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雑談スレ

2023sage:2005/04/11(月) 20:44:03
1949年、中華人民共和国は、チベットへの侵攻、占領を開始しました。その後10年間にわたって、チベットの精神的・政治的指導者であるダライラマ14世は、中国のチベット人弾圧を解決しようと尽力しましたが、最終的にダライラマと当時のチベット政府、さらに約10万人ものチベット人民が難民となることを余儀なくされました。チベットでの中国人支配は、残酷を極めました。多くのチベット人が拷問され、人権は完全に踏みにじられたのです。少なくとも120万人のチベット人が死亡し、少なくとも6千カ所におよぶ仏教寺院が破壊され、数え切れないほどの美術品やチベットの文化遺産が破壊されました。現在では、これらの美術品・文化遺産は消滅の危機にさらされている状態です。また、チベットに暮らすチベット人は発言、宗教、表現の自由を奪われました。一方的な投獄が相次ぎ、ダライラマの写真を保持する、といった非暴力の抵抗すら厳罰に処されたのです。彼らは拷問され、その多くは死んでいきました。

侵攻後、中国政府は占領下のチベットに多くの中国人を送り込みました。そのため、今日のチベットでは、チベット人よりも中国人の人口の方が多くなっています。チベット人は自分自身の国チベットにいながら、少数民族となってしまったのです。中国の侵略以前、チベットにはテクノロジーがほとんどなかったため、チベットの自然資源は汚染や開発の伴う産業開発の手を免れていました。ところが中国の侵攻以来、チベットの森林は中国にとって最大の森林資源となり、 1980年までに540億米ドル相当の木材が切り倒され、中国に運ばれています。そのため今日では、チベットでは生態系の破壊が急速に進んでしまっているのです。

このような恐るべき状況の中、チベットを脱出したダライラマを追い、多数のチベット人が母国から逃亡、難民としてインドに渡りました。逃亡は、ヒマラヤ越えを伴う過酷な旅でした。インドに到着したチベット人は難民キャンプに住みましたが、その多くは悲惨な貧困生活を余儀なくされたのです。

しかしチベット人はこれらの計り知れない困難を堪え忍び、決して希望を捨てませんでした。彼らは怒りや苦しみに打ちのめされたりはしなかったのです。その代わり、彼らは古来より続く仏教の教えに従って、非暴力による抵抗と、「中国人は中国に帰るように」といった中国への対話を試み続けました。難民の身となりながらも、非暴力と憐れみの大切さを説き続けたチベットの宗教的・政治的指導者ダライラマ14世は、世界的な平和と調和のシンボルとなり、 1989年にはノーベル平和賞を受賞、今日まで我々に知恵と希望を与え続けてくれています。


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