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Tohazugatali Book Review

1小説吉田学校読者:2006/05/29(月) 22:32:07
新スレ誕生。古今東西、森羅万象、硬軟織り交ぜ、新刊・旧刊問わず、読んだ本、読もうとする本、読んでない本、読ませたくない本をああだこうだ言うスレ。

284とはずがたり:2015/08/05(水) 21:00:24
ご冥福をお祈りします。

作家の阿川弘之さん 死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150805/k10010179591000.html
8月5日 20時24分

太平洋戦争を舞台に人々の苦悩や悲哀を描いた作家で、文化勲章受章者の阿川弘之さんが亡くなりました。94歳でした。

285とはずがたり:2015/08/08(土) 11:14:18

阿川弘之さん、亡くなる前日「次はステーキが」
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/entertainment/20150807-567-OYT1T50134.html
08月07日 20:42読売新聞

 3日に老衰で亡くなった作家・阿川弘之さんの長女で、エッセイスト・作家の阿川佐和子さん(61)が7日、最期の様子や父への思いをつづったコメントを書面で発表。

 「今年の夏あたり」から体力が落ちたものの、「亡くなる前日には、私が持っていった薄切りのローストビーフを三枚たいらげ、『次はステーキが食いたい』と、にんまり笑ったりしておりました」というエピソードを明かした。

 3日夜、仕事を終えた佐和子さんが駆け付けた時には、既に呼吸が停止した後で、みとった兄の尚之さんから「 痰 たんを吸い取る機械を入れた際、『苦しい』と言ったのが最後の言葉で、それ以外はさほど苦しむこともなく、大変に穏やかに安眠した」と聞いたという。

 また、「身体が弱り切っても、頭の中は『うまいものが食いたい』という意欲を捨てなかったのは、いかにも父らしく、立派な大往生だったと思っております」と現在の心境を記した。

286とはずがたり:2015/08/08(土) 11:15:55
阿川弘之氏死去=作家、端正な鎮魂文学―「山本五十六」「雲の墓標」、94歳
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-150805X212.html
08月05日 21:34時事通信

 厳しい歴史感覚に基づく目で日本人の姿を見据え、「山本五十六」「志賀直哉」などの人間味あふれる評伝や小説を著した作家で文化勲章受章者の阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏が3日午後10時33分、老衰のため東京都内の病院で死去した。94歳だった。広島市出身。葬儀は近親者で行う。エッセイストの阿川佐和子さんは長女。

 旧制高校時代から小説を執筆、島尾敏雄らの同人誌「こをろ」に参加する。1942年、東大を繰り上げ卒業して海軍に入隊し、敗戦を中国・漢口で迎えた。46年に復員して志賀直哉に師事。同年「年年歳歳」でデビューした。戦時下で苦悩する青春像を描いた「春の城」や「雲の墓標」、広島の原爆を題材にした「魔の遺産」などを次々に発表し、作家としての地位を確立。安岡章太郎、遠藤周作、吉行淳之介らとともに「第三の新人」と呼ばれ、戦後文壇をリードした。

 戦友を失い、廃虚と化した故郷の広島を目の当たりにした阿川氏の心に長い間残っていたのは、「生き延びてしまった」という抜き難い無常観だった。戦後を生きる者として戦争と向き合い、端正な文体で鎮魂の文学を確立した。ベストセラー「山本五十六」「米内光政」「井上成美」の提督3部作では、登場人物に寄り添い、なぜ勝算のない戦争に突入していったのかを鋭く問い掛けた。

 生涯の師と仰いだ志賀直哉の最後の門下生。長編「志賀直哉」では、「小説の神様」と言われた文豪の素顔に迫った。食べ物や乗り物を愛し、洒脱(しゃだつ)な文章にユーモアを交え、「奇人狐狸庵」「南蛮阿房列車」「食味風々録」などのエッセーもつづった。

 他に「暗い波濤」「軍艦長門の生涯」など著書多数。2005年には「阿川弘之全集」(全20巻)が刊行された。日本芸術院会員。1999年文化勲章。


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