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石炭・亜炭・炭砿スレ
1
:
とはずがたり
:2012/12/17(月) 23:11:36
日本では既に斜陽産業からほぼ過去の産業へとなった石炭関係のスレ。
新技術の可能性や廃炭砿の懐古迄。
2
:
とはずがたり
:2012/12/17(月) 23:12:14
315 名前:とはずがたり[] 投稿日:2012/12/04(火) 10:15:27
資源大国日本が持論の俺であるが,羽幌炭坑は未だ3000万㌧以上埋蔵量が残っているそうな。
あと60年は操業出来る筈だし羽幌線と羽幌炭坑鉄道を復活させよう!ヽ(゚∀゚)ノ
産業遺産を未来に生かす:/8 羽幌炭鉱(留萌管内羽幌町) /北海道
http://ameblo.jp/town-watch/theme47-10006985960.html
1月9日12時1分配信 毎日新聞
◇フォトDVDに人気−−施設群が語る繁栄の時代
留萌管内羽幌町の中心部から東に約15キロ付近の山中に選炭工場やホッパー(貯炭所)、集合住宅、煙突などの施設群が朽ち果てた状態で点在する。国内有数の優良炭鉱とされながら、38年前に突如閉山した羽幌炭鉱。最盛期に人口約1万3000人を数えた街の面影は消えつつあるが、施設跡には往年の記憶が刻み込まれている。
同炭鉱は苫前炭田(南北35キロ、東西15キロ)の築別炭鉱、羽幌坑、上羽幌坑の3鉱区で構成された。1940年に開業し、羽幌炭礦鉄道が経営。61年に年間出炭量100万トンを超え、ピークの67年には同114万トンを採掘した。旧国鉄や北海道電力などに出荷された。
純度の高い良質な石炭は灰や煙の排出が少なく、家庭用暖房燃料としても重宝された。
69年、転機は突然訪れた。全体の約6割の出炭量を占めた築別炭鉱の坑道が断層にぶつかり、経営が悪化。石油へのエネルギー転換や鉄鋼、造船業への労働力流出が重なり、翌年11月閉山に追い込まれた。30年間の総出炭量は1458万トン。3000万トン以上の埋蔵量を残し、鉱山の灯はあっけなく消えた。
閉山から12年がたった82年、町は約3億2000万円を費やし、築別炭鉱跡の小学校に宿泊研修施設「緑の村」を開いた。体験農園や野営場、観光牧場を備えたほか、採炭用ドリルなど炭鉱を紹介する資料を展示。当初は年間約3万人が利用したが、客足は年々減り、96年に休村した。
町商工観光課は「炭鉱の歴史的価値は理解しているが、観光施設として運用するには経費がかさみ、町単独では管理が難しい。積極的な運用は今のところ考えていない」と説明する。
旧炭鉱施設を活用する動きはささやかだが始まっている。同町のタクシー会社「沿岸ハイヤー」は04年以降、炭鉱跡を約2時間かけて巡るツアーを企画している。幼いころを炭鉱で暮らした同社の運転手、工藤俊也さん(48)の発案で、昨年は15組が参加した。
一方で、工藤さんは社内研修用に炭鉱の過去と現在の写真約900枚を収録したフォトDVD(45分)を作製した。町内の小中学校や資料館など公的施設に配布したところ、商品化の依頼が相次ぎ、昨年10月から1カ月で約100枚が売れた。
工藤さんは「山中に近代的な施設があったという意外性が魅力。何より施設が残っているからこそ、当時のことを語り継ぐことができるのです」と語る。
長く地域を潤してきたものの、閉山後は人々の記憶から消されたままだった繁栄の跡。深い雪に埋もれ、再び脚光を浴びる時を静かに待つ。【和田浩幸】=つづく
………………………………………………………………………………………………………
◇羽幌炭礦鉄道
鉄道は1941年、日本海沿岸の旧国鉄羽幌線築別駅から築別炭鉱までの16・6キロで開通。62年には、工事中だった旧国鉄名羽線の曙―三毛別間(3・8キロ)を借り上げて運行した。会社としてスポーツに力を入れ、スキージャンプでは札幌五輪金メダリストの笠谷幸生さんの兄昌生さんらが活躍。野球部は社会人野球の都市対抗大会に2回出場している。
1月9日朝刊
最終更新:1月12日10時53分
4
:
とはずがたり
:2013/01/01(火) 20:30:56
天然ガスが自噴しているとわ。。
豊富町
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%AF%8C%E7%94%BA
鉱業
かつては良質の石炭や石油、天然ガスを産出するなど、鉱業が盛んであった。しかし、現在ではコストの面で採算が合わないことから炭鉱は閉山している。石油の埋蔵量は多くなく事業化にはいたっていない。天然ガスが自噴しており、かつては豊富町、稚内市で消費する電力の発電に用いられていたが、機材の老朽化と採算性の問題から1975年に閉鎖された。現在でも豊富温泉では、天然ガスを利用してお湯を沸かしている。
忘れられた町8 日曹炭鉱
http://jm-hokkaido.sakura.ne.jp/nissotanko.html
日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9B%B9%E7%82%AD%E9%89%B1%E5%A4%A9%E5%A1%A9%E7%A0%BF%E6%A5%AD%E6%89%80%E5%B0%82%E7%94%A8%E9%89%84%E9%81%93
1940年(昭和15年)2月13日 : 豊富 - 一坑間16.7km専用鉄道開通
1945年(昭和20年) : 一坑 - 三坑間3.3km延長
1972年(昭和47年)7月29日 : 同炭鉱の閉山に伴い全線廃止
豊富(0.0)─(社)豊富─温泉─駅逓─本町─一坑(16.7)─三坑(18.1)
◆日曹
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/01-1.Dohoku/Toyotomi_Nisso.html
「角川」によると、日曹天塩炭礦は明治40年頃、幌延の本願寺農場管理人が鉱区を得て試掘、同44年には京都東本願寺の大谷氏が鉱区を所有。昭和11年日曹鉱業が鉱区の譲渡を受け、翌年第1坑を開坑。昭和22年日本曹達に合併。同24年石炭部門を継承し日曹炭鉱が設立され天塩鉱業所となった。同47年閉山。閉山時937人。当地に敷設されていた日曹専用鉄道は、日曹鉱業が経営し、石炭を主に貨客の輸送を行った。昭和15年開業、同47年日曹炭鉱の閉山に伴い廃止。
日曹炭鉱
2002.07.17
http://yaeijin.fc2web.com/page150.html
日曹炭鉱は昭和11年5月に始まり白煙炭と呼ばれ黒煙が出ない良炭として
人気があったが。時代とともにエネルギー源が石油に取って代わり
需要が減っていき、ついに昭和47年に閉山しました。
日曹専用鉄道
http://homepage2.nifty.com/61degc/rail/hokkai/nisso/index.html
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