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【議論】武士道
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:
武士道の起源
:2002/10/22(火) 03:15
せまい意味での辞書編集の場合をのぞけば、二〇世紀初頭以前に、
「武士道」なる用語はなかったというのは誤りである。「武士(もののふ)
の道」に関する権威ある書物は、徳川幕府が成立して数代をへた、今
から二百年まえの元禄時代に出現した。山鹿素行はきわめて影響力
の強い兵学学派の始祖だったが、赤穂の浪人の「四十七士」が生命を
投げ出して主君の仇を討ったとき、かれらの精神を鼓舞したのは、素
行の教えだったといわれている。また明治維新の指導者たちに感化を
あたえた吉田松陰は、素行の精神を受け継いでいた。山鹿素行は講
義録たる『士道』という著述を遺した。「士」は封建制下の家臣、「道」は
「踏むべき道」の意味で、規範、義務、または法(のり)〔中国の道と同義
で、ギリシャ神話のゼウスとその妻テミス(掟)の間に生まれた女神ディケ
(正義)のことを考えればよい〕を表す。
同じ著者による小論文に『武教小学』がありー題名は「サムライ」の「教え」
の「簡潔な」「学問」を意味する。「士道」「武教」「武道」(山鹿素行の弟子
大道寺友山の『武士道初心集』は権威あるまじめな著書である)と表現は
違っても武士道精神に変わりはない。
イギリスのジョージ・サムスン卿(一八八三ー一九六五)は武士道を
「実りのない議論に終わる難解な問題」といった。しかし、わたくしは、
あえて、他の道徳・政治思想史の主要問題以上にむづかしくはない
と考えたい。混乱が起こるのは用語が不注意に使用されたり、説明
や論議が感情に流れるからである。真相と書かれた言葉、歴史的事
実と宣伝家のつくりごとをはっきり識別すれば、武士道論はけっして
実りのないものでも、不可能なものでもない。
ところが、不幸なことに、ヨーロッパにおける日本学の創始者である
ホール・チェンバレン教授(一八五〇−一九三五)は、かれの注意
深い著作にはありえないような、軽率な記事を書いて、のちの研究者
たちを誤らせたように思われる。かれの著書『新しい宗教の発明』の
初版は一九二七(昭和二)年以降は『日本辞典』の付録になったが
(最後の版はかれの編ではない)、そこでかれはつぎのようにのべ
る。
「武士道は制度としても掟としてもいちども存在しなかった。武士道
に関する話は主として外国人向けのまったくのつくりごとだった。・・・
武士道という言葉は、一九〇〇年以前には、日本の辞書にも外国の
辞書にもでてこない・・・ケムプフェル、シーボルト、アーネスト・サトウ
などは、みなすばらしい日本通だったが、かれらのおびただしい著作
には、一度でさえ武士道に言及することはない。かれらが武士道に
ふれない理由はあれこれせんさくするまでもない。武士道は十年ほど
まえにはまだ知られていなかった」。
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