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【news+】ニュース速報スレ【全般】★3
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<篤姫>婚礼を広島藩主が祝福 仏壇の中から墨書手紙見つかる 大河放送機に調査
4月28日21時11分配信 毎日新聞
篤姫婚礼の祝詞を記した手紙=朝来市の三方さん方で
徳川家第13代将軍、家定と正室、篤姫(あつひめ)の婚礼を祝う手紙が朝来市和田山町秋葉台3、三方久生さん(74)方で見つかった。差出人は広島藩主の松平慶熾(よしてる)で、大坂城代の土屋寅直(ともなお)に出された。江戸幕府の一機関に過ぎない大坂城代と西国大名の関係の再評価につながる貴重な史料という。【吉川昭夫】
手紙は1枚の和紙(縦40センチ、横54・5センチ)に墨書され、「公方様(くぼうさま) 益(ますます) 御機嫌能成(ごきげんよくなられ)」で始り、「篤君御方 篤君様と称し奉(たてまつ)るべき段 恐ながら目出度(めでたき)御儀と存じ奉り候」などと書かれ、松平慶熾の花押が記されている。同市和田山郷土歴史館の柴田東一郎館長らが解読した。
薩摩藩の今和泉島津家当主、忠剛の長女として生まれた篤姫は、藩主の島津斉彬、京都・近衛家の養女となり、徳川家に嫁いだ。婚礼は安政3(1856)年12月18日で、11月15日付の手紙には「篤姫御方 近衛殿御養女ニ仰せいだされ 御縁組御弘(おひろめ) 且(か)つ御結納当月中」と触れている。
大坂城代は豊臣家滅亡後、西国の動向を見張る役割を担い、京都所司代、老中へと続くエリート職。また寅直は水戸藩主、徳川斉昭のいとこにあたり、手紙は上役や家柄への配慮とも考えられる。
江戸期に詳しい茨城県立歴史館の永井博主席研究員は「江戸幕府だけに出せば済む祝詞をなぜ大坂城代に出したのか。近年、大坂城代と西国大名の関係が再評価されており、興味深い」と話している。
手紙は養父市大屋町由良の三方さんの妻美代子さん(66)の実家の仏壇の中から89年に見つかり、保管されていた。NHKテレビの篤姫の放送を機に調べた結果、婚礼祝詞の手紙と分かったという。美代子さんは「手紙の入手経緯は分からないが、歴史のロマンを感じます」と興奮冷めやらぬ表情だった。
最終更新:4月28日21時11分
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