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【news+】ニュース速報スレ【全般】★3
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納得のいかない裁判員制度
4月20日20時27分配信 ツカサネット新聞
来年の5月からいよいよ裁判員制度がはじまる。20歳以上であれば、だれしもが裁判員として選任され、重大事件の刑事裁判において判決を決定する立場になる可能性がある。選任に際しての公平性や守秘義務違反の問題、被告人からの逆恨みや日当金額の妥当性などの問題もさることながら、根本的な点についても納得がいかない。
裁判員制度導入の主な理由は、「さまざまな生活上の経験や知識を持った市民が刑事裁判に参加することによって、証拠を多角的に評価することが可能となり、刑事裁判の質が向上することが期待される」(日弁連)からだそうだ。かなりオブラートに包まれた表現なので、多少主観的な解釈を入れて言い直すと、こんな感じだろうか。
「難しい司法試験に合格するために勉強だけしてきたような裁判官に裁かれるよりは、主婦や会社員、学生やお年寄りなど様々な立場や経験を持った一般の国民の方が正しい判断を下せるから。」
確かにそうなのかもしれない。しかしそのこと自体に対して非常に不満を感じる。裁判官とは人を裁くことのプロである。そのために試験を受けて研修を受けて、経験を積んできた専門家なのである。それなのに一般の国民の方が人を裁く能力が高いのか。
自分たちの能力が低いのであれば、試験や研修制度を見直して、適正な人材を確保すべきなのではないのか。それを放棄して、「自分たちに能力がないからみんなで助けて下さい」というのは合点がいかない。
もっとも、他の職業と比べて裁判は社会の基盤としての性格が強いものであるからみんなでやりましょう、というのも理由のひとつなのだろう。しかしそれならば教育や政治や国防といったものも同様である。
「教師に能力がないから、みなさん、交替で学校にきて授業をしてください」、とか「政治家である我々には判断する能力がないので、国民の皆さんで法案の採決をして下さい」と言われているのと同じである(国防の場合は、「徴兵」という形で実際に参加を求められるわけだが…)。
教育や政治の場合と比べると、裁判の場合は判断の結果が特定の個人(被告や被害者)に集中してしまう点は確かに異なる。しかしだからこそプロが責任をもってやるべきなのではないか。また、そのための能力を養うための工夫を自分たちでするべきではなかろうか。私は強くそう思う。
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