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【news+】ニュース速報スレ【全般】★3
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日本航空(9205)は地合好転に便乗し、引け際になってプラス圏へ浮上 子会社の人件費削減計画が伝わる
「子会社の日本航空インターナショナルが約1万7,000人の従業員の基本給と諸手当を5%削減する」との計画が伝わっている。
日本航空(9205)の14時51分現在の株価は、2円高の250円。
[NSJショートライブ 2008年5月14日 14時51分 更新]
http://mainichi.jp/life/money/kabu/nsj/news/2008051483549.html
さよなら「鶴丸」 JALの2機、月末ラストフライト
5月25日22時43分配信 産経新聞
【JAL・鶴丸マークの機体】奥は鶴丸マークの機体尾翼。手前は新しいデザイン(太陽のアーク)の機体尾翼 =羽田空港
日本航空(JAL)のシンボルマークとして48年間、親しまれてきた赤いツルのデザイン「鶴丸」を尾翼に描いた航空機が今月31日、姿を消す。日本エアシステム(JAS)と統合後は順次、機体を新しいデザインに塗り替えており、最後の2機が月末の運航後、塗装を変更する。海外へ翼を広げた赤いツルの“引退”を惜しむ声は大きい。(水野拓昌)
大きく羽を広げたタンチョウヅルをイメージした赤い丸。日の丸も連想させるデザインは、海外で“日本の顔”の役割も果たした。「海外旅行が一般的でなかった時代、空港でツルのマークを見て、やっと日本へ帰れるとほっとする人もいた」(JAL広報部)
平成14年、JASとの統合でロゴマークは一新され、尾翼デザインも太陽をモチーフにした赤い円弧「太陽のアーク」に。「鶴丸」とは対照的なシンプルなデザイン。機体は再塗装を伴う長期整備に合わせて順次、塗り替えられた。
「鶴丸機」は、国際線のボーイング767−300型機が30日の中国・アモイ発成田着、国内線のボーイング777−200型機が31日の伊丹発羽田着の便でそれぞれラストフライトを迎える。
機体デザインとしての初登場は昭和35年7月。日航初のジェット機、DC8−32型機「富士号」の操縦席後方に描かれた。ジェット時代の到来でスピード感と伝統的なデザインを併せ持つ新たなシンボルマークが求められていたという。
キャビンの窓より一回り大きい程度だったが、45年のジャンボ機(ボーイング747型機)導入を機に、各機の尾翼に大きく描かれるようになった。
このマークにあこがれ、神島盛雄機長(59)は44年に入社。DC8型機やジャンボ機に乗務してきた。「鶴丸」を追うように来年2月、定年を迎える。
共に歩んだ戦友。思い出も数多い。ブラジル・サンパウロでは機体を見るため多くの日系1世が集まっていた。「祖国・日本を思い大勢の人が涙を流したと聞き、日本と世界を結ぶ架け橋として飛ばなければならないと思った。鶴丸に教えられた使命感だ」。神島さんはそう振り返る。
海外旅行ブーム、よど号ハイジャック…。「鶴丸」は日本の戦後史の世相や事件でも登場してきた。
昭和60年の、乗員乗客520人が犠牲となった御巣鷹山へのジャンボ機墜落事故では、尾翼が上空で引きちぎられるように破壊されて落下。「鶴丸」は無残な姿をさらした。
神島機長は副操縦士から昇格した直後だった。昇格訓練の教官だった高浜雅巳機長=当時(49)=も犠牲に。「1便1便、大事にしてきたのに何でこんなことに…」。これまで再発防止の誓いを胸に操縦桿(かん)を握ってきた。
安全への思いを次世代にリレーしたい。「鶴丸はなくなるけど、後輩たちは、事故のない運航に力を注いでもらいたい」
■鶴丸 伝統的な日本の紋章の1つ。日本航空は国際線に進出した昭和29年以降、海外向けパンフレットなどに使用していた。外国人乗客獲得を狙って日本らしさを強調したためで、これを原型にロゴ入り「鶴丸」マークが34年誕生。当時の社章は「JAL」の文字を図案化、翼を広げた飛行機を正面から見たマークだったが、社員バッジ以外はあまり使われていなかった。40年、社章も「鶴丸」に変更された。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080525-00000951-san-soci
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