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【news+】ニュース速報スレ【全般】★3

1259名無し長右衛門:2008/05/24(土) 15:04:36
万葉歌木簡出土「編纂の筋道見えた」 
5月23日8時0分配信 産経新聞

 成立当時の万葉集の姿に、最も近づいた史料だ−。22日に初の出土が発表された「万葉歌木簡」。書かれたのは、万葉集成立より前だったと推定される。「最古の歌集」としてあまりにも有名な「万葉集」だが、最古の写本でも11世紀半ば。大伴家持らが編纂(へんさん)した「オリジナル」の姿は、はっきりとは分かっていない。一片の木簡の出土によって謎の一部が初めて明らかになり、国文学者や古代史学者を興奮させている。
                   ◇
 ≪ナマ資料≫
 万葉集は、天平17(745)年以降の数年間に「巻1」から「巻15」がまとめられ、「巻16」と大伴家持の日記を含めた全20巻が783年ごろに成立したというのが一般的な説。一方、木簡が棄てられた年代は743〜745年と、ほぼ特定される。つまり、この木簡に歌が書かれ、読み上げられたのは、まさに万葉集の編集が始まる直前だ。
 11世紀半ばに書き写された現存最古の万葉集は、「安積香山 影さへ見ゆる…」と漢字と平仮名で表記されている。これに対し木簡は、「阿佐可夜…」と音を漢字で表現する万葉仮名で記されていた。ここに研究者が着目する。
 万葉学者で京都府立大学の山崎福之教授は「木簡はこれが万葉集だ、という原史料。残された最古の写本さえ300年も後のものだけに、編集当時はどの音にどの漢字を当てたのか、明確には分かってはいない。今後大きな議論になっていくだろう」と、発見の意義を説く。
 木簡の欠けた部分を、万葉仮名で推定復元した愛知県立大文学部大学院の犬飼隆教授(言語学)は「音で伝わってきた歌を万葉仮名で木簡に書き写し、漢字という文学的な衣装を着せて万葉集が成立する。最古の歌集が編集された筋道が見えてきた」と、成立の謎の解明を木簡に託す。

 ≪2つの歌の性格≫
 木簡の両面に記された「安積香(あさか)山の歌」と「難波津の歌」の2首は、905年に編まれた『古今和歌集』の序文「仮名序」で紀貫之が、「難波津の歌は、帝の御初めなり。安積山の言葉は、采女の戯れよりよみて、この二歌は、歌の父母のやうにてぞ手習ふ人の初めにもしける」と紹介。最初に覚えるべき和歌の手本だといっている。さらに年代が下った『源氏物語』などでも、手習いの歌としてセットで登場する。
 「木簡の両面が古今和歌集(の序文の2首)と、まさに同じペア。すごく驚いた」とは、大阪市立大文学研究科の村田正博教授(国文学)。2首をセットにしたのは貫之の独創とも思われていたものが、実はその150年前からセットとして認識されていたことになるという。
 万葉時代の歌は、公的な「雑歌」と恋愛などプライベートな「相聞歌」、死にかかわる「挽歌(ばんか)」の3種類に大別される。
 村田教授は「難波津の歌は、繰り返し咲く花で天皇家の繁栄を表現した、明るい気分にしてくれる雑歌中の雑歌。安積香山の歌は相手への深い思いを伝える相聞歌で、子供に和歌を教えるための歌としては適している」と2首がセットになった必然性を説明。「幼い子がおけいこしている場面が伝わってくるよう」と、木簡が生み出す情景を表現した。
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 ■再チェックで大発見「すぐ読めドキッと」
 「『阿佐可(あさか)』はすぐに読めた。瞬間的に万葉歌だと直感、ドキッとした。あの古今集のセット関係や、こりゃ、えらいこっちゃと…」
 大阪市立大大学院の栄原(さかえはら)永遠男(とわお)教授(日本古代史)は、その瞬間の興奮を今も忘れない。
 木簡学会会長である栄原教授は昨年12月1日、それまで習書や落書きと考えられていた木簡のなかには歌会で使われたものもあるとして、「歌木簡」という新しいジャンルを提唱した。紫香楽宮跡調査委員でもある栄原教授が、同遺跡から出土した木簡の再チェックを開始したのは、その直後だった。
 運命の瞬間が訪れたのは、1週間あまり後の12月10日。「難波津の歌」が書かれた木簡の形状を詳しく調べようと、裏返したときだった。念のため、赤外線でも見たが、間違いない。
 しかし、読めたのは一部で、まだ万葉歌と断定できなかった。そこで奈良文化財研究所が持つ、より性能が高い機械で解読、その結果、残りの4文字が判明した。そして、国文学者を交えた検討会議のなかで、「安積香山の歌」で間違いないとする見解に至った。
 栄原教授の定義に該当する「歌木簡」はこれまでに14点が出土。うち「難波津の歌」は9点ある。「歌の人気もあるが、調査者が難波津の歌の発見例を知っていたからこそ、これだけの数が見つかった。同じように今回の発見が、万葉歌木簡の次なる発見につながってほしい」




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