[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
【議論】武士道
47
:
理想と現実
:2002/10/24(木) 02:38
礼式や作法は、どこでもたんなる形式主義に退化しやすい。勇気は喧嘩騒
ぎに、忠義はへつらいに、沈着は無感覚になる。後世の作者はサムライを
賞揚するあまり、しばしば好戦的な勇猛心と一方的な忠誠心を、あたかも
サムライ倫理の支柱と考えた。
しかし、勇気はありふれたことで武士道によって鼓吹されたのではない。
平安朝末期以来、武士たちは新しい封建領主の旗印のもとに集まったが、
武士たちにわざわざ勇敢な行動を教えこむ必要はなかった。かれらは喜ん
で戦場におもむき、恵まれてもいない人生をすてさることを少しも恐れな
かった。臨終の床の藩主や幕府の要職にあたる法令担当者が、たくましく
も粗野な家臣たちの心に注入せざるをえないと感じたのは、家臣の義務の
精神的な側面についてだった。武士の生活万般にわたる規律、誠実に生き
ればこそ、武士の他の階級にたいする支配権が合法化される、との「正しき
生活」の映像が注入の対象だった。サムライはより多くの権利ではなく、よ
ち多くの義務の持ち主でなければならなかった。
これらの義務は一方的ではなかった。十五世紀末、南九州のある主君と
家臣の間に取り交わされた典型的な誓約は、家臣が主君にたいして、「誠
心誠意、ふた心なしに」仕えると誓うと主君は忠誠の約束を承認し、「予は
汝の重大事を予の重大事とみなす。われらはもちつもたれつでいく。にもか
かわらず、不幸にして誹謗・中傷があれば、われらは親しく率直に話し合おう」
と答えた。主君の製詞は、もしそれを破れば中世でもっとも恐れられていた
神々、伊勢の太陽女神、八幡神(弓矢の神)、熊野や諏訪の神々などからい
かなる制裁をうけてもよいとの趣意で書かれた。こうした神々によって保障さ
れた主君の義務は、当時にあたっては、たんなる形式扱いにされるはずは
なかった。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板