したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

言語の飛び地

1名無しさん:2003/06/24(火) 21:41
アフガニスタンの山奥には、モンゴル語を話す「モゴール族」が暮らしているらしい。
ジンギスカンの時代に遠征に来て、そのまま住み着いたとか。

こういう「言語の飛び地」も世界中にいろいろありそう。

36ケロ:2004/12/09(木) 10:25
中国福建省の泉州市郊外には波斯庄(ペルシャ村)という場所があって
住民はゾロアスター教式のイスラム教(?)を信仰してるそうですが
さすがにもうペルシャ語は使ってなくて、中国語話してるとか。

37名無しさん:2005/06/20(月) 00:16:48
>>30
北広島市も…。
北海道は入植の関係で、そういう所が多々ありそうですね。

38名無し新参:2005/06/20(月) 01:40:31
シンガポールの華人がよく使っているのは福建語ですが、英語も普通に
話されてます。ビジネスではまともな英語が使われていて新聞の英語も
ちゃんとした英語ですが、会話の主流は「シングリッシュ」と言われる
一種のクレオール。国家ぐるみでシングリッシュ追放運動中です。

リー・クワンユー元首相は英語とマレー語を使っていたそうです。
ゴー・チョクトン前首相は英語しか話せませんでした。
リー・シエンロン現首相は英語・マレー語・中国語・福建語に堪能とか。
シンガポールの歴史を見るような話だと思って面白く聞きました。

39ケロ:2005/06/21(火) 21:24:08
リー・クワンユーのマレー語は完璧で、シンガポールがマレーシアと合併していた頃
マレー国会でリー・クワンユーが演説したら、マレー人議員がみんな聞き惚れてしまい
「マレーシアの首相の座を奪われる」と危機感を持ったラーマン首相(当時)が
シンガポールの分離追い出しを決断したとか・・・リー・クワンユーの自伝に書いてありました。

リー・クワンユーの北京語は、日本軍占領中に「英語を話してると睨まれるから」と勉強を始めたけど
四声の習得が難しくてすぐに挫折し、「発音がマレー語に似てる」と日本語の勉強に切り替え、
日本軍の情報部で翻訳係として勤めたとか。
戦後、選挙に出る際に華人有権者の票を掴むために、改めて北京語と福建語を習得したそうです。

40名無しさん:2005/07/19(火) 18:16:04
言語の飛び地で世界一有名なのは、カナダのケベック州ではなかろうか。

41名無しさん:2005/09/01(木) 14:39:17
ケベックでも州都モントリオールでは英語を話す人が多くて
ますますややこしい。

42ty270410:2005/10/16(日) 00:00:23
ロシアのブリヤード共和国では,モンゴル語の
ブリヤード方言(オイラート方言の1種)を話していたが,
最近ではロシア語が優勢になっていると聞いたことがある.

同じくサハ共和国はトルコ語の飛び地だ.
トルコ語の北方方言のヤクート語が話されていた.
最近はロシア語が優勢だそうだ.

43ty270410:2005/11/06(日) 21:58:49
>>1
ご存じと思いますが,
梅棹忠夫『モゴール族探検記』岩波新書 青版 1956.09.刊
に載っています.
今回の戦乱でどうなったでしょうかね.おそらく大変な目に
あっているのでしょうね!

44ケロ:2005/11/08(火) 00:00:38
『モゴール族探検記』読んだことあります。面白い本でしたね。
確かあの時点ですでにモンゴル語は老人だけが知っていたって内容(?)だったので
今ではもう通じないかも知れないですね。

45名無しさん:2005/11/15(火) 02:22:55
日本は江戸時代ごろまで人種の吹き溜まりで、幕府は少数民族集団ごとに治める対策をしていました。
ユーラシア諸言語の言語の飛び地でもあったようです。
最近の遺伝子研究で、やはりごちゃごちゃに混血してることが裏づけられています。

>39
マレー人などと同じミトコンドリアを持つ日本人は、日本の人口の5%

>42
ブリヤート族やアメリカインディアンと同じバイカル湖発祥
のミトコンドリアを持つ日本人は、日本の人口の6%

その他、ミトコンドリアが示す日本人の母は
アジア最古   34  %  モンゴル系でしょうか?
原日本人    15  %  縄文人?
ミクロネシア  15  %
シベリア     7.5%
バイカル     6  %  再掲
ヒマラヤ     3.4%
北極海沿岸    3.2%
マレーなど    5  %  再掲
古代中国     7  %

ミトコンドリアのデータは国営放送

以上は母方で、父方も含めると日本人の遺伝子の40%が中国由来

新しい征服者によって歴史や言語が塗り替えられ、古い歴史が封印された古代日本には、いろいろ面白いものが残っています。
例えば、出土した刀剣を調べてみると、渡来した製鉄技術でつくられた刀剣よりも、古代から日本にあった
製鉄技術でつくられた刀剣の方が優れていたことが有名です。

46ty270410:2005/11/15(火) 22:00:44
>>45
>日本は江戸時代ごろまで人種の吹き溜まりで、幕府は少数民族集団ごとに治める対策をしていました。

幕府がとった対策について具体的に教えてください!

47an:2005/12/30(金) 17:37:28
言語島と「孤立した言語」は同じ?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A4%E7%AB%8B%E8%A8%80%E8%AA%9E

ヒナルグ語(Khinalugh or Khinalug)はあてはまる?
http://en.wikipedia.org/wiki/Northeast_Caucasian_languages#Khinalugh
http://www.ethnologue.com/show_family.asp?subid=90527

言語学的分類(近さor遠さ)って詳細な調査・研究がなされてなければ当然不明..
→「存在以外ほとんど何も分かって無い」 と 「文法構造や語彙は分かったがルーツや他言語との関係性無し」
は違うがそのどっちっかが明解でない記述もある?

パプニューギニアとかってどうなんやろ..
http://www.ethnologue.com/show_country.asp?name=PG
言語島だらけ?それとも通じないだけで,ルーツや近親関係はあるってこと?

48名無し新参:2005/12/31(土) 00:32:33
パプア高地の言語が日本語と非常に類似していることについては
江実氏が報告されています。
一般的には地理的に遠く離れたパプア諸語と日本語の語順が同じ
であるから、語順は言語系統を推測する材料にはならないという
ような解釈がされているようですが、私はそうは思いません。
パプア高地の人々はオーストロネシア系の低地住民が来る前から
あの地域にいたものが高地に追い上げられ孤立していったもので
同様に北へ北へと追われた人々が日本列島に辿り着いたと考える
ことは十分に可能だと考えます。

http://www.han-lab.gr.jp/~kanno/cgi-bin/hr.cgi?misc/shibumem.html

49ケロ:2005/12/31(土) 21:35:21
本多勝一の「ニューギニア高地人」を読みましたが
同じ村に住んでいる民族でも、数の数え方が五進法や十進法とまちまちだそうですね

50名無しさん:2006/01/29(日) 11:41:16
スイスもフランス語やらドイツ語やらイタリア語やら・・・

51権兵衛:2006/04/26(水) 07:29:54
横浜中華街ではかなり多くの人が中国語で会話していて、危機に貧しているいくつかの言語島よりも、基盤がしっかりしているんじゃないだろうか。環太平洋地域に点在する各中華街も然り。

52権兵衛:2006/04/26(水) 07:37:48
パラオ共和国アンガウル州では、日本語が公用語の一つになっていると聞いたことがありますが、そこにあるのはもしかして日本語の言語島?

53ケロ:2006/04/28(金) 19:18:31
横浜の中華街は、中国から新しい移住者が流入し続けてるんで、中国語が使われることが多いんでしょうね。
バンコクの中華街も、20年前には中国語があまり通じない状態になっていたのに
最近は(1)タイ北部の国民党落人村が投降して国民党軍の子孫がバンコクへ出稼ぎに来た、
(2)中国からの移住者が増え、観光客も増えた、(3)タイ政府が中国語教育を解禁した・・・
ということで、中国語がよく通じるようになってますよ。

54オリカベ:2006/06/04(日) 02:11:51
はじめまして。「飛び地」の話題について、ケロさんのサイトとともに
興味深く拝読させて頂いております。
だいぶ、前のスレッドへのレスで恐縮ですが、させてください。

>45さん
>日本は江戸時代ごろまで人種の吹き溜まりで、幕府は少数民族集団ごとに治める対策をしていました。
>46:ty270410さん
幕府がとった対策について具体的に教えてください!

私もこの件、興味があります。教えてもらいたいところです。

この政策で、私が思い出すのは松前藩、南部藩や津軽藩を通じて
とった、アイヌ民族(北海道、下北、津軽)の政策ですが(島津藩を通じて琉球
民族にとった政策もありますか)、これらのケースの他にも別な集団に対して
とった、ということなのでしょうか?
(北東北において、江戸時代前期に、藩権力者を通じて神社の縁起に変化が生じ
たり、とある伝承が政治的に流布されていった状況などは、なにやらクサいなぁ〜
と思いますけどね。)

この掲示板のテーマに沿ったコメントをすると、少なくとも、江戸時代の
幕藩体制が定着した時期以前は、当時の日本国内(幕藩体制の領域内)には、
現在の我々の想像以上に、多数の言語島(日本語)明瞭に散在していた、
ということも考えられなくもないのでしょうか?     どうかなあ〜

言語島という用語についてですが、この掲示板を拝読して思ったのは、
この用語自体の定義というのが結構曖昧な使われ方しているのかな?
とも思いました。

55ケロ:2006/06/04(日) 05:55:06
半年以上前の書き込みなので、>>45さんからレスが返って来るかはわかりませんが
>>45さんが指摘している「幕府は少数民族集団ごとに治める対策」とは
たぶんサンカ(山窩)やキジシ(木地師)、クグツ(傀儡子)、エブネ(家船)等
「山の民」「旅芸人」「海の民」と言われた漂泊民に対する対策のことだと思います。

江戸時代にはクグツはほぼ消滅し、キジシは定住化が進んでいましたが、
サンカとエブネは江戸時代どころか、戦後も移動生活をしている人たちがいたと思います。
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0247020/top4.html
江戸幕府は土地を大名(藩)に割り振って、地域ごとに治めていたわけですが、
サンカやエブネのような漂泊民はかなり広い地域を年中移動しているので
「××藩の住民」のように管理することは不可能でした。
そこでサンカは乱裁道宗(アヤタチミチムネ)という指導者(族長)の下で統括させ、
エブネは広島県の能地・善行寺という寺に帰属させて、どこで死んでも善行寺まで遺体を運ばせたとか。
被差別部落は定住民でしたが、弾左衛門という全国的な指導者を通じて統括していたわけで
幕府の管理政策は似ていたのかも知れません。

56ケロ:2006/06/04(日) 06:17:18
>定住者は海岸付近に住む漁民や農民だけで、沙漠の住民はわずかな草を求めて年中移動を続けている遊牧民だ。
>こういう場所で土地を押さえても、住民は年中入れ替わってしまうから支配できない。そのかわり××族は
>どこの王やスルタンに属するかということははっきりしていた。日本ではムラを単位とした地縁社会だから
>支配者はまずムラ=領地を押さえたが、遊牧民は部族を単位とした血縁社会だがら支配者は部族を押さえたということ。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/churitsu.html
アラビア半島の遊牧民支配のことをHPで書きましたが、日本でも江戸時代には
移動生活をする漂泊民に対しては、似たような支配政策をしていたようですね。

サンカやクグツ、エブネはもとは異民族だった(縄文人の子孫だの外来民族だの)と言われていますが
少なくともサンカは独自の言葉を使っていて、あやめる(殺す)、シャリ(米)など
日本語として定着したものも少なくないですね。「サンカ文字」ってのはかなり怪しいけど・・・。

中国式の「民族識別工作」を実施したら、おそらくサンカ族として少数民族認定されることでしょう。

57ケロ:2006/06/04(日) 06:52:13
「クグツは江戸時代にほぼ消滅し」と書きましたが、戦前まで居たようですね。
http://www.atkyushu.com/InfoApp?LISTID=202&SCD=m200112
http://www02.so-net.ne.jp/~minazuki/history.html
http://www02.so-net.ne.jp/~minazuki/doukutu1.html

サンカは平成になっても漂泊生活をしていた人がいるようで・・・
http://www.kumanolife.com/Topics/3._28.html

58オリカベ:2006/06/04(日) 14:31:45
ケロさん、早速のレスをどうもありがとうございます。3,4時間後の早朝でしたので、
あまりの早さにびっくりしました。
そうですね。やはり、サンカやその他漂泊集団に対する政策と推察するのが妥当でしょうね。
>45さんのスレッドの前半部と後半部が繋がってきますし。
アラビア半島の遊牧民支配との比較考察も大変興味深いです。

>江戸幕府は土地を大名(藩)に割り振って、地域ごとに治めていたわけですが、
>サンカやエブネのような漂泊民はかなり広い地域を年中移動しているので
>「××藩の住民」のように管理することは不可能でした。

このお話で思い出すのは、余談の部類になりますが、盛岡藩において、広大な領地に小村が散在して、他の藩のような統治区割りでは
厳しいので、「通(とおり)」という独特の行政単位で支配したということですね。

>そこでサンカは乱裁道宗(アヤタチミチムネ)という指導者(族長)の下で統括させ、
>エブネは広島県の能地・善行寺という寺に帰属させて、どこで死んでも善行寺まで遺体を運ばせたとか。

なるほどですね。サンカのその統治形態はやはり、後のシノガラと繋がってくるのでしょうか。
これも、伝統的なセブリ生活などがしにくくなって、サンカ同士の互助と生き残りをかけて、と
いう意図が強いかったせいでしょうか。

>55
>サンカとエブネは江戸時代どころか、戦後も移動生活をしている人たちがいたと思います。
>57  
>サンカは平成になっても漂泊生活をしていた人がいるようで・・・
>http://www.kumanolife.com/Topics/3._28.html

そうですね。サンカ研究者で有名な歴史小説家 故八切 止夫氏も幼少は故郷の川辺でセブリ
生活していたサンカの家族と交流があったそうですし。
ちなみに>57の平成のサンカの方の話題は、AERA(2002年8月12−19日合併増大号)にも掲載さ
れています。引用されたサイト関係の方々もインタビューをうけていらっしゃいますね。

59オリカベ:2006/06/04(日) 14:59:51
私見ですけども、サンカやキジシ、クグツ、エブネ等の他にも集団が存在していた/いるのではないかと思います。

例えば、サンカ関連ですけど、「サンカの被差別性」の項に、沖浦和光氏の著書の引用で、阿多隼人の末裔が南北朝時代にサンカと関わりがあった記述がありますね(阿多隼人の末裔は阿多半島なのか、強制移住された畿内なのか)
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html#Anchorkosho

東北でも、中世に2度「えぞ蜂起」があったことが盛岡藩書である『南旧秘事記』、『祐清私記』に記されているそうです。
(岩手県立博物館 女鹿潤哉「『えみし』成立過程についての研究―『えみし』『えぞ』とその系統展示に向けての一視点 ―」 岩手県立博物館研究報告第19号 2002年3月)

これらのケースでも、かつて「言語島」が存在していたのではないかとも思うのですが・・

60ケロ:2006/06/05(月) 01:37:51
だいぶ前に読んだ本なのでタイトルは忘れてしまいましたが、少なからぬサンカは
自分もしくは親が外部からサンカに仲間入りした人たちだったそうです。
クグツにしても、最後の親方(?)の菊邑検校はもともと外部の人間で、
九州の寺で偶然会った病気のクグツから舞を習い、組織を引き継いだ・・・と言っていたとか。
http://uncle-dagon.web.infoseek.co.jp/essay/essay2002up.htm
エブネは現在でも広島県の豊島にいますが、古くからの能地・善行寺の元エブネとは全く別で
近代になって水上生活を始めた新たなエブネ集団だそうですね。
http://www.chugoku-np.co.jp/setouti/seto/13/index.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9977154287

61ケロ:2006/06/05(月) 01:54:49
サンカやキジシ、クグツ、エブネ、それにマタギなどは、本来は異民族集団だったのが
いつしか職能集団へ変遷し、固有の言語などの民族性を失っていったのかも知れません。
私もかつては他にもさまざまな集団が日本列島に存在していたのではと思います。
しかし「里の人々」が必要とする技能(箕作り、川魚獲り、陶芸、舞、漁業、熊狩り)などを
持たなかったグループや、自分たちの技能が社会から必要とされなくなったグループは
消滅していったのではないでしょうか。

菊邑検校に舞を教えたクグツの「昔は年に一度、高位高官の前で舞えば、一年ゆっくり食べることも
出来たのだが、時代が変わり、皆ちりぢりになってしまった」という言葉もそれを表わしていますし
農家で箕を使わなくなった時期とサンカが消えた時期もほぼ同じです。
その点、エブネが獲って来る魚は、現在でも十分生活を支える収入になりますね。
じゃあなぜ陶芸は今でも必要なのにキジシは消えたのか・・・という点は矛盾してますけど。

62ケロ:2006/06/05(月) 02:23:23
>>58
アエラの記事の件、教えていただきありがとうございます。
あのサイトの人たちは、サンカの兄妹と和気藹々で楽しそうですね。
若い女の子を連れてってサンカのおっちゃんの機嫌を良くしておいて
箕を背負わせたりいろんなポーズで写真撮ったりとか・・・w

そういえば最近、茨城の川辺で40年くらいセブリをしていた人が社会復帰したという
ニュースがありました。この人は川魚を獲って売ったり、後には釣りの手ほどきをするようになり
どう見てもサンカの暮らしぶりなのですが、本人は中学生の時に家出して
洞窟で暮らし始めたのがセブリのスタートだったそうです。
中学生がいきなり1人で洞窟で暮らして食糧収集ができるはずはなく、おそらく山でサンカと出会って
仲間入りしたのではないかな・・・と思います。

そのような形で、サンカなどの「純血」はとっくに失われていたのではないでしょうか。

63オリカベ:2006/06/05(月) 19:10:04
ケロさん、いろいろ詳しいご解説ありがとうございます。
件のサイトの方々で語られていることは、深遠な内容が多くあり、驚くことがあります。

仕事を終えたばかりなので、まだざっと拝読した限りですが、いくつか思うことをレスしたいと思います。
(言語島のテーマに沿って・・・)

>60
>少なからぬサンカは自分もしくは親が外部からサンカに仲間入りした人たちだったそうです。

そのサンカのサイトの掲示板でも語られていることですが、その内容によると、サンカやその
他の集団は出自がいろいろあるようで、百済系や強制移住(所謂「移配」)されたエミシなどが
あるようです。
それから、箕作りを生業としている人は現在でもいらっしゃるようです。

マタギは元からこの呼称の集団ではなかったようで、マタギ関係の初見の文書では「山立ち」
と記されていたかと記憶しています。
また、一説では、マタギの少なくとも一部は、本州北部のアイヌと政治的に分離されたとも
聞きます。
マタギの習俗や、一部の山言葉(マタギに限ったことではありませんが)には、アイヌのそれと
似通っているところもあることろは、よく指摘されるところです。
出自がアイヌであるかどうかはともかく、マタギ集団は藩の末端軍事組織(鉄砲持ち)としても
編成された側面があったので、幕藩体制が浸透する以前と以後では大きく様相を異にする、と
考えています。

藩政時代の後半になり、藩の権力が弱まりある程度の藩境を越えた移動がしやすい状況になってきた時期に、
一部の所謂「旅マタギ」が他の地域の山村に入り、村の人々に指導して新たなマタギ集団も成立したとも聞
きます。

>61
>サンカやキジシ、クグツ、エブネ、それにマタギなどは、本来は異民族集団だったのが
>いつしか職能集団へ変遷し、固有の言語などの民族性を失っていったのかも知れません。
>私もかつては他にもさまざまな集団が日本列島に存在していたのではと思います。

世界中のあらゆる地域を見ると、実に多くの民族(?)集団がモザイク状に混住していますが、
日本でも例外なく同じような状況だった/である(?)のではないかと考えています。
比較的早い時期に支配者の統治が及んだところは見えにくいでしょうが、比較的遅い時期に
支配を受けた地域の先住民などはアイデンティティが強いですね。

>そういえば最近、茨城の川辺で40年くらいセブリをしていた人が社会復帰したという
ニュースがありました。

このお話も大変興味深いです。
このお話とは異なるケースですが、茨城といいますと、古民家関係では有名な話のようですが、
昭和の初期辺りまで、竪穴式住居で生活していたという方がいらっしゃったとか。
竪穴の深さが6尺で、中は暖かかったという話を聞いたことがあります。

クグツやエブネの話は詳しく知りませんでしたが、サンカと同様の状況のようなのですね。


ところで、言語島・・・とは違うのでしょうが、これは多分皆さんご存知でしょうけど、
このようなサイトがありますので、貼っておきます。

Ethnologue
http://www.ethnologue.com/show_country.asp?name=JP

このサイトの、日本の説明の一部を抜粋しますが、このように
記されています。
The number of languages listed for Japan is 15. Of those, all are living languages.

64オリカベ:2006/06/11(日) 22:59:23
言語島といえば、ポルトガルとスペインの国境付近の村で、
ミランダ語という言語の話者のいる地域がありますね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mirandese_language
(日本語版がページ内-左下方の言語の個所-のリンクがあります。)

ミランダ語話者は、ポルトガル語やスペイン語も話せるようなので、
定義によっては言語島とは呼べないのかもしれませんが・・・

65別スレの11:2006/06/18(日) 18:07:16
学生のときに聞いた話ですが、こういうのも言語の飛び地となるのでしょうか?

韓国の言語学者が、大阪市生野区付近でフィールドワークをすることがあると
いうのですが、その理由と言うのが、所謂在日1世のお年寄り達の話す言語に
現在の済州島でも使わない方言なり発音が残存しているとかで…日本語を生活
言語にしていることが却って本国での言語の変遷の影響を受けにくくしている
のでしょうか…。

66名無しさん:2006/06/19(月) 20:01:40
最近の読売新聞にもハワイの日系人の間に古い日本語の言い回し(アイロンをあてる)が残っている、というのが出ていました

67隠れ飛び地ファン:2006/07/01(土) 17:06:11
ブラジルの日系移民にも、古い言い回しが残っていて、
現在の日本人が聞くと、なんだかしっくり来ない場合もあるとか。
(マルシアがテレビに出てきたころ、彼女が話す日本語を
子供が不思議がっていましたが・・・。
単に日本語を勉強したところが変わっていたと言うことかもしれませんが)

68別スレの11:2006/07/01(土) 17:18:40
もう15年も前、ソウルの日本語学院で学んでいた学生から聞いた話。
「日帝」時代に女学校を出たと思しきおばあちゃん先生に、
「『踊場』って何ですか」、と質問したところ(勿論階段の「あれ」ですが…)、
「ディスコテクのことだ」と返って来たそうな。
あんなところでおばあちゃんは踊るのか!、とそれはさておきまして、韓国に
おける植民地日本語にも、古い感覚が残っているようで…。
電気のコンセントは「サシコミ」だし、電球は「タマ」、「クルマ」といえば
大八車のことですから…。
恩師から聞いた話ですが、韓国から来たお客さんに、
「じゃあ、クルマで行きましょうか」といったところ、
お客さんは自分が大八車に乗せられるものかとびっくりしていたらしく…。

69ケロ:2006/07/01(土) 19:38:56
なんかの本で、韓国では車がバックするときに「イッパイ、イッパイ」と声をかけるそうですが
台湾人もバックするときに「イッパイ、イッパイ」と言いますね。

これって戦時中に「オーライ、オーライ」は敵性用語だから禁止されたのが
韓国・台湾では解禁されずにそのまま残ってるということかな?

70別スレの11:2006/10/01(日) 10:49:20
>>69
解禁という人為的行為ではなく、「イッパイ」として受け入れたものがそのまま
残留したのでは…。

言語の飛び地といえば、うちの会社(本社:大阪市)の東京支店(中央区日本橋)
もある意味そうかも知れませんね。
東京支店に勤務する従業員のおおよそ6割が関西方言の話者で、会議も関西方言
がいわば公用語です。さすがに文書は共通語ですが…。

以前は現地採用の女性社員が「ここ、ヨシモトみたいで面白い」などと言ったと
か…。

あと、日曜昼下がりのたまプラーザ(転勤族に人気のようです)あたりも、どこ
からか関西弁が聞こえてくるなどという話を聞きますが…。

71ty270410:2006/12/15(金) 23:24:04
言語関連のスレッドが他にないので,少し話題がずれて恐縮ですが・・・

少し古い本ですが,紹介します.

石黒昭博編『世界の英語小事典』 1992.12 研究社

1 変貌する世界の英語
2 イギリス英語
3 アメリカ英語
4 アメリカ黒人英語
5 カナダ英語
6 オーストラリアとニュージーランドの英語
7-1 南アジアとアフリカの英語
7-2 シンガポールとマレーシアの英語
7-3 フィリピンの英語
8 ピジン・クリオール英語

結構面白い本です.英文科のある大学図書館か,大きな公共図書館には所蔵
されているだろうと思います.

72九州国総領事:2006/12/16(土) 03:29:55
最近どこかの新聞だったかに、英語を話す人口が増えて、アメリカやイギリスの、
いわば正統派の英語はもはや少数派になる・・・ということが出てましたね。

73別スレの11:2006/12/16(土) 10:13:05
これもいわば国際語の運命なのでしょうね。
英語と現地語の混合・融合したピジン、クリオールと呼ばれるたぐいの言語まで
含めると、もっといろいろな英語系の言語があることになるわけで…。
ピジンやクリオールは英米の植民地なり影響下にあった地域で形成されたものの
ようですが、日本や韓国など、英語を話す、というよりは解する人口が増えてい
る地域では、英米系外来語の氾濫というかたちでのピジン化もどきが起こってい
るわけで…。

74別スレの11:2006/12/16(土) 10:23:34
ty270410さんのご紹介のご本にもピジン、クリオールについての言及があるよ
うで、失礼いたしました。

日本語の場合、もとからある「漢語+する」動詞 なり「漢語+だ」形容動詞の
ようなものの漢語部分をそのまま英単語に置き換えて、助詞以外殆ど英単語なん
てこともあったりしますね(IT、スポーツ、ある種の音楽関連など)

75ty270410:2007/02/04(日) 23:15:35
戦前にソ連極東の沿海州南部に朝鮮民族が結構住んでいました.
戦時中,ソ連は彼らをカザフに強制移住させました.
戦後も彼らは故地へ帰ることはありませんでした.
カザフに朝鮮語の飛び地があるに違いありません!

76ty270410:2007/02/04(日) 23:19:21
>>75の続き
ソ連時代は公用語はロシア語だったと思いますが,
カザフが独立してからは,どうなったのでしょうか?
また,朝鮮語はどんな文字を使っているのでしょうか?
ハングル?キリル文字?ローマ字(ラテン文字)?

77名無しさん:2007/02/04(日) 23:21:14
>>75
高麗人のことですよね。
樺太(サハリン)にも同様に残留した人々による朝鮮語の飛び地があることになります。
どの程度の人口規模で「飛び地」と認定するかどうかが問題ですが。

78ty270410:2007/02/04(日) 23:45:06
>>77 ご教示ありがとうございます.

亡くなられた村山七郎先生の本によると
18〜19世紀にカムチャッカ半島の西南部に
アイヌ語の飛び地があったようです.

多分今では失われているだろうと思います.

79名無しさん:2007/02/05(月) 19:58:20
朝日新聞2007年2月5日付け夕刊に「旧植民地に残った日本語のその後 簡略化先取りの例も 日本の若者言葉と共通性」という真田信治氏(阪大・日本語学)の文が載っています。
>>78さんには興味深い記事ではないでしょうか。
同氏の論著は要チェックですね
アイヌ語の飛び地も面白そうですが、さすがに残存の可能性は少ないでしょうねエ

80パトラッシュ:2007/02/05(月) 23:32:59
数年前にウズベクを観光で訪れました。タシケントの広大な屋内市場では多くの朝鮮系の人たちがキムチを売っており、その匂いは会場を圧するほどでした。少なくともあの国では、中央アジアに強制移住させられた朝鮮系の人々の子孫は商才を生かして繁栄しているようです。ソウルからアシアナ航空の路線が開かれており、私もそれで行きました。ただ、現地で話されている言葉はほとんどがロシア語(ウズベク語もあったかもしれませんがわからず)で、朝鮮語は一部しか聞こえませんでした。移住後は朝鮮語による教育が禁止されてしまって、ロシア語のみで教育が行われた結果かもしれません。スターリンは他の少数民族に対してもロシア語教育を強制して民族語を失わせ、ソビエト連邦を統一しようとしていたそうですし。としたら、中央アジアを朝鮮語の飛び地には認定できないですか。

81名無しさん:2007/02/06(火) 14:16:06
>>80
随分前ですが、日本のTVで中央アジア(確かカザフだったような)の朝鮮族の人が
日本の歌である「美しき天然」(あのチンドン屋さんのメロディですね)を朝鮮語で
歌うシーンを見た覚えがあります。
彼らの間では、「故国朝鮮のメロディ」だということで歌い継がれてきたのだけど、
それが実は旧宗主国・日本発の曲である、というところに、歴史の複雑さを垣間見る、
というような企画でした。

82別スレの11:2007/02/06(火) 23:50:22
サハリンだと朝鮮語のラジオ放送があったくらいですし…。
(なぜかソウルからのKBS社会教育放送と同じ周波数だった…恐らくKBS
を聞かせないための意図的なものもあったかも)

83別スレの11:2007/02/10(土) 21:58:30
>>80のパトラッシュさん、はじめまして。

>としたら、中央アジアを朝鮮語の飛び地には認定できないですか。

ですが、家庭内で子供が話さなくとも、親の世代で話すようなコミュニティが
ある場合なら、充分に飛び地にはなると思います。

別スレでも書いた話ですが、在日韓国人の1世なり1.5世の方々は社会生活
は日本語でも、コミュニティでは韓国語で話しているようですし(僕の住んで
いる地域も在日韓国人の多い地域ですが、おばちゃん同士が慶尚道方言でくっ
ちゃべっているのも見かけますし…。
(民族学校に通わせているならばソウル語なり平壌語の教育を受けるはずです
から…)

84タン:2008/02/05(火) 22:56:19
面白い分野なのでつい読み込んでしまいました。
気づいたこと。63番さんに書き込みがありましたが、蝦夷征伐で俘虜になった
人達が国内<主に西日本>に強制移住されたんですね。宮本常一の著作で知り
ました。これと、西日本の別府などアイヌ語とされていますが、関係あるんで
しょうか? 
アジアに私の興味ある民族があります。その一つがすでに書き込みがある、トルコ
チュルクですね。もともとはモンゴル高原にあって、今のモンゴルは中国東北の奥の森林地帯に住んでいたみたいですね。
そして、西域に移動してそこに進出していたアーリア系の民族と混血、さらに
西進して現在のトルコにたどり着いた。トルコ人には金髪もいるように、言語と文化が受け継がれ
民族の血など伺えません。というより、民族の血って何だと問いたくなります。
すでに書き込みの中に、東北に進んだヤクートはチュルクの仲間なんですから。
もう一つ。ミャオ族です。東南アジアではモンと呼ばれていますが、こちらも
凄い流浪の民ですね。白川静氏の著作によれば、元々は北方の民族。最近、読んだ
講談社学術文庫の「夏王朝」に、苗族の反乱という記述あり。何と4000年前です。
私はラオスで遭遇し、その貧しさにショックを受けました。北方起源を伺わせるように
高床でなく、土間です。苗、ミャオ族にはヤオも含め色々な分岐したエスニック集団が
ありますが、その言語系統等、専門的なことは分かりません。ただ、その後読んだ本の
なかに、ラオスのモン族はベトナム戦争中、アメリカ側とパテトラオ<現政府>に分かれて
戦い、米軍側に付いたモンは非戦闘員も市街地で虐殺に遇うなど悲劇にあいました。
近世でも清の時代に中国大陸で反乱を起こしたりしていて、本当に大変な民族です。

85名無しさん:2008/02/05(火) 23:20:35
アイヌと、蝦夷(えみし)が別のエスニック集団であることは確認されている。
ちなみに、日本人は、蝦夷(えみし)と蝦夷(えぞ。すなわちアイヌ)を明確に区別していた。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板