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【議論】武士道

40武士道の発見:2002/10/22(火) 03:09
日英同盟の結ばれていた間、武士道の称賛すべき面が西洋人の
心に深く印象づけられたようである。しかし、第一次世界大戦後、
日本が極東で覇権を確立しようとする意図があきらかになり始め
ると、「武士道」を口にすることに気おくれを感じるようになり、嘲笑
を買うこともまれではなくなった。新渡戸博士のサムライ日本の美
徳の説明は、夢物語としてすてられてしまった。にもかかわらず、か
れの武士道論は、日本国民のあらゆる才能と欲望を説明するものと
して存在した。以後、日本人の行動や発見のすべてー天皇崇拝、領
土拡張政策、神道、「大和魂」その他一切をふくむーに武士道のラベ
ルがはられた。そのなかには、新渡戸博士が激しく忌み嫌い、敢然と
して反対した事柄さえ存在していた。

新渡戸博士は熱心な平和主義者、不屈の自由主義者で、かれが、陸
軍将校の国粋主義者たちと争ったことは広く知られている。ある種の
日本の国粋主義的な著作物や団体が、新渡戸の武士道を多少利用
したのはたしかである。この事実はフランスの社会思想家で、ドレフュー
ズを弁護した、ジョルジュ・ソレル(一八四七−一九二二)の『暴力論』
の運命を連想させる。ソレルの『暴力論』は、かれのつもりでは、プロ
レタリアート解放には武力が不可欠という点であった。しかし、かれの、
『暴力論』は、結果的には、プロレタリアートの祖国ソビエト連邦の公然
の敵であった、イタリアやドイツにおいて利用された。新渡戸博士は、
超愛国主義者たちの大袈裟な主張にたいしては何ら責任はない。かれ
の唯一の欠点は、正確な定義と歴史的感覚を必要とする問題を、奔放
な熱狂的態度のままで扱ったことだった。


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