込んでるつもりなんだが。。
まぁねずみ算だから、100万が1000万になるのは
200万-400万-800万-1600万 とわずか4代しかかからん。

この遡りの人工爆発の謎を回避するには
近親婚のきわめて長い期間の持続、母親の出産死亡率の高さ
を想定することくらいしか思いつかん

でも直系の魚のご先祖はやはりどこかホッとする。

今日の昼は焼き魚を食った。親類かもしれん

794A ◆CPjaa6Nup6:2011/03/05(土) 20:54:07
>790
なんかいい。

795N:2011/03/23(水) 06:58:00
ツイッターを見てると、
なにか昨日あたりを潮目に、
日常性への復帰がはじまったような印象を受ける。
どこかまだちぐはぐな日常。

796N:2011/04/04(月) 19:19:09
そういや、あっちで「心は内臓だ」というのを無断転載していたのだ。
(すぐに腸がセンサー反応する男)
しかし、もうひとつ「心は記憶だ」という考えもある。
「心の起源」木下清一郎 中公新書 
中公新書には名著が多い。

無意識=内臓
意識=記憶 
としてしまえば図式的にはすっきりするが
すこし単純すぎるか。

797N:2011/04/04(月) 19:37:22
リョウへ。
「逝きし世の面影」渡辺京二 という本が面白い。
開国後に来た外国人(欧米)たちが、
日本人(おもに江戸時代の面影を残した庶民)に感嘆している文を
いろんな方面からまとめてる本だが、その7章「自由と身分」には
服従の自由というテーマに触れている箇所がある。

渡辺京二という人は、明治に「輸入」された近代欧米的感性に対し
それ以前に培われた日本人というオリジナリティという視点から
かなり深い考察を続けていた人だ。 

今回の震災をきっかけに、また図書館から借りてきて読み返していた。 
表面的には失われていた「古層」が噴き出てきた気がしたから。
今回の震災に対する日本人の反応についての
外国人の「賛美」がそのまま、開国後にやってきた外国人たちの反応と
一緒であったりする部分もあって、日本人(庶民)のDNAということについて
考えさせられたりした。 完全に変わってしまった部分もあるが。

ブログの読書録に書いてた赤松啓介が内側からのドキュメントだとすれば
こちらは、外から見た日本のドキュメント(賛美寄りw)だ。

798N:2011/04/04(月) 19:43:16
「恥じらい」は完全に「輸入思想」だw

799N:2011/04/04(月) 20:08:05
まったく変わらないのは役人(幕吏)の嘘つきぶり。
「彼らは地上における最大の嘘つき」(ハリス)

このDNAにも相当根深いものがあるようだ。
とにかくこの時期にこの本を読むと色々面白い。

800タター:2011/04/05(火) 04:24:13
>>797
>今回の震災をきっかけに、また図書館から借りてきて読み返していた。 
>表面的には失われていた「古層」が噴き出てきた気がしたから。

「古層」という言葉に「ああ、なるほど!」と手を打った。
漠然と感じていたものを的確に言葉にして貰った感覚だ。ありがとう。

ついでにずっと読みたかった『逝きし世の面影』を密林で注文したよw
これまたありがとうw

801N:2011/04/05(火) 17:52:28
この本は、どちらかというと「入り口」だな。
ここから先にいろんな方向が見える。
渡辺京二本来の仕事とはすこし趣きが違う(辛さ控えめw)。

ところで、密林、やはり震災の影響か、
支払い請求まではいつものスピードだが、
配送はかなり遅れてる模様だ。

802タター:2011/04/09(土) 04:08:30
震災の影響はすでに脱したらしい。
このレスを読んだ時にはもう到着していたよ>密林

仕事関係の資料を優先せにゃならんので
読めるのはしばらく後になりそうだ。

長文でも連投でも議論でもないレス、勘弁な。
たいした意味のないレスをこうやって書き込みたくなるのは
仙台の大きな余震が実はわりとショックだったからなのだろうな
……と自分では分析してるんだがw

803N:2011/04/11(月) 17:34:15
>>802
俺とこは、先月末に申し込んだのが、
やっと昨日ついた(支払って10日目)。コンビニ受け取りがまずかったのか。。
それとも東から西(かつて禿童が紅衛兵のように市中の民を密告して廻った町)への
通行が後回しにされているのか。

>長文でも連投でも議論でもないレス
もうな、そんなことどうでもいいんじゃないか?w
数人の住民しかいないという事も点呼ではっきりしたしw

余震というには大きすぎ、ほとんど本震と変わらんから
今度はそれに対する余震も必ずある。とあらかじめ思っておいた方がよい。
ただし、本震より大きな余震はない。エネルギーの放出は
必ず初発が一番大きい。そのエネルギー放出分だけ蓄えられた
エネルギーは減じられてるから。

804N:2011/04/11(月) 17:59:16
さてノイローゼというものは
特定の物理事象(音・光・揺れ・匂いといった五感に訴える現象)が
個体に繰り返し訪れることで、それらの五感が次第に
鋭敏・過敏に感受性が増感し、心理的に追いつめられるという状態だと
俺は理解している。

たまたま、こないだ風車発電に関するテレビ映像を見ていた。
すると現地(デンマークかどっか)の人間が、
「ほらあの音」と風車を指して言うのだが、インタビュアーには
ぜんぜん聞こえないという場面があった。
幻聴ではないのだ。彼らの知覚がそれほど鋭敏になっているのだ
いわゆる「低周波騒音」というやつだ。
これが長年続くと、幻聴すら発する。

たとえば、「揺れ」だと、それは
大きな地震から小さな地震、やがて、人には感じられない
1以下の地震すら感受しうるレベルに達する。と想定できる。
やがては、階下を人が走るわずかな揺れまで、
それに応じた小さなトラウマが発動する。
そこまでいけばノイローゼだ。
過ぎた事象は「なかったもの」、とむりやりにでも
空白化するか、大もとである物理事象から隔離されるほかない。

805N:2011/04/11(月) 18:03:10
あぁ、ちょうどテレビをつけたら、福島でまた6弱の揺れがあったようだ。

ところで地震酔いというのはかなりノイローゼの機構に似ているようだ。

----------------------------------------------------------
人間の脳幹には、後の体験に役立たせるために、
直前に体験した加速度などの情報を蓄える「速度蓄積機構」
というシステムがある。
震災時の衝撃や、相次ぐ余震の揺れは刺激が強く、
感覚が残りやすいため、「地震酔い」が起きるという。

 震災に伴う心理的なストレスにより、
感覚が敏感になっていることも要因の一つとみられる。
「感覚が敏感になると、心臓が動いているだけでも、
それを揺れと感じてしまうことがある。
生活環境が変わる季節でもあり、自律神経の働きの乱れも影響している」

 対処法として、大きく深呼吸をしたり、水を飲んだりすると落ち着くという。
------------------------------------------------------------
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20110407/491547

一種の防御反応だな。過剰防御になるとノイローゼってことかな。

806N:2011/04/11(月) 19:06:53
渡辺京二に誘(いざ)なわれ読み始めた石牟礼道子
(出世作「苦界浄土」は渡辺が編集していた熊本の同人誌に掲載されたもの)

「あやとりの記」(福音館文庫)は、ジャンルでいえば童話になるのだろうが
古層から掬い取られる宝石のような名作
(ただし最終章はなんとも不安と哀切を残し、感動的ではない。
 しかし、途中でなんども目の端によけいな水分が増量した)
3歳の女の子が主役。これに、村からも外れた位置にいながら
山・海の自然と交歓する古層の内実を見事に描き出している)

リトル・トリーを思い出した。こちらは5歳の少年が主人公。
どちらも、祖父・祖母との緊密な結びつきを仲介にして
自然との深い交歓にいたるイノセンスな魂が、そのまま
古層(根層・深層)へと結びつく世界を深く描いている。

807N:2011/04/11(月) 19:10:38
おそらくだが、宮崎駿はかなり
「あやかしの記」の影響を受けているのではないか。
実際に映像化したのは同じ書店でも「魔女の宅急便」の方だったが。

同じスタッフによる風景を使っても、
高畑勲は近代的な感性しかなく
古層的な感性が皆無なので、全然ひかり輝かない。

808タター:2011/04/12(火) 05:33:22
>>805
お言葉に甘えて、長文でも連投でも議論でも考察でもないレスをもうひとつw

「地震酔い」の説明を読んで真っ先に思い出したのが湖での釣りだ。
小さなボートに乗って夜明けから夕暮れまで釣り続けていると
納竿して2時間以上車を走らせた後でも、台所に立つと身体がゆらゆら揺れる。
釣りの場合、可笑しくはあるが不快な感覚ではない。

ちなみにその揺れが、釣りたての魚をつまみに旨いビールを飲んだせいでないことは言い添えておこうw

809N:2011/04/12(火) 22:22:19
たまたまツイッターに2ちゃんネタが紹介されてた。
地震に対する静岡県人の反応
http://blog.livedoor.jp/copipepa/archives/2749581.html

ようするに、揺れが怖いんじゃなく、家屋の倒壊が怖いのであるな。

>>808
いちおう、あくまでいちおう、その'言い添え'を信じておくw

810N:2011/04/27(水) 05:37:48
石牟礼道子の「苦界浄土」を読んでたら
水俣チッソの社長と東電の社長がところどころダブって見えた

811N:2011/04/30(土) 11:22:44
苦「海」浄土

812N:2011/07/28(木) 22:25:41
雑スレで自粛して削ったが、やはり無理してでも書いておこう。
なにかのきっかけになるかもしれない。

○個の時間は、各個の系列として流れる。
 個と、別の個たちの時間は平行してそれぞれに流れており
 このような不思議な空間で偶に交錯する。
 そしてまたそれぞれの個の系列を流れ続ける。

時間は止めることも溜めることもできない。
ただ、平行している個々の時間が、時たま直交し
個の記憶として貯蓄される。

○記憶もまた時間の一種であることには違いない。
 それは常に現在の中で「想起」され、
 想起されるたびに新たに記憶されなおす。
 木下清一郎によれば、記憶はつねに更新されるものだ。
 更新にはそれぞれに基準があり、その基準が変更されれば
 記憶の「意味」もまた変更され、記憶自体も更新される。

そのようにして、生命も物質も常に「現在」であるほかに
存在することはできない。

○子どもは、その中でも特に「現在進行形」だ。
 大人のように“記憶まみれ”ではないから。

そのことは、子どもの「単眼」性にも通じる。
複眼となった時、子どもはイノセンスを脱し、
浄土から、いや、楽園から追放される。
例の「知恵のりんご」というやつだ。

知恵とは複眼のことだ。
単眼や複眼ということばが伝わりにくいのなら
単視点、複合視点と言い換えてもいい。
知恵とは複合視点のことだ。

813N:2011/07/28(木) 22:31:06
それにしても、妙法蓮華教の涅槃も通俗西洋絵画の天国も
なんだか華美でバブリーだな。
表面的な美しかイメージできないんだろう。啓蒙主義ってやつは。

これが地獄になると、とたんに両方とも、
過剰なまでに想像力豊かに、かつ饒舌に語られるわけだが。

814N:2011/07/28(木) 22:38:46
複合視点というのもあまりいいネーミングじゃないな。
要するに、もうひとつ別の視点、ということだ。<知恵

815N:2011/07/30(土) 21:04:14
知恵→楽園追放。

816N:2011/07/30(土) 21:11:31
記憶というものは、必ず「事実」とは異なる。

事実というものは、常に複合的な時間の総体であるのに
記憶は単眼に切り取られた、その記憶者の遠近法の範囲内であるから。

さらに、想起のたびにそれは更新される。
更新される、というのは、その記憶の内容がうつろうということとは限らないが
たとえば、その記憶自体がスポットライトで照明されることによって
周辺部分がトリミングされてしまうというような事が含まれている。
そのような「純粋化」も含めての更新・変遷として記憶(エピソード記憶)はある。

817N:2011/07/30(土) 21:13:37
人格の多重性は、記憶の多重性と繋がっている。

818N:2011/09/16(金) 19:58:28
俺は自分が陥った二度目の鬱を、
自分個人の問題から来ると考えるより
この国の現在がもたらすものだと考えることにした。

そういう転換を図れるんじゃないかとある日ふと思った。
未だ強く主張できるほどの成功には至ってないが、
それもある程度は通る考えだと思えるような、そういう読書をせよと
心身が欲している。

誰かのせいではなく何かのせい、にすることは赦されるべきだ。
他に逃げ道がない人間には。

819N:2011/09/16(金) 20:34:10
そもそも、感情というのは、共同性との関係に起源がある、という見方も可能だ。
泣きも笑いも怒りも絶望も、そもそも共同体に向けられた心の発動だという見方。
つまり、心理学ではなく社会学の問題としての感情。

振り返ってみれば震災以後、
もっぱら「共同性」「共同体」(このふたつは違う)についての本を
中心的に読むようになっていることに最近気づいた。
震災の「記憶からの復旧」がマスメディアを主体に進んでいけばいくほど
どこかで、絶望が一瞬、この国の基調になった時の、
ある意味の「居心地の良さ」が減衰していく。極めて個人的な感じ方だが
絶望してるは俺ひとりじゃない、という雰囲気が、一瞬鬱を解消した。
資本主義に塗れたマスメディアに突如大量に登場した
ありふれた名も無きよるべない大衆の姿は、孤立した自分にとって
ひどく救いだったのは確かだ。彼らは、人を倫理的に指弾したり、
賢しらげにご高説をぶったり、才能をひけらかしたりしていなかった。
ただ、ひたすら自分の生活に集中してた。他人に構う余裕などもっていなかった。
再び、テレビが毎日同じような顔ぶれの「有名人」ばかりの世界に戻ってしまったことと
鬱の復活は関係があるように思えた。  

このレスにまとまりや落ちや積極的な主張と呼べるようなモノはないのだが
とにかく、噴き出しを見て、何か書かねばと書いている。
本当はもっと色んなことを整理できてから、書きたかったが、
おそらくは整理などできず、いつもの如く自分の中で完結し、
そのまま堰止め湖となってしまう予感に、破れ目を、堪った水の圧迫を穿つ小穴を、と。

820N:2011/09/16(金) 20:40:15
う〜、だめだな、どこかで俺自身が圧迫者に転化していきそうな。。

821N:2011/09/25(日) 20:59:41
人間というのは、自然性の中で誕生し、不自然に育ち、自然性として死ぬ。
自死は、自然性として死なず、不自然性のまま途切れるということなのかもしれない。
自然性としての自己生の帰結を知ることなく。

この考え方になにがしかの説得性があるとは、あまり思っちゃないが、
まあ、書いておく。

822N:2011/09/25(日) 21:24:05
3.11以後、ずっと考えているのは、「共同体」「共同性」についてだ。
被災した地域は、特に直接的な共同体性の強い地域、
つまり都市ではなかったことで、よりはっきり見えたものがある。

惣村的な直接共同体が、今も地域には深く根ざして存在し続けていること。
そういった第一次的共同体から見上げれば、
国家というのは共同体ではなく、メタ共同性であり、
つまるところ国家は直接的共同体ではありえないということ。
これを基本中の基本として共時的にも通時的にも眺め直してみるということ。

それとは別に、一次的な共同体、と、家族という最小の共同体
(子どもという「3人目」がいることで家族は共同体となる)との関係はどうなのか。
果たしてそれも「メタ」なのか。あるいはそこはメタでは解けない別の何かが働いているのか。

考えるべきことはたくさん、たくさんある。
少なくとも「自分の頭」で考えようとするならば。

823N (あるイメージ):2011/09/29(木) 20:03:53
我々の生を、例えば水中に漂っているとイメージしてみる。

不安が硬い壁のようになり、前方(未)来が塞がれると
人は壁に頭を打ち付けながら下向きに逆立する。

上下が正立していれば、入ってこない水が
どんどん鼻の穴から入り込んでくる。
実態は、上下が逆さになっただけなのに
まるで強い濁流に呑み込まれたような呼吸の困難さを覚える。

失神してしまえば、
沈んでいって水底にぶつかり、そこに横たわることになる。
身動きならなくなるが、代わりに、横向きの呼吸が現れる。

水底から見上げれば浮遊体は、必ず自分より上方にある。
自分は最下位の存在となるが、代わりに下からしか見えない視界 を得る。

上下逆さになって呼吸が苦しくなった時
わざわざ自分で自分の首を絞める必要はない。
自然に失神し、やがては水底に沈んで朽ち果てる自然の布置が訪れる。

浮遊しているものたちの知らない視座を、最後に得て。



(いろいろ考えている間に形成されていったイメージ)

あるいは底で静かに横たわっていれば(もがくのも自由だ)
知らない水流が、海底の砂をわずかに動かし、ぷかりと体は浮くかもしれない。

(敢えて、つけたすイメージ)

824N:2011/09/29(木) 20:08:12
この比喩的イメージ を書き込んでいるうちに
もうひとつの事が気になった。
水圧、だ。

海の表面近くと、海底近くでの水圧の違い。

おお、魚たちよ。深海魚たちよ。
そして地底で暮らす蟻たちよ。

もっとお前たちのことが知りたい。
俺はお前たちから学びたくなっている。

825N:2011/10/08(土) 06:29:59
「お利口ばっかりでも,たわけばっかりでもダメよね!」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jes2/NL/NL43_web.pdf
のP22〜23

常識や空気から外れた「たわけ」は
結果として母集団にとって有益だそうな。<蟻
「怠け者」も「働かないことそのものがコロニー
の存続にとって意味を持っている可能性」<カドフシアリ

わだばタワケになる

826N:2011/10/08(土) 06:45:07
怠け者にはもうなってるし

なんにせよ、アリとキリギリスのイソップ寓話は
ウソだな。ニーチェ流にいえば奴隷道徳だ。
“武士道”の異端「葉隠」も同じ。

827N:2011/10/10(月) 23:48:04
自己価値観を、共同体的なものに依って立脚させるのは
ひとつのポピュラーな在り方ではあるが、
俺は、生命論的な流れの中に、自己を位置づけるという
在り方も、もっとあっていい、と思う。

我々の身体には、数十億〜数億年の生命史が
宿っている。

828N:2011/10/24(月) 05:57:16
自殺衝動→殺人衝動は
生命に対する価値観の低下
で通底してる。

どこかが、あるいは何かが
硬直しているように思える。

どこか、あるいは何かを
具体的にさししめすほどの力量は
まだ持ち合わせていないが、
それが子どもに向かう場合は
明らかに、共同体からの疎外感が根底にあるように思える。
(宅間や宮崎。特に宅間)

829:2011/10/24(月) 05:59:05
※但し、殺人衝動→自殺衝動という連関は
必ずしも成り立たない。
生きるための殺害という動物の宿命が
もともとあるから。

830:2011/10/24(月) 06:17:58
「外部」から見ると、

子どもというのは
共同体への最も低い入り口
に見える。

子どもは親から共同体への移行を
始めたばかり、あるいはこれから始める初心者だから、
そう見える。

したがって、もっとも低い共同体へのハードルのように
外部者からは見える。
そのもっとも低い入り口(に見える)者に拒絶されると、
入り口を閉ざされたようシャッター感に駆られ、
絶望という硬直が起きる。
それが怒りに変わると、殺人衝動が発生するのではないか。

831:2011/10/24(月) 06:33:16
もちろんこれ(>830)は
特殊例(念頭にあるのは宅間)から
jじぶんなりにロジックだけを抽象化して
取りだしてみただけなので
まだまだ見落としや不足も多いだろうが、
こういう自分の頭で考えた基本線をもっていれば
様々なことを考えたり、他人の考察を聞く時にも
借り物や洗脳ではない判断レベルが
設定できるのではないだろうか。

大事なことは、他人の(むろん俺も含む)意見ではなく
直接事象なり情報(そこにある意図を見抜くことも必要だが)
を、「まず」自分で抽象化してみることだろう。

ただし情報には「誘導」を狙っているものが多い。
特に、語られていることではなく
語られなかったことに気をつける必要がある。

宅間が裁判長によって家族感情を口実に
口封じされたことは、罪深い。

832:2011/10/24(月) 06:45:04
なぜ、抽象化にこだわるのか。

情報に直接反応していると
自分で考えたり感じたりしているつもりでも
いつのまにか誘導どうりに考えさせられたり
感じさせられたりしている場合が多いからだ。

特に十代のころの自分を顧みてそう思う。

833:2011/10/24(月) 06:49:19
鬱に関しても、神経ホルモンなどの内因ばかりを
言うのは片手オチで
半分くらいは、情報群から発せられるメッセージに
原因があるのではないか、と最近考えている。

そうでなければ、ある国ではある時代に鬱が増え、
ある国では逆がある、ということの説明がつかない

834:2011/10/24(月) 06:51:55
むろんそれは「半分くらい」で
実際には、金があったり、フィジカルに健康が回復すれば
離脱する鬱も多いと思うが。

835:2011/10/24(月) 06:56:40
>>834 を抽象化すると「将来不安」
もっと抽象化すれば「不安」→「未来への切断感覚」
→「過去のみへの巡回」ということになる。

836:2011/10/24(月) 07:02:55
「笑い」の重要性は
それが「過去の切断」「リセット」を含んで事にある。

837:2011/10/24(月) 07:07:23
性欲は「未来への投企」を含んでいる。

ゆえに鬱ではこれらが低下する。
(逆方向、つまり 性欲低下・笑いの喪失→鬱 もありえる)

838:2011/10/24(月) 07:10:18
「低下」は甘いか。。 
はっきり性欲・笑いの「喪失」 というべきだろうな、経験上。

839:2011/10/25(火) 19:24:38
鬱状態は、無気力・無感動といった現象を呈したり
外観的にはぐったりしているように見えたりするかもしれないが
実際には、緊張状態にあるといっていい。

好むと好まざるに関わらず
なにか「課題」のようなものに襲われたり、取り憑かれたりしている。

ぼんやりとした状態で、もやもやと
真綿の首締めみたいな状態になる時もあれば
明確な形で強迫的に心を責め立てられる時もある。

強迫的にという部分では、ある意味
ノイローゼに似ているかもしれない。
ただノイローゼの場合体は動く。 時には攻撃的なほどに。

840:2011/10/25(火) 19:26:40
なんにせよ、
いろんな形で(精神的な意味も含めて)「硬直」している。
(自分の意志でそうしているわけではないのだから
 硬直させられていると言ってもいい)。

つまりリラックスすること自体が難しい。
リラックスできれば、それは脱している、と同義だと
いってもいいほどかもしれない。

以前、彼自身から教わった「入浴」は一時的に効いた。
(一日中風呂に入ってるわけにもいくまい)。
心だけではなく具体的にフィジカルも硬直していたのだろう。
ストレッチやマッサージ(接骨・整体)もいいのかもしれない。

とにかく強い殺意や希死念慮といった危険な状態の時に
一時的な応急処置として色んなことは試していいのではないだろうか。


精神的には、無駄なことをするのが柔軟性への手がかりになる気がする。

散歩するとか、風景や夜空を見るとか、
試したことはないが、アロマテラビーとか。
読めれば、だが、漫画とか、刺激の少ない映像(自然の映像など)も
無駄を承知で試してみてもいいのかもしれない。
(俺の場合、昭和なあだちみつるなどを読み返してみたりした。
 あれはテンポがのんびりしていて良かった)

選択はひとそれぞれ違うだろうが、
とにかく読めるもの(できれば何巻も続く長編がよい)を探してみるのも
ひとつの手としてあるのではないだろうか。


とりあえず基本は、狭く苦しい筒に閉じ込めるような課題がもたらす硬直を
なんとか解きほぐすことにあるように思える。
この方面のベテランに向かってとやかく言うのは
釈迦に説法だとは思うが、どうやら医者・薬なしに脱しつつある俺の
考えを書いてみた。

841:2011/10/25(火) 20:01:49
ようかいにんげん、か。。
ひとつショッキングな映像があるんだが、
ちょっとどうしたもんか、迷う。。

いわゆるフリークスものだが、、
こういうのは、ちゃんとした医学的所見を併せて観ないと
残像だけが残るしな、、  とりあえず保留。。

842zebla:2011/10/26(水) 11:31:51
>>841
診てみたいぞ。

843zebla:2011/10/26(水) 11:34:37
もとい、見てみたい、だ。
普段どんだけ病気関連文字打ってるんだおれw


こないだは死なないでくれと叫んでくれてありがとう。
あれは正直嬉しかった。



昔むかしは多分そういうのは重たく感じるだろうと思ったりしてた。
重たかったりうざかったり、多分そんな感じなんだろうと。


でも嬉しかったよ。
そして今は嬉しいと思えたことが嬉しい。
俺たちはおまいが好きだ。
おまいらが好きだ。
名のあるやつも名無しのやつもみんな、ね。

844:2011/10/26(水) 20:57:38
>>842-843

うむ。正直まだ迷ってる。
君らの中には子どもがいるしな。

だから自己責任で、という意味も込めて
検索のヒントだけだしておくことにする
(ちょっと卑怯だが、最初これを見てショックを受け
 作り物だろう、と思った。数年前だ。
 そして最近、同じ状態の別の少女の映像を見て
 作り物じゃなく、実際にそういうことがあるのだと知った。
 
 その状態に関する医学的な所見を述べているサイトを
 見つけて、それをじっくり読んでみると、
 よくあること、とまでは言えなくても
 割と医学的には認知されてる状態なのだな、と思えたので
 効果あるんじゃないか、と思ったんだが、
 
 ここ数日、何度も見てるうちに、
 その医学的な解説を越えて
 −―つまり彼女たちはフリークスではなく、人間には何%か割合で
 よく起きる自然現象のひとつであることを失念して――
 残像だけが強く残っている状態になってしまった。
 これはむしろ、悪影響を及ぼすかもしれない、とも考えるようになった)

845:2011/10/26(水) 22:01:54
ぐだぐだ書いているのは、ある程度、
ハードルをあげておきたいためだ。
それと、ある程度心の準備をしておいた方がいいかもしれないからだ。
どういう状態か、というと、脳がふたつ、体はひとつ、という状態だ。
こう書いて、ああ、あれか、と判ったなら
医学的所見を書いているサイトだけを紹介する。
(まあ、そこもリンクを辿れば写真はいっぱい載ってるわけだが)
しかし眼目は、その状態の白人少女
というか、少女たち(首がふたつある)が
実に堂々と一般のハイスクールに通っている映像と、
それを、受け容れてるアメリカ社会の強さなんだ。
彼女たちの状態は、結合双生児だ。 
−−−−−
いや、今試してみたが、余計なサイトが上位に来てしまうな。
医学所見を書いたサイトから辿るのが一番いいのかもしれない。。
tp://anima.x51.org/x/siamesetwins/siamse_twins_overview.php
この中に実名が上げられている姉妹の映像が、youtubeとニコ動にある。
(ニコ動には、投稿者によるおおざっぱな翻訳がついてるが
例によって、あのうんざりする書き込みどもが邪魔してよく読み取れない。。
ニコ動をみるときあれは消して見ることにしてるんだが
そうすると投稿者がつけた翻訳めいたものも一緒に消えてしまう。ったく…)

リンクの途中で気分が悪くなったら直ちに止めて欲しい。
ひょっとしたら、直接、彼女たちの明るい様子から見た方が
かえっていいのかもしれない。。
そっちが希望なら、メールで直接映像のリンクを知らせるから言ってくれ。
すまんが、とりあえずこれで。 

いいか悪いか判断がつかないのに
清水舞台で無責任に紹介してしまう事がこれほど疲れる事とは……
ぐったりだw……

846:2011/10/26(水) 22:16:50
あぁ、それと、悪い影響が出たら
恨み言を書いてくれ。今後の戒めとする。

847zebla:2011/10/26(水) 22:26:38
>>845
今見たが医学所見じたいは以前に読んだことがあるので衝撃はなかった。
主にブラックジャックでだがw
今の自分には検索能力が皆無といっていいくらいないので
直接紹介してもらえると助かる。
気味が悪ければ多分途中で誰かが消すだろう。
数ヶ月前にTVで低学年くらいの女児のシャム双子の話をやってたがあれかな?
と思いあたってみたりしてるがでもあれはアメリカじゃなかった気がする。

848zebla:2011/10/26(水) 22:27:29
>>845
下3行、その気持ちはよおーーーーくわかるよw
些細な悪影響でもぐちぐち言ってやるから安心してくれ。

849:2011/10/27(木) 17:45:56
>>847 メールした。件名「頭が二つある少女」
>>848 あぁそうだった。。
気遣いやおもんばかりのがんじからめ牢獄を突破して
なにか言ったり、したりする事は、君らにとって
「自由」を意味していたんだったな。

850:2011/12/28(水) 18:35:36
タターよ、まだいるか?

ロロメイの日本語wikiがあまりに寂しいので
著作リストなど投稿しようと思って準備してたら
Existence という著作の発行年度が1956年と1958年と両説あって
行き詰まってる。 
いろいろ調べてたら、ロロメイ自身のインタビューがあって
どうもそのへんに触れているように「感じた」んだが、
聴きとってくれないか?  
1957年と言ってる箇所があるような気がするんだが、、
http://www.thinkingallowed.com/1rmay.html

851:2011/12/28(水) 18:41:06
年内にもう一度は覗く。
正月は回避するかもしれんw

852:2011/12/28(水) 18:56:13
>>850 追加
50秒過ぎのあたり

853タター:2011/12/31(土) 03:58:06
うい。いるぞ。おひさ!>N

んで残念ながら仕事で煮詰まり中だ。
煮詰まりきったら逃避に聞くかも知れんが、たぶん年内はムリだ。
つか年内ってあと1日しかねえw

854:2011/12/31(土) 20:11:56
>>853
よう、タター。 おおみそかも仕事漬けか

どっちみち、図書館が再開して、不明の翻訳書の奥付と原著タイトルを確認できるまで
リストは仕上がらない。
(地元の図書館にない本が多いので、よその図書館からの
 また貸しをお願いすることになるので一ヶ月近くはかかるだろう)
というわけでまったく急いでいない。

インタビュー自体は4分強あるが、、その日付に関係する発言は、
(俺の耳できれぎれに聞き取れる単語をつなぎあわせた感触では)
たぶん最初の50秒目からの数十秒だけだと思う。

Existence という本は、単著ではなく、当時のヨーロッパ実存主義者たちの論文などの
紹介・翻訳をメインにした共同編書のようだ。
という予備知識があれば、より聞き取りはスムースなのではないか、と愚行する次第。
(俺が「感じた」単語は「エディット」「ヨーロピアン」の二つだけだw
 それを結びつけて、「ナインティーン・・・」と言ってる部分が、その本を出した年だと
 言ってるのではないかと「疑ぐっている」。ひょっとしたらその本の編集に取りかかった年だと
 言ってるのかもしれんし)


なんにせよ
返事ありがとよ。

855タター:2012/01/05(木) 04:31:55
問題の箇所だけさっくり聞いた。

インタビュアーが
「サルトル、キルケゴール、ハイデッガーらの実存主義がどーとかこーとか…」と尋ね
ロロ・メイが50年代、60年代に出版社からの勧めで上梓したExistenceについて
話してるっぽいところで、たしかに「57年」という単語を言ってるな。

↑ここをちゃんと聞きなおそうと思ってるんだが、
新しいPCにしたら、なぜかYouTubeを見るとフリーズするんだ。
たぶんディスプレイドライバのせいだと思ったんで、
新しいドライバをダウンロードしたんだが改善しない。

古いPCならたぶん問題なく見られると思うんだが、
こっちはHDDの容量ぱっつぱつで動作が超絶遅い(悲

すまんが、もうちょい待っててくれ。悪いな。

856:2012/01/05(木) 19:30:04
関係ないが>>855
図書館が開いたので、Existenceの翻訳と思われる本を
他の図書館から又貸ししてもらう手続きをしてきた。

その本に原著名が載っていて年度が書いてあればその年度をwikiに載せ、
「本人はインタビューで57年発行と言っている」と注を入れる形になる。
(「注」を入れるための書式がまだ1㍉も判ってないがw)

要するにまったく急いでいない。

ということを強調したうえで、該当箇所とおぼしき部分を切り取ってupしたw
http://jp.myspace.com/video/1005012121/rollo-may/108452019
関係あるのは最初の20秒だけのように感じる。

言われてみて「出版(上梓)」を和英で調べ、
もう一度聞いてみると
確かに「パブリッシュド」と言ってるように聞こえた。
そのあと「リライト」と言ってるように聞こえるのも気になるが。

とにかく、「失われし自我を求めて」の1953年から
1961年の「実存心理学」(英語版wikiには載ってない)までの間に
ロロ・メイが出した本はおそらく「Existence」一冊だけなので、
このインタビューで言っているのが、問題の本であることはほぼ間違いない、と思う。


ついでに、関係ないが、
日本人は絶望的に英語をしゃべれないのだ、
という池谷裕二の嘆きは「へえ〜、そういうもんなのか」と、蒙を啓かれた。
『カタカナ英語でいいんじゃない?』
http://gaya.jp/english/katakana.htm

857:2012/01/05(木) 19:32:26
冒頭の「関係ないが」は、最後の蛇足文の「関係ないが」
がなぜかコピーされて冒頭に貼り付いてしまったようで、
まさに、まったく関係ないので、無視してくらはい。。


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