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進化論と創造論の正否を論じる掲示板 -1-
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生物の進化を考える場合、大きく分けで進化論と創造論の二つに大別されます。
進化論にも色々な考え方があり、創造論にも様々なバリエーションがあります。
そのそれぞれに関して、その正否を幅広く論じていきたいと思います。
これまで同じしたらば掲示板の「シン進化論と創造論についての第1掲示板」で
同じハンドルネームで投稿してきたので、興味のある方はそちらを参照してください。
知識の有無は問わず、進化論と創造論に関して興味があり、フラットな視点でその正否の議論を展開したい方の参加を希望します。
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それでも尚科学がどーの、宗教がド〜のとデタラメを語り続けます。
ホントに馬鹿なんですね。
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発達障害と凝り固まった宗教脳が混然一体となって最悪なものとなっています。
それで科学だ宗教だと呻くんですね。
とても気持ちが悪いです。
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どーゆー錯覚をすればそーなるのか分かりませんが、自分はいいつもりでいるんですね。
この異常性は怖いです。
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この世界の成立のために設計が必要であることは自明です。
改めて説明するまでもありません。
要はそれを受け容れるか受け容れたくないか、と言う話です。
頑迷は物質主義者たちは徹底抗戦しますね。
嘘を貫くクズの大好物のテーマです。
カソリックでありながら唯物論者を自称するデタラメ振り。
事実と虚構の区別すら付けられません。
その凝り固まった宗教脳は宗教の最も基本的な方法論さえ理解しません。
信じる事の意味が分かっていなんですね。
それが発達障害を抱える低知能の産物です。
未だに嘘を吐きづづけますね。
バチカンを擁護するそれがバレないと思う低知能です。
嘘を重ねて宗教脳唯物論を吹きまくります。
バチカンも顔色なしですか笑
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自らの信仰を隠して何が楽しいんですかね。
それでいながら宗教丸出しの発言の連続。
そのマヌケな自分の姿にすら気付かない理由が驚くべき低知能にあるのは言うまでもありませんが、それで何かいいことがるとでも思いこんでるんですね。
この異常ぶりは奇怪です。
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この発達障害は病気です。
本当に知能が足りないんですね。
自分の嘘がバレていることさえ理解できません。
言う事が全てデタラメなのはこの低知能であれば当然ですが、異常な思い込みによる無自覚は本当に常軌を逸しています。
日常生活も当然デタラメ、一人では満足に遅れません。
ひたすら信仰を隠しながらデタラメな宗教脳を披瀝し続けます。
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サポートなしでは送れない生活の中で荒らし行為が唯一のこの屑の存在証明です。
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他に出来ることが何もないんですね。
教会でデタラメな祈りをささげる以外に。
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科学の意味が分からないのは当然ですが、自分の信仰の意味すら理解していません。
妄想と現実の区別が付かないんですね。
痴呆状態です。
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それを平気で曝し続けます。
異常の極致ですが、それすら自分では分かりません。
醜態を晒すのが好きなんですね。
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そしてまた嘘を吐きます。
痴呆は同じことを何度でも繰り返します。
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バチカンの腐敗と同根、バチカンには悪いですが。
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バチカンはID論が宗教ではないことは理解していますが、この痴呆にはそれが分かりません。
まあカソリックの面汚し、キリスト教徒の名にも値しません。
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だから神って誰様にすがるんですね笑
とても気持ち悪いですね
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また馬鹿が知ったかぶりしてデタラメ書いてますね。
生き恥晒して恥ずかしくないんですかね。
何を言っても神様神様、カソリック馬鹿丸出しです。
言ってる内容全て嘘とデタラメ。
知能が低いんで何ひとつまともに理解できません。
言ってる事も支離滅裂。
それで自分でいいつもりでいるんです。
宗教の話になると思い切りのめりこんできますね。
カソリックの面汚しです。
それにも自分では気づけません。
本当の屑です。
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屑呼ばわりもこの異常な発達障害の虚言妄想カソリックにはご馳走なんですね。
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本当の異常者です。
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唯物論者と公言しておきながら、神様、人の思い、宗教信仰は存在証明、挙句科学は人の価値観、と来る。
よくこれだけ誰でもわかる様な矛盾だらけのあからさまな嘘とデタラメを並べますね。
バチカンの醜聞、論理破綻からは目を背け、ひたすらバチカン様のお言葉を礼賛する。
ダーウィンを盲目的に信じ込みながらその根拠を何一つ示せない。
ID論を人の妄想と決めつけ目の敵にしてそのロジックを全く理解しない。
ロジックの意味すら分からない。
科学、宗教、信仰、それぞれの方法論、これら全てを理解出来ず自分の妄想の世界だけで生きている。
この凝り固まった異常性は生来のもの。
終生治癒される事はありません。
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複数の人たちの目に触れるネット掲示板でよくもここまでデタラメが書けるな、と言う感じですね。
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一貫しているのは対立宗派であるプロテスタントに対する強い攻撃性です。
それも自分の妄想に駆られて出柄目なロジックで攻め立てるんですから、プロテスタントもいい迷惑でしょう。
ID論はその巻き添えを食っている感じです。
ID論を何一つ理解せずにただその宗派の一部が支持しているという理由で非難を止めない訳です。
それが発達障害で何事も理解しないのがやってるんですから話になりません。
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ダーウィンに対する盲信振りも以上です。
自分のカソリック信仰の元締であるバチカンが進化論容認の発言したことがそんな盲信を生んだのか、発達障害のその辺りの事情は全く不明です。
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盲信振りは異常ですね。
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唯物論者の仮面はID論を否定する時にだけ顔を出します。
実体が存在することを証明しろ、と言う訳ですね。
それが論理的帰結であることをどれだけ説明しても理解しようともしません。
執拗にその実体証明を迫ります。
そしてそれ以外の場面では言ってることは神様、宗教です。
科学の方法論に関する理解も極めて拙いです。
かろうじて理解しているのはフランクリンの雷実験だけですね。
この科学の黎明期の子供じみた実験が理解できるマックスです。
ダーウィンの自然選択論についても何一つ理解していません。
何の根拠もなく信じ込みます。
それでいながら科学だその方法論だと譫言の様につぶやき続けます。
人の主観的な価値観の介入を許さないのが科学であると言う基礎中の基礎すら理解出来出ません。
理解が完全に真逆なんですね。
その知能で知った風な事を書き続けます。
信仰と妄想が本人の中で混在し整理が付けられなのに妄想を吐き続ける異常な精神構造の持ち主です。
それは疾患であり生涯治癒される事はありません。
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一切自分を省みることが出来ないんですね。
これだけ指摘され暴かれてもソレを何一つ受け止められない。
挙句自分が質問する権利があると思い込むわけです。
この異様で奇怪な姿が自分では全く見えません。
そして同じことをいつまでも臆面もなく繰り返すんですね。
その障碍を背負い続けて生きる訳っです。
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それがIQ35の世界。
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執着振りも常軌を逸しています。
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得体が知れないですね。
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自分が嘘を吐き続けて来たことに対して一体どー思ってるんでしょうね。
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本当に得体が知れないです。
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神様、人の思い、宗教は存在証明、自分の信仰を書きまくってますね。
自分の対立宗派であるプロテスタントを敵視しまくり、その一部の支持するID論をヒタスラ排撃しようとします。
自ら信じるカソリックの元締めのバチカンの醜聞からは目を逸らし、折り合う筈のないバチカンの矛盾に満ちた主張を盲目的に礼賛します。
これだけ極めて分かり易いカソリックでありながら自ら唯物論者と名乗ります。
その嘘をいつまでも続けて偽り続けます。
そんなウソが誰に通用すると思うんですかね。
挙句科学は人の価値観、ですよ。
これまた子供でも分かる真逆の理解、こんなデタラメを繰り返して平然としています。
このレベルなんで、自然選択論もID論も何一つ理解できません。
それでも猶自分の嘘を認めることが出来ずに醜態を曝し続けます。
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自分の嘘がバレていないと思ってるんですね。
その判断自体が極めて低い知能の証です。
自らの誤りを糊塗するためにまた嘘を重ねます。
誰が見ても明らかなウソと矛盾とデタラメを繰り返して平然としています。
この異常神経は何処から来てるんですかね。
対立宗派であるプロテスタントの敵視も尋常ではありません。
今の時代これだけキリスト教宗派対立を前面に打ち出すひとはいないですよ。
対立宗派の一部が支持していると言う理由でID論を徹底的に排撃しようとしますが、カソリックでもID論を支持している人はたくさんいます。
浅薄な知識ではそんなことも知らないんですね。
ID論攻撃理由も「人の思い」一点張りで完全な思考停止状態。
他の事が全く頭に入ってきません。
その幼児的な思い込みで同じことを言い続けます。
嘘を暴かれデタラメと無理解を蔑まれる、これら全てが実は至上の悦びなんですね。
これ以上餌を与える必要はありません。
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宗教の母体は無知ですから、この世界の事象が全て解明されたら宗教の居場所は無くなります。
逆にまだ未解明の事象が存在する限り、宗教は存続し続けます。
もう一つの宗教を育む土壌は脆弱な理性です。
強靭な理性が存在すると宗教の居場所も制限されます。
ダーウィンの時代、現代に比べると遥かに無知が横行しました。
その中で誕生したのが自然選択論です。
さらにダーウィンと他の人たちの脆弱な理性は今なお自然選択論信仰を生き長らえさせます。
現在なお、未知の事象の方が遥かに多い状況の中で、宗教は依然として大きな存在として在り続けます。
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進化は基本的に再現不可能ですからそれはつまり検証不能という事です。
そこに付け込んでいるのが自然選択論ですね。
その数少ない観察事例とされる工業暗化もダーウィンフィンチも共に何の証明にもなっていません。
それでも猶自然選択論信仰が生き残っているのは、その再現検証が不能であるという事実に拠り所があります。
そこに逃げ込めるわけですね。
つまり口では何とでも言える世界です。
その口実により、ロジックの矛盾さえ封じ込みます。
勿論科学である訳もありません。
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現代科学の進歩は設計者の存在の傍証となります。
それが科学の進歩の過程で明らかにされます。
解明されていく事象は全てそれを示唆し続けます。
そこから敢えて目を逸らす、或いは何とか他の言い訳を探そうとする、それは徒労であり科学の進歩を迂回させるものです。
進化論はその極めて象徴的な事例です。
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科学史上、ダーウィンが無価値であることはいずれ歴史によって証明されるでしょう。
どころか有害無益、進化論を大きく迂回させています。
生物が進化する事は、ダーウィンより50年以上前にラマルクによって提唱されています。
さらにその主張は誤りも多いですが現在尚意味のある示唆を与えるものがあります。
それに対してダーウィンの貢献はゼロです。
その際立った勤勉さは主張の正当性を何ら担保しません。
またそのレトリック、イギリス人好みの持って回った言い回しもむしろ科学とは対極の存在です。
ダーウィン自身が科学と言う言葉を殆ど使ていないにもかかわらず、その主張を科学と称する元凶は1930年代に総合説を主張した集団遺伝学者たちです。
それはその後脆弱な理性によって引き継がれます。
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淘汰圧と言う言葉もかなり安易に使用されます。
自然選択と同じ意味です。
それが使われる前提は進化です。
しかし進化の為には変異と選択がセットであることが必要条件です。
多くの場合変異の観点がスッポリ抜け落ちていますね。
それでは進化は起こりません。
基本中の基本です。
こんな迂闊な思考が横行しています。
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更に致命的なのは変異が選択される過程の理解です。
殆どの人はそこまで想像が至りません。
どの様な過程を経る必要があるのか、それが全く考察できないんですね。
この想像力の決定的な欠如が自然選択論を生き長らえさせます。
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現代科学が明らかにしつつあるのは、普段当たり前のように考えられている事柄が実は極めて精巧なシステムによって初めて成り立っていると言う事実です。
そして更にそれらのシステムは単独では存在し得ず互いにこれもまた極めて周到な連携を持ち、その関係性の上に成立していると言う事実です。
これを人間原理で説明しようとする考え方がありますね。
ホーキングも人間原理の支持者です。
しかし人間原理は単に循環理論に過ぎない、と考えるべきです。
つまり結局何も説明し得ていないという事です。
結局何故人間が存在するかと言う問いには全く回答できません。
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一種の逃避理論ですね。
この生命が誕生する極めてゼロに近い確率を説明するためにマルチバース理論で宇宙が殆ど無数に存在する事にその根拠を求める事も行われていますが、これも同様と言えます。
設計者の存在から逃れようとするとこれ位しか説明の手立てがありません。
しかし一方設計者の存在を想定するとその先には限りない闇が存在しますね。
その闇に直面することは恐怖すら伴います。
でもその恐怖から逃げまくっていては、結局別の根拠の乏しい考え方に逃避するしかなくなります。
そこで問われるのは理性的な判断です。
脆弱な理性が通常ですから難しいですね。
どちらから逃げるか、どちらを避けるべきか、その判断と言う話です。
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科学者もいずれその問題に行き着くことになります。
それは一義的には解釈論ですが同時に方法論でもあり得ます。
科学の方法論の効率性の問題ですね。
これには極めて強靭な理性と判断力が要求されます。
相当強いプレッシャーにも曝されますが、理性がそれに耐えられるかどうか、ですね。
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前適応、適応放散、共進化、何れもよく目にする言葉ですが、これによって何が説明出来ているのかいないのか、極めて曖昧です。
適応とか進化の言葉が入っているのであたかも自然選択論で説明がついているかのような印象も与えますが、何れも自然選択論では全く説明が付きません。
説明出来ていないのに出来ているかのような印象を与える一種詐術的な言葉です。
進化論界隈では、このような言葉遣いがよくされますね。
言葉の定義すら曖昧です。
科学の世界ではありません。
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レトリック優先、これはダーウィンからの伝統です。
言葉では何とでも言える世界、そんなものが科学であるわけがありません。
ダーウィンの伝統は脈々と受け継がれている訳です。
事実でではなくてレトリックの世界。
検証を前提としない理論。
まさに宗教です。
しかし無知の産物であると言うより決定的な想像力の欠如、合理性の欠如です。
それで科学面をしているのだから始末が悪いですね。
若い地球論はよく疑似科学と称されますが、自然選択論こそその名に相応しいです。
疑似科学と科学の違いは正に自然選択論と実証科学の違いです。
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かつて断続平衡説や発表当時の中立説がダーウィニスト側からの厳しい批判に曝されたのは、宗教者が多宗派にの不寛容であるのとよく似ています。
宗教的な思い込みはいつの時代も異端と見做すものを排斥しようとします。
狭量で不寛容、それは科学ではなくて宗教的な態度です。
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ID論を宗教と決めつけるのも同様に極めて宗教的な態度です。
この場合は明らかに無知が母体であり、その狭量な思い込みは宗教そのもの。
理性の不存在も全く同様です。
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科学とは事実です。
宗教は言うまでもなく虚構です。
その理解が転倒しているのが一部のダーウィニストです。
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宗教は無検証を要求しますから、場合によってはその教義に反する事実を黙殺することを要求します。
つまりある事実に対しては盲目になる必要がある訳です。
それが宗教的態度です。
バチカンはそれを敢えて折り合わせようとしてピエロを演じます。
それを科学と称される世界に持ち込んで気付かないでいるのが進化論界隈です。
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若い地球説は疑似科学も何も科学の名を冠すること自体が誤りですが、自然選択論はまさに疑似科学の名に相応しいですね。
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ダーウィン自身が科学とその方法論についてしっかりと理解していた形跡は見当たりません。
その後のダーウィンの追随者たちもその不明をそのまま受け継いでいます。
同時代のパスツールはしっかりした科学的業績を上げているんですがね。
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「種の起源」が曲者ですね。
この大部の書に一体何が書かれているのか。
持って回った言い回し、絶えず自説に誘導しようとする理由付け、そして言い訳に終始します。
科学的な実証がゼロのみならず、実証の糸口を探そうともしません。
化石証拠が唯一の拠り所になる筈ですが、その不存在に対する言い訳が延々続きます。
どれだけ豊富な事例を引用して見せたところで、言ってることはこの繰り返しに過ぎません。
要はこの書のボリュームとそのレトリックに騙されるんですね。
何処をどうひっくり返してみたところで、これが科学的な証明を含んだ論述である部分はどこにもありません。
それを証明された科学、少なくとも科学的である、とする根拠が一体どこにあるのか。
全ての説明は「こう考えれば説明できる」でしかありません。
この書が聖典の如く崇められています。
そしてそれが現代の総合説の基礎となっている訳です。
これが進化論の現状ですよ。
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このダーウィンの思い付きの産物であり何ら科学的な証明の存在しない自然選択論を完全に排除しない限り、進化論は物語でしか有り得ません。
自然選択によって、淘汰圧によって、と言っている内は進化の真実から遠ざかるばかりです。
証明されていないもの、科学ではないものが科学の前提となる訳はありません。
それをしない限り、進化論の迷走は延々続きます。
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ダーウィンの言い訳と事実を素直に受け容れようとしないその姿勢は後の支持者たちにそのまま引き継がれます。
裁判にもなった鞭毛モーターの話にしても、勿論その説明はデタラメです。
説明出来なことムリクリで説明した風を装う訳ですね。
ダーウィニストたちの主張は全てその調子です。
それが科学と称される場で論じられるんですから、呆れ果てます。
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生命の誕生、進化、その殆どの理由が全く説明のつかないものです。
説明が付かないと言うのは、現代の科学的な知見の範囲内ではと言う意味です。
それは如何に現代科学のレベルがまだ未熟であり、同時にそれだけ生命のシステムが想像を絶するものでかあるという事を意味します。
最大のミッシングリンクと呼ばれる真核生物の誕生以上に謎なのは矢張り生命の誕生です。
常に問題になるのは様々な形質獲得の同時性ですが、更に想像を超えるのは矢張り遺伝情報の暗号性の成立です。
よくコドンアミノ酸対照表がその暗号性だと言う人がいますが、真の暗号性はそのコドンの配列にあります。
これは意図せざる結果としてもたらされる事は有り得ません。
そのアルゴリズムを生成する意図、つまり何らかの知性なしには存在し得ません。
アントニーフルーが主張する通りですね。
それぞれの部品の生成もそれ自体驚異ですが、それは自己組織化で説明が付きそうです。
その自己組織化にも当然与件が必要です。
しかしアルゴリズムの生成とそれが物質化してしまったと言う事実を一体どう説明すればいいのか、到底想像も及びそうもありません。
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これはあらゆる言い訳とレトリックを弄して自然選択の可能性を主張し続けるダーウィニストたちの息の根を止めるものです。
目の構造の獲得にしても化石証拠の不存在にしてもダーウィンは様々な言い訳を用意して自説を曲げようとしません。
その伝統は後々まで受け継がれ、人間では到底達成することのできない超高性能の生体ナノマシーンである鞭毛モーターまで自然選択で成立可能と主張します。
つまり言葉では何とでも言える世界です。
しかしこのような物理的な精妙さは言葉で誤魔化し切れてもさすがに極めて周到な目的性のあるアルゴリズムの生成を知性の介在なしに説明することは困難です。
これに対する言い訳はさすがに目にしたことがありません。
これはダーウィニストの息の根を止めるものです。
彼らにそれを理解するだけの知性があれば、の話ですが。
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この宇宙の生成が自己組織化の結果である、と考えるのは自然な事です。
しかしその自己組織化の与件が何であるのかは解明不能のようにも見えます。
インフレーション/ビッグバンモデルもあくまで仮説ですが、それなり真実らしくはあります。
量子モデルにしてもそうですが、開始時点の極小空間は中々想像しづらいですね。
つまり真実は想像の圏外にあるという事です。
今現実に眼前に繰り広げられている生物発生の過程すら、そのシステムが解明されているのはほんの一部です。
これだけ観察の対象がいくらでもあるのに、です。
ましてやそれとある意味相似形の進化の過程、宇宙生成にしても全く歯が立たないですね。
自然選択なんて絵空事を言っている場合ではありません。
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意味のない自然選択論に現を抜かしているのが進化論学会です。
スコラ哲学ではないんですよ。
事実による検証が皆無、一からやり直す必要があります。
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人間原理もマルチバースもある意味逃避理論です。
人間原理は循環論方であり、結局何も回答を与えてくれませんん。
マルチバースはひたすらゼロに近い確率に頼ります。
設計者に拠る以外この世界を説明し得る理論はそれ位しかありません。
その回答を迫るのが、現代科学です。
鈍い頭では何も分からないですね。
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相対論は人類の時間と空間の概念の大きなパラダイムシフトをもたらしましたが、近年その存在感を増しているのが量子論です。
量子論も人間のこれまでの常識を大きく覆します。
量子論にはその数式理論以外に解釈論と言うものが存在します。
それは未だに決着していまん。
圧倒的な実用性は相対論の比ではありません。
量子的世界は日常的な物質存在の意味を根底から覆します。
観測による波動関数の収縮もその意味するところは全く分かっていません。
生命体の中でも色々量子現象は確認されていますね。
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ホーキングの考え方にはあまり賛同できないですね。
彼は人間原理の信奉者です。
ブラックホールの蒸発により全ての情報が失われると言う主張もしています。
これは物理学における因果律の完全否定であるとして反論されます。
情報は依然として表面に投影されて保存されると言う主張がなされています。
因みにホーキングは無神論者です。
イギリス人に在りがちなタイプですね。
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無神論者は宗教は幻想であると主張する点においては正しいです。
宗教には何ら実体がないですからね。
そこから転向したのがアントニーフルーです。
彼は更に正しいですね。
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ここでまたゲノムの話に回帰しますね。
極めて明示的に知性の介在を指し示します。
これも鈍ければ分かりません。
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無神論者をも動かす、彼は完全な無神論者でしたからね。
ダーウィンも宗教を敵視しています。
一方で一部ID論者的な発言もしていますね。
生命誕生の話です。
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ドン・キホーテに擬えられたらドン・キホーテに失礼です。
かれにはまだ使命感がありましたからね。
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量子論も一種のアルゴリズムですが、量子論には因果律が存在しないと主張したのがアインシュタインです。
かれは生涯量子論的世界を認めようとしませんでした。
世紀の天才も敗れる場面があります。
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最近のYouTubeでも宇宙は人間都合がよすぎる説が良く取り上げられています。
これは現代科学が直面する問題です。
回答は上で述べてきた通り。
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本能に関しても実は何もわかっていません。
解明不能としても、ダーウィンの様に逃げ回る態度は感心しないですね。
自分の妄想である自然選択論を追い掛け回すことに終始して他の事を考える余裕がありません。
生命の誕生からも逃げまくっています。
最後は想像によって生命が吹き込まれた、と述べていますが。
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自然選択を空想するのは自由ですが、進化論にとっては有害無益、愚かな人達が引きづられ続けます。
愚かな人達には知能が低い人たちは言うに及ばず。そうではないとされる人たちも含まれるので話が厄介ですね。
世間では自明な事が自明と理解されないことがしばしばあります。
世間のレベルの問題ですかね。
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ゲノムの暗号性の話は難しいんですかね。
それが理解できているひとたちはどうやらかなり少数の様ですね。
これも極めて自明の話なんですが、矢張りレベルに差があると言う事ですかね。
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誰しも先ず自分を基準にして考えますから、自分では当たり前と思ってもそうではないことが良くあります。
よくレベル差には驚かされますね。
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以前のスレも含めて、同じテーマで10年以上書いていますが、常にレベル差には驚かされます。
今なお異常な執着を示す3人はその中でも最底辺に位置します。
この3人は本当に想像を絶するレベルですね。
10年以上にわたり異常な執着を示し続け、その間何一つ理解が進むことはありません。
知能が低いのがその様な結果をもたらすのか、精神的な疾患によるものなのか、判別がつきかねます。
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世の中にはこれだけ知能の低い人たちがいるんだという事を知る機会を得たと言う意味では、
勉強になっています。
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精神疾患と低知能が相俟って異常な執着を生んでいると言う事実は明白ですが、それがどう結びついて言うのかは良く分かりません。
特定の対象に対する異常な執着と低知能、精神疾患がどう結びつくのか、勿論当人たちにも分かる訳はありません。
あらゆる正常な判断が彼らには存在しませんからね。
そんな得体の知れないものには触れたくもありません。
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一つ可能性として考えられるのは、精神的な障害を持ち知能レベルが極めて低い彼らは本能的その対極にある存在を渇望する、と言うことです。
それが証拠には、彼らはその同類には全く関心を示さず、ヒタスラ彼らの対極であるこちらを目指して突っ込んできます。
そして強い依存性を示します。
つまり自らに決定的に欠落しているもの渇望し、それ保有する対象を本能的に嗅ぎ分け縋り付こうとするんですね。
それがどうしても止められないんですね。
極めて迷惑な話です。
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低知能は発達障害の属性ですが、彼らには更に精神疾患が絡んでいます。
勿論それが自覚できるだけの知性は彼らにはありません。
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低知能の世界はこちらの想像の遥かに及ばぬところです。
そして彼らは共通する同類の世界を認識するだけの知能も無いので、こちらにしか向かって来ることが出来ません。
渇望する対象ですね。
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彼らの低知能を極めて端的に示しているのはその強度の依存性です。
何を言っても全く相手にされない、今後もされる事はない、ただ蔑まれるだけ。
こんな明白な事実すら認識できない、コレです。
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それを日々証明し続けています。
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それにしても彼らの書く文章を読むと、そのあまりの知能の低さ、無知振り、思い込みの酷さに気分が悪くなります。
それを自分たちはいいつもりで書いてるんですから、本当に無知と低知能は怖いですね。
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彼らの書く事には真実の欠片もありません。
書いていること全て、嘘、無理解、デタラメ、思い込み、妄想に満ちています。
それを自分たちはいいつもりで書いてるんですね。
つまりそれが全く自覚も出来ないでいるんです。
低知能、精神疾患のなせる業です。
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精神的な障害を持ち知能レベルが極めて低い彼らは本能的その対極にある存在を渇望する、と言うことです。
それが証拠には、彼らはその同類には全く関心を示さず、ヒタスラ彼らの対極であるこちらを目指して突っ込んできます。
そして強い依存性を示します。
つまり自らに決定的に欠落しているもの渇望し、それ保有する対象を本能的に嗅ぎ分け縋り付こうとするんですね。
それがどうしても止められないんですね。
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本能に関しても実は何もわかっていません。
解明不能としても、ダーウィンの様に逃げ回る態度は感心しないですね。
自分の妄想である自然選択論を追い掛け回すことに終始して他の事を考える余裕がありません。
生命の誕生からも逃げまくっています。
最後は想像によって生命が吹き込まれた、と述べていますが。
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量子論も一種のアルゴリズムですが、量子論には因果律が存在しないと主張したのがアインシュタインです。
かれは生涯量子論的世界を認めようとしませんでした。
世紀の天才も敗れる場面があります。
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科学史上、ダーウィンが無価値であることはいずれ歴史によって証明されるでしょう。
どころか有害無益、進化論を大きく迂回させています。
生物が進化する事は、ダーウィンより50年以上前にラマルクによって提唱されています。
さらにその主張は誤りも多いですが現在尚意味のある示唆を与えるものがあります。
それに対してダーウィンの貢献はゼロです。
その際立った勤勉さは主張の正当性を何ら担保しません。
またそのレトリック、イギリス人好みの持って回った言い回しもむしろ科学とは対極の存在です。
ダーウィン自身が科学と言う言葉を殆ど使ていないにもかかわらず、その主張を科学と称する元凶は1930年代に総合説を主張した集団遺伝学者たちです。
それはその後脆弱な理性によって引き継がれます。
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生命は創造によって吹き込まれた。
これは唯一正しい考察です。
しかしその後その生命は自然選択によって進化した、
これは残念ながらダーウィンの単なる空想でしかなく、
その空想は想像力の欠如した追随者によって継承されます。
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現代科学が明らかにしつつあるのは、普段当たり前のように考えられている事柄が実は極めて精巧なシステムによって初めて成り立っていると言う事実です。
そして更にそれらのシステムは単独では存在し得ず互いにこれもまた極めて周到な連携を持ち、その関係性の上に成立していると言う事実です。
これを人間原理で説明しようとする考え方がありますね。
ホーキングも人間原理の支持者です。
しかし人間原理は単に循環理論に過ぎない、と考えるべきです。
つまり結局何も説明し得ていないという事です。
結局何故人間が存在するかと言う問いには全く回答できません。
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現代科学の進歩は設計者の存在の確固たる傍証となります。
それが科学の進歩の過程で明らかにされます。
解明されていく事象は全てそれを示唆し続けます。
そこから敢えて目を逸らす、或いは何とか他の言い訳を探そうとする、それは徒労であり科学の進歩を迂回させるものです。
進化論はその極めて象徴的な事例です。
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前適応、適応放散、共進化、何れもよく目にする言葉ですが、これによって何が説明出来ているのかいないのか、極めて曖昧です。
適応とか進化の言葉が入っているのであたかも自然選択論で説明がついているかのような印象も与えますが、何れも自然選択論では全く説明が付きません。
説明出来ていないのに出来ているかのような印象を与える一種詐術的な言葉です。
進化論界隈では、このような言葉遣いがよくされますね。
言葉の定義すら曖昧です。
科学の世界ではありません。
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設計者の実体が全く不明なので、それを検証しようがありません。
従って、ID論を従来の科学の範疇で規定することは出来ないわけです。
あくまで仮説、さらに言えば仮説以前の推論ですね。
しかしながら、その推論の根拠は全て科学的な知見に基づいています。
あらゆる科学的な事実を検証し、それ以外の結論が導けない、つまり設計者なしには
この宇宙も存在しえない、と言うのがその論理で、その結論の正しさを担保するのは
ロジックの正確さ厳密さ以外にはありません。
それを非科学的と非難するのが的外れであることは、言うまでもありません。
つまり、この世界はただあるがままに、何の作為も何の意図も介在せずに
全くの偶然の産物として存在しているのか。
それとも何かしらの意図、何者かの作為が介在することによって初めて
この世界が成立しているのか。
この何れかしかないのです。
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この世界の理解の方法はこの二つの選択肢以外にありません。
仮に介在するものがあるとすれば、それはビッグバンに遡ることになります。
一部に介入があるとすれば、それは全体に及ばざるを得ません。
多分この理解が少し難しいですね。
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確率の問題も明白です。
偶々でこの宇宙がビッグバンで誕生し生成される確率は限りなくゼロです。
物理法則とその物理定数は奇跡の値を示します。
さらに無機物からアミノ酸が生成され更にたった一つでもタンパク質が誕生する確率もスパコンを使ったあるシュミレーションでは現在の宇宙年齢の数百万倍の年月が必要です。
これは、偶々、偶然を完全に否定します。
それに対する逃避理論が人間原理でありマルチバース理論です。
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宇宙の全てを網羅し支配するこの膨大なアルゴリズムが偶々生成できたのか、
と言う話です。
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偶々、偶然という可能性が殆どゼロであると言う事実を回避する一つの理論は人間原理ですが、これは前にも書いた通り循環論法であり、結局の所何の答えにもなっていません。
パラレルワールド、マルチバース理論も確率問題はそもまま残されます。
つまり限りなく可能性がゼロであるその奇跡中の奇跡の世界に我々は住んでいる、と言う訳です。
確率の問題において、偶然性はほぼ完全に否定されます。
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偶然であることが否定されるとしたら、残される可能性はたった一つですね。
つまり偶然ではない。
偶然ではないなら一体どうなるのか。
何かしらの必然たらしめる要素が存在する、という事ですね。
その必然たらしめる要素に必要なのが知性であることは言うまでもありません。
これも理解出来ないでしょう。
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勿論底辺たちの話です。
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確率に関連して、生物の誕生進化の場面で顕著に示されるのが同時性の問題です。
いくつかの要素が同時に存在して成立する必要がある。
殊に生命誕生の際、それは極めて説明し難い謎として顕在化します。
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これも基本的に確率の問題ですが、それ以上に成立理由の問題でもあります。
何故その同時性が成立し得たのか、その理由の説明が付きません。
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もう一つ、生命誕生の普遍的な問題として卵が先か鶏が先か、ありますね。
これは設計云々以前にその成立理由、成立過程が謎です。
つまりその事実成立のメカニズム自体が全く不明という事です。
この問題は当面生物進化のほとんどすべての場面で未解決問題として提示されます。
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設計者を想定する場合、中間関与の問題が存在します。
もう一つが偶然性の支配の問題です。
その中でも極めて難問なのが偶然性支配の問題です。
これは今の所回答が見出せそうもありません。
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