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<歌木簡>聖武天皇の前で音読、庭で曲水の宴…膨らむロマン
5月22日22時8分配信 毎日新聞
紫香楽宮(しがらきのみや)跡とされる宮町遺跡(滋賀県甲賀市)で出土した、万葉集の歌が書かれた8世紀半ばの「歌木簡」。わが国最古の歌集が編まれる直前、聖武天皇が造営した5カ月の短命の都で、どのような歌の世界が繰り広げられたのか。専門家は、さまざまな場面を想像する。【近藤希実、花澤茂人】
木簡には、万葉集の「安積山(あさかやま)の歌」、もう一つの面には「難波津(なにわづ)の歌」が書かれていた。
安積山の歌の文字を発見した栄原永遠男(さかえはらとわお)・大阪市立大教授(日本古代史)は「聖武天皇のいる場で、手に持って声を出して読んだのではないか」と推測する。歌木簡が2尺(約60.6センチ)と長いのは、読み間違えにくい1字1音の万葉仮名で記したため。大切な儀式や宴会で役人が朗々と読み上げる姿が浮かぶ。
奈良時代の歴史を記した「続日本紀(しょくにほんぎ)」に登場する8首の歌のうち4首が紫香楽宮の時期に集中している。宮町遺跡の「朝堂(ちょうどう)」(公式儀礼を行う中枢施設)の跡で「歌一首」と墨書した土器も出土しており、歌詠みが盛んだったらしい。
歌木簡は溝に捨てられていた。同時期の平城京には池と曲水路のある庭園があり、中国の唐のように、杯が流れる間に歌を詠む「曲水の宴」が行われていたらしい。小笠原好彦・滋賀大名誉教授(考古学)は「紫香楽宮にも歌会をする場所があったのだろう。近くを調査すれば、宮中の歌会や儀式で使われた歌木簡が続々と出てくるのではないか」と期待する。
木簡の2首は「歌の父母」とされた手本。上野誠・奈良大教授(万葉文化論)は「当時の役人は、日本固有の名前を万葉仮名で表記する能力が求められた。2首の手習い歌を人に読んでもらって書き取る練習をしたのではないか」と想像する。
「難波津の歌」は天皇を賛美する「公」の歌、「安積山の歌」は感情を吐露する「私」の歌。中西進・奈良県立万葉文化館館長(国文学)は「役人が公私の歌をきちんと書き留めているということは、紫香楽宮が安定した都だったことを示すとも考えられる」と話す。
最終更新:5月22日22時8分
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