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創作メモ
1
:
管理人
:2012/03/08(木) 21:43:03
管理人の備忘用。
142
:
管理人
:2016/06/19(日) 21:57:42
・物部
崇神(神武≒崇神と考える)よりも古くから奈良盆地にいた人々。
石上が本拠地。軍事氏族。景行の筑紫遠征に従った流れで、
神功東征→ホムダ王朝の流れにも組み込まれたと思われる。
その後も長らく国軍として重用され続けたが、守屋代に滅亡。
・大伴
纏向王朝時代に王族の親衛隊的立ち位置で参画したと思われる。
その後の動向は物部とほぼ同じ。金村代で没落。パッとしないまま応天門の変で滅亡。
・忌部
何となくだが、北方系が多い弥生人の中では、珍しく南方系のような気がする。
温暖な地方に足跡が多く残されているし。倭人伝に描かれる
邪馬台の描写が南方系なので、卑弥呼陣営の主力なのではなかろうか。
143
:
管理人
:2016/06/19(日) 22:08:21
・葛城
神功東征あたりから登場。古参の賀茂を吸収し、葛城の地に根付いたと思われる。
武内系氏族で長らくセンターを務めたが、眉輪王の変で滅亡。
・平群
葛城の庶流。二代目センター。雄略死後にいろいろやりすぎて没落。
・蘇我
葛城の庶流。?代目センター。入鹿代で本流が滅亡した話は有名っすね。
・紀/羽田/巨勢
目立たない葛城の庶流たち。
144
:
管理人
:2016/06/19(日) 22:21:40
・和邇
ホムダ王朝成立期より曽布から南山背一帯に根付いたと思われる。
場所柄、渡来人を取り込んでいたのではないかと推測する。
宇治擁立に絡んだこともあって、王仁博士と大いに関係ありそう。
5世紀が全盛期であるが、6世紀には庶流を残して本流は消える?
・春日/小野/柿本
文化人要素が強そうな和邇の庶流たち。
・中臣
和邇とは逆に、5〜6世紀頃に突然現れる謎な連中。古い記録にも登場するが、
それは不比等による創作のような気がする。鹿島・香取→枚岡→春日の流れから、
東国の軍事氏族が和邇庶流の春日と結びついたと思われる。没落なんてしない。
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