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【議論】武士道
45
:
宗教的背景
:2002/10/23(水) 02:52
禅の瞑想は本当のサムライに内省の道を教えた。サムライ
は死の恐怖もなければ、後生を願うこともない世界に入って
いこうとした。生と死の境目は幻想にすぎないと達観した。
この内なる世界においては、善と悪が子どもじみた単純さで
区別されることはなく、ことさらに褒められる行為をしなくて
よい。あたかも運命の絶壁に大波のうねりが激突するがごと
く、熱狂心や闘争欲にかられることは、サムライの望むところ
ではない。むしろ、生命の波がいくら打ちよせても砕けちる、
岩のような存在でなければならない。悟りに達したものは、
寺院、仏典、仏像、教義書のことはどこかへおき忘れてしま
う。サムライは霊魂が「絶対」と一体になる素朴な状態に回帰
し、計り知れない深淵から湧きあがる新しい決意を自己のもの
とする。
仏教倫理は少なくとも西洋人の眼には規範的・創造的では
なく。否定的・諦観的にみえる。禅宗の主眼は、解脱を妨げる
ものから解放されることで、いかなる形にせよ、「煩悩」のと
りこにならないことである。また、「我」と「汝」、「善」と「悪」、
「個人」と「全体」、「生」と「死」の差別を取りのぞくのが狙いで、
神の映像ごときをもちだし人生を規制したりはしない。サムライ
の倫理はいかにして死に、いかにして落胆、不安、動揺を超越
し、あらゆる世俗の利害抗争から解放されるかの教えに集約
される。道徳には関係ない(かならずしも反道徳的でない)この
神秘主義の絶頂から、けわしい近道が虚無主義(ニヒリズム)
または静寂主義(クワイエテイズム)の世界に通じる。しかし、
鈍感で放縦な人びとの間に、ときとして好ましくないことが発生
しても、禅の黙想の責任にするのは正しくない。同じ危険は
いかなる宗教の前途にも存在し、教養を理解しない批評家の
注目をひきやすい。
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