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愛知大学最強学部◆法学部様御用達書込場

1315名無的愛大生:2010/06/02(水) 20:10:17
一番、最初に名乗り出た慰安婦被害者
  金学順(キムハクスン)
1923年 中国東北(満州)の吉林省に生まれ
1991年8月14日、慰安婦被害者として初めて名乗り出る。
1991年12月16日、日本政府に対して謝罪と賠償を求めて提訴。
1997年12月16日死去


1)1991年8月14日の記者会見での最初の証言

「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。
 三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、
 華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」

引用元)「ハンギョレ新聞」91年8月15日付

2)1991年12月16日、東京地裁に提出された訴状内容

1923年、中国東北(満州)の吉林省に生まれたが、生後まもなく父が死亡したので平壌へ戻った。
母は家政婦などをしていたが、貧困のため学順は小学校を四年で中退、金泰元の養女となり、
14歳から三年間キーセン(妓生)学校に通った。
注釈)キーセン=芸者・公娼の意味

1939年、「金儲けができる」と説得され、一歳上のエミ子とともに養父に連れられ中国へ渡った。
北京を経て鉄壁鎮という小集落で養父と別れて慰安所に入れられ、日本軍兵士のために性サービスを強要された。
軍医の検診があった。同じ年の秋、知り合った朝鮮人商人(趙元チャン)に頼んで脱出し、各地を転々としたのち、上海で夫婦になった。
フランス租界で中国人相手の質屋をしながら生活、2人の子どもを得て終戦の翌年、韓国へ帰った。
朝鮮戦争中に夫は事故死、子も病死し、韓国中を転々としながら酒、タバコものむような生活を送った。
身寄りのない現在は政府から生活保護を受けている。
人生の不幸は、軍隊慰安婦を強いられたことから始まった。日本政府は悪かったと認め、謝罪すべきである。

3)いつの間にか、「親に売られた」が「日本軍に連行された」に変更

金さんは旧満州(現中国東北地方)で生まれ、平壌で育ったが、十七歳の時の春に、
日本の軍人に強制的にトラックに乗せられ、中国大陸の前線に連れて行かれたと証言。
「その日から将校の相手をさせられ、抵抗するとけられた。日に何十人もの兵隊が来て、
そこにいると死ぬしかないと思った」と語った。半年ほど後に逃走し、日本の敗戦後に韓国に帰国した。

引用元)共同通信(夕刊) 1997年12月16日付

*もともと彼女は、キーセン出身であり、「親に売り飛ばされ、軍隊相手の売春をさせられていた」と語っていた。
彼女の訴えは、「強制連行」に対するものではなく、「人生の不幸」に対する補償だった


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