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持論を書くスレ
27
:
りおし
◆rios.NZyes
:2024/10/11(金) 03:39:20
まずね。判定と言うのは争う両者の相対的な差を比べなければならないの。そこに判定人の反論などあってはならない。判定人と比べるものじゃないんだからな。
ところが判定人は多くはレスバ上手が担うものだが、得てして意見に対して反論してしまうものだ。例えばAが「1日は24時間だ」と主張しBが「1日は24時間だがうるう秒がある。24時間1秒もある」と反論したとしよう。ここで「1日は24時間」は両者に争いがない事実となる。Bは例外があると言っているに過ぎない。しかし判定人はつい反論しようとして「それは地球での場合だ、別の星では24時間ではない。自分が反論出来たからAの主張はおかしい。共感出来ない」と、Aの負けにすることもあるわけだ。
これは完全におかしい。AとBの力量を比べるものではない。これでは主張した方が負けになってしまう。主張につい反論してしまった結果であるからだ。
だからであろうか。大会を見てみると積極的に主張する人が少ない。「お先にどうぞ」「いえいえそちらがお先に」というお見合いが始まる始末である。質問を繰り返し、いかに揚げ足が取れるか、いかに揚げ足が取れる話を相手に出させるか、の競技になってしまっている。落とし穴ばかり掘っている。これの何がレスバだろうか。喧嘩ですらない。
判定がバカだからこんなくっだらないレスバばかりになるのだろう。レスバ上手とは前に述べたが実のところ揚げ足上手なだけである。殴れないくせにバトルとは聞いて呆れるものだ。
受け身な姿勢は言い逃れにも通じるものがある。けだし普段から親や教師、上司に怒られる人がいかに""言い逃れをするか""を競うためにレスバをしているのではないだろうか。「こいつの言い訳上手だな!」「リアルで使えるな!」という研究のためにレスバをしているのである。オプチャにおいて受け身のやつが多いということは、元々社会的な弱者が多いということなのだろう。だからこそ言い訳上手が評価されるのだ。
弱者は強者に対し集団で対抗するのが世の常である。民主主義社会ならなおさらだ。理屈で勝てなくても集団で対抗することで勝つことが出来るのだ。しかしそれは論理とは対極の姿勢なのである。つまり彼らの言う「レスバは論理」は嘘なのだ。自分らの行為を正当化するために論理という言葉を都合よく使っているに他ならない。
某オプで「論理とは共感だ!」と声高に主張している者がいたが、こいつはレスバの中身を見ていないくせに判定し、しかも論理だとぬかしていた。見てないのに論理を判断することなど出来ない。ましてや共感も出来ない。つまり嘘をついている。
共感とは感じ方であり、思考停止な態度である。論理を考えずとも正当化出来る。いわば弱者の理屈に他ならない。共感という単語を何の疑問もなく妄信する人には、総じて弱者と指弾するべきであろう。
元来、喧嘩強者とは積極的に殴れる者のはずである。一方的に殴って反撃の余地を与えずストレートに勝つのが最上なのだ。将棋で言えばカウンター狙いの振り飛車ではなく、居飛車棒銀で一直線に詰ますようなものだ。しかし実際にはお互い攻めあぐね、千日手の様相を呈することもよく見かけるものだ。自ら攻められないやつの何が強者だろう。そんなやつの判定に一体何の意味があるのだろう。
せっかく研究したレスバスキルを発揮する場合など、遅刻やミスの言い訳ぐらいしか考えられない。しかしそれすらも「言い訳するな」で一蹴されるだろう。つまり社会的に無意味なスキルなのである。
揚げ足弱者はなんのためにレスバしてるんだろうね。やるだけ無駄だし意味ねーっつーの。やっぱ見下す事しかできねーや。お前らが社会に爪痕を残す事なんてできねーよ。
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