レス数が1スレッドの最大レス数(1500件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
【news+】ニュース速報スレ【全般】★3
-
支局長からの手紙:21年目の5月3日 /島根
5月6日15時1分配信 毎日新聞
どの報道機関も真正面から取り上げない問題で連載企画をしたことがありました。ある団体を取材した直後、「おかしなこと書いたら許さんぞ」と脅しの電話が支局にかかってきました。翌日は一転して「昨日はすまんかった。私の誤解やった」と低姿勢の電話です。ところが翌日はまた脅しの電話、そしてその翌日は低姿勢……。1週間も続くとさすがに参ってきます。
そのうちに、番号を公表していない自宅の電話に無言電話がかかってくるようになりました。帰宅する車の後をつけられている気配もあります。電話線をはずしたり、帰宅する道順を変えたりしても不安は大きくなるばかりでした。階段を降りるときは背後に注意し、電車を待つ間は絶対ホームの真ん中から離れない。こんな日が続くと心身ともに疲れ果ててしまい「連載を途中で止めようか」と思いました。
そのちょうど3年前、朝日新聞阪神支局襲撃事件があり、小尻知博記者(当時29歳)が犠牲になりました。それまで自分にもかかわりのあることとして考えることが少なかったのですが、「もしかすると自分も……」と深刻に考えてしまいます。姿の見えない相手に問答無用で狙われるとはどういうことか、身をもって経験しました。
このとき支えてくれたのは、日ごろからさまざまなアドバイスをしてくれていた取材先の人たちであり、「責任は全部とる」と矢面に立ってくれた当時の支局長でした。補強取材をして原稿を何回も書き直して、ようやく掲載にこぎつけました。その連載企画を通じて「取材すること、原稿を書くことの重さ」を改めて確認し、「何があってもひるまぬ気持ち」を学んだように思いました。
1987年5月3日に発生した朝日新聞阪神支局襲撃事件から21年。事件が時効になってから6年が過ぎました。松江支局で現在、第一線で仕事をする支局員は全員が20代。事件発生当時、まだ2歳だった記者もいます。いくら「事件を風化させてはいけない。私たちに“時効”はない」と言っても、第一線で走り回る若い記者にとっては歴史上の出来事になりつつあります。
小尻記者の無念を伝え、「取材すること、原稿を書くことの重さ」「何があってもひるまぬ気持ち」を若い記者に知ってもらいたい。21年目の5月3日を迎えて気持ちを新たにしました。【松江支局長・松本泉】
5月6日朝刊
最終更新:5月6日15時1分
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板