したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

偶像崇拝

1sukhavati:2002/10/23(水) 04:26
「ホトケ」の語源についてのご教示をありがとうございました。
「浮図+形」は一説にすぎない、ということですね。
あの新聞記事の要旨は、「6世紀に仏教が伝来した時に仏典とともに仏像が入ってきた。つまり日本では仏教は最初から偶像とともに入ってきたのである」のに対し、神道は「本来の宗教の鉄則を守り、基本的には偶像をまつらない」のである、と。
少し調べたら紀元前一世紀ごろまではインドにおいても釈迦の姿を直接描くことはなかったようですね。それは何故か?、また一転して仏画、仏像を製作するようになった動機は何か?など、わからないことだらけです。
それから、「浮屠」「浮圖」などの漢字はあまり良いイメージはないのですが、はるばるインドから仏教を伝え仏典を訳した人(例えば玄奘三蔵)はまさかこんな漢字を当てませんよね。その辺の事情も知りたいと思っていますが、こんな初歩的な話題がこの掲示板にふさわしいかどうか、悩んでいる最中です。

#つまらない個人的な話で失礼しました。

2顕正居士:2002/10/23(水) 13:36
仏像はギリシャ人の支配する地域で製作が始まった。ギリシャ以外には彫像の
文化がなっかたからでしょう。古典古代の彫像や仏像は理想的にデフォルメが
され、彩色された。近代彫刻とは異なるもので、現代のフィギュアに近い。
キャラクター・フィギュアは現代において神像のようなものでありましょう。
神社にも神像はあります。かつてはたくさんあったが、廃仏棄釈(神仏判然)
の際に破壊されたのです。

3近藤 貴夫:2002/10/23(水) 23:28
buddhaの音写には、「没駄」などというのもありますよね。
音写にわざわざ佳字を選んだりしているのかどうか、陀羅尼の
用字を見ていると疑問に感じます。

4近藤 貴夫:2002/10/23(水) 23:34
偶像崇拝が、「宗教の鉄則」なるものから外れたものなのか
どうか、また、そもそも宗教に関わる絵画・彫刻はおしなべて
偶像崇拝に当たるのかどうか。
その昔、キリスト教徒から多数の神像を祀っていることを
問いただされたヒンドゥーのパンディタは、「神像を神その
ものと同一視しているわけではない」と反論したそうですが。

5顕正居士:2002/10/24(木) 12:44
偶像崇拝(Idolatry)禁止の主典拠(十戒)

「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分
のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にある
もの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主で
あるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に
報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、
恵みを施して、千代に至るであろう」(出エジプト記第20章3〜6節)

「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから」(for I the LORD
thy God am a jealous God)以下の表現から、この時代のユダヤ教は多神教
であります。第2ニカイア公会議以降の(東西)オーソドックスの解釈では
この条項は異教の神を崇拝することを禁ずるのであり、聖像を禁止するので
はないとされます。しかしプロテスタントの一部は聖母崇敬は偶像崇拝の中
に入ると主張し、イスラームの解釈はまた異なります。いづれにしても
ユダヤ教とおよび派生した二宗教の間のローカルな議論であり、主な内容は
聖母をめぐる事柄です。

6顕正居士:2002/10/24(木) 22:04
金剛力士

仏教の彫像文化はギリシア人に始まったのだから、ギリシア人の神々が仏教に
入っていないだろうか?ギリシア人はローカルの神々を尊敬し、本地垂迹の
関係にしたから、これを容易に見出すことが出来ないと想像する。しかし、
ヘラクレスが執金剛神(vajiradhara or vajirapati)の原型であることは公論
である。ヘラクレスその方が仏陀を護衛していたからである。この尊像はすで
に破壊されたらしいが、在った場所からいうと、タリバンの偶像破壊以前では
ないかとおもう。参考。

http://lib1.nippon-foundation.or.jp/1996/0863/contents/069.htm

7sukhavati:2002/10/25(金) 03:48
すみません、投稿先を間違えたのでダブります。
偶像崇拝の最も悲惨な例の一つは日本の切支丹の、いわゆる「踏み絵」でしょうか。
ここまでくると「受け取る方の責任」みたいな印象もあるのですが。

8顕正居士:2002/10/25(金) 17:50
>踏み絵

おっしゃることの意味がよくわからないのですが。キリスト教徒は偶像崇拝を
しません。したがって踏絵を踏むことは罪ではありません。教徒には棄教では
なく、禁教方からは棄教とみなす、最大寛容な棄教の要求であったわけです。
しかしカトリック教会は禁教に対し殉教を奨励し、踏絵は効果が少なかった。
殉教の功徳は莫大であるから、殉教を求めたのであり、踏絵を踏むことが罪で
あるからではないのです。

9sukhavati:2002/10/26(土) 04:17
いやどうも、意味不明のつたない文章で申し訳ありませんm(__)m
なるほど、「天草崩れ(1805)」の場合などは幕府が天草の乱の再発を恐れて「絵踏み」を行い、彼らはもはや切支丹ではなく単なる「心得違い」のものだとしたそうですね。ただ「踏絵」は1629年頃から行われたとあるので、初期にはこれと違った形だった可能性はあるかもしれません。しかし私は何の資料も持っていないのでただ想像するだけですが・・・・。

突然話が飛びますが、天草四郎の洗礼名が「ジェロニモ(パゼス記録)」だったというのも長い間私の疑問となっています。「Geronimo」といえば19世紀のアパッチ族戦士の名前です。これがどうして17世紀の天草四郎の洗礼名になりうるのか?・・・わかりません。
#近年発見された「細川家文書」ではフランシスコ?だったとかいう話もある(記憶が不鮮明のため間違いかも)。

10顕正居士:2002/10/27(日) 00:06
「ジェロニモ」はポルトガル語です。英語の「ジェローム」に当たる。

11sukhavati:2002/10/27(日) 04:24
またダブって申し訳もありません。
> 「ジェロニモ」はポルトガル語です。英語の「ジェローム」に当たる。

ああ、そうなんですか、私の無知はお恥ずかしい限りです!

聖人ジェロームといえば、5世紀のヴルガタ訳聖書の編者だそうですね。あせって調べたら、語源はギリシャ語のHieronymosで「Hiero」が「高い、高貴な」、nymosは「名前」という立派な意味があります。
どうもありがとうございました、これからもよろしくご教示をお願いいたします。

12顕正居士:2002/10/27(日) 14:28
伴天連追放令(1587年)

が最初の禁教令です。これの発布は高山右近の暴虐がきっかけであるという。

http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/ukon19.html

イギリスの信教自由令は1687年、アメリカの信教自由令は1768年であり、
カトリック教徒はアウグスブルク宗教和議(1555年)により、領主は領民に
自分の信仰を強制する権利を有すると考え、それを日本でも実行したので、
高山右近には暴虐の認識はなかったとおもう。

日本では信仰は個人の事柄であったから、伴天連追放令は信教の自由を侵す
者の追放であり、キリスト教信仰自体は禁止されていない。だから、禁教が
キリスト教信仰自体の禁止までいたっても絵踏のようにぬるい方法だった。

伴天連追放令の前日には信教の自由を侵す者への処罰を布告する朱印も
発行されている。禁教令ははじまりは世界最初の信教自由令でもあった。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板