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進化論と創造論の正否を論じる掲示板 -1-
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生物の進化を考える場合、大きく分けで進化論と創造論の二つに大別されます。
進化論にも色々な考え方があり、創造論にも様々なバリエーションがあります。
そのそれぞれに関して、その正否を幅広く論じていきたいと思います。
これまで同じしたらば掲示板の「シン進化論と創造論についての第1掲示板」で
同じハンドルネームで投稿してきたので、興味のある方はそちらを参照してください。
知識の有無は問わず、進化論と創造論に関して興味があり、フラットな視点でその正否の議論を展開したい方の参加を希望します。
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跳躍もデザインされている、と考えるなら、殆どの偶然性も支配している、つまりデザインの結果とも考えらます。
しかしある程度は偶然をも支配できるとしても、完全に偶然を支配できるのか、或いは動物の行動、人の自由意思にまでそれは及んでいるのか。
これはまた相当な難問です。
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この問題には常に悩まされます。
それは理神論的な全てが初期設定のみで可能かどうかの問題ともリンクします。
中間関与の問題ですね。
これまた中々の難問です。
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人間の意識に関しては更に困難な問題を提供します。
ダーウィンには到底理解できない世界です笑
ウォーレスはしっかり指摘していますね。
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本能からすら逃げているダーウィンが意識についてどう考えていたのかは全く不明ですが、
意識は生命の本質にかかわる問題です。
そもそもの生命誕生おける自律性の獲得は意識の原型です。
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そこに生命の核心があります。
そしてその核心が一体何なのか、これまた極めて解明困難な問題です。
現在意識と量子論の関係が論じられたりしていますが、それは物質世界との接合の話であり、意識の本質は遥かに深い闇の中と言わざるを得ません。
その認識主体が一体どこに存在するのか、今のところ全く不明です。
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それは当然デザインの一環として考えることになりますが、勿論解明の糸口すらまだ見つからない状態です。
ただ明らかなのは、それが物質的な偶然性からは生まれようもないという単純な事実です。
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デカルトの神の存在証明は稚拙であまり考慮に値しないものですが、彼の懐疑論はロジックとして極めて正しく、またその二元論も基本的に正しいものです。
その意味するところは物質主義の否定です。
なんとあのダーウィンも自ら唯物論者と称されることを極めて嫌悪しています。
最初創造によって生命を吹き込まれた、と言ってるくらいですからね。
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科学を名乗りながら科学に背を向ける総合説論者にはとても理解の範疇ではありません。
彼らは単なる信徒です。
その信仰の中で科学を論じます。
空想の世界で遊んでいるだけなんですね。
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因みに、最初創造によって生命を吹き込まれた、と言うのはなかなか良い表現です。
種の起源の中でこの結びの文章は評価できます。
残念ながらそれがその著書中で全く生かされていないのは何故なんでしょうね笑
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繰り返し述べてきましたが、総合説は科学以前です。
ところどころに科学の切れ端が散りばめられただけの疑似科学です。
まさに彼らが批判したいところのね。
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疑似科学の信徒は自然選択を譫言のように口にし続けます。
それが信徒の所以です。
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もしかしたら、ダーウィン自身も迷惑がっているかもしれません。
最初創造によって吹き込まれた、と言っているくらいですから。
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驚くべきことにあのドーキンスですら、ID的な創造神は認めると言う事をその著書の中で述べています。
彼は単なる宗教嫌い、それも徹底した宗教嫌いです。
彼の全ての動機はそこにあります。
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無知と宗教、このアンチテーゼの見事な妄想が現代の総合説です。
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総合説論者はその真っただ中で彷徨っているこに気付こうともしません。
理性の敗北を秘かに宣言していることにも。
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ダーウィンがひたすらターゲットにしているのはキリスト教的創造論ですから、その意味ではドーキンスと一脈通じているかもしれません。
ダーウィンの番犬と称されるドーキンスが主張したいのは、実は自然選択論なんかはどうでもよくて、唯々宗教否定だけなんですが。
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何れにしろ一番の惨状は、自然選択論を証明された科学と信じ込む愚かしさに気付かなない、或いは気付こうともしない、おもちゃの家界隈の住人とそれと取り巻く人たちの呆れた光景です。
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その惨状に気付いている人は決して多くはない様です。
それもまた惨状ですね。
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ダーウィンは常に悩みます。
自然選択論に対する不都合な事実に直面し続けるからです。
そして悩んだ結果などうなるか。
これもずっと述べてきましたね。
悩みに悩んだ挙句、揺るがぬ自説を守り抜く信念のもと、何とかして言い訳をひねり出します。
この態度は終始一貫して変わりません。
彼にとっては事実の証明があるかどうかは二の次です。
それが見つかれば勿論狂喜するんでしょうが、無くてもお構いなしです。
ひたすら自分の信じる道を突き進みます。
その道が誤っているかどうか、それには大して関心がありません。
彼にとってはいったん選んで歩みだした道を進み続けることが何より重要なんですね。
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目の進化に関しても、また例によってダーウィンは一度はそんな複雑で精密なシステムが自然選択論によっては到底出来そうもないと言っておきながら、またすぐその後で微細な変異が積み重なれば自然選択によってそれが成し遂げられると考えることは不可能ではない、と言って見せます。
全てがこの調子、そんなことを言い出せば自然選択で成し遂げられないことなど何一つ存在しないことになります。
そして相変わらずダーウィンは自然選択の具体的な過程についての説明を一切しようともせず、都度有利な形質が選択され続ければ可能であると言う説明しか行おうとしません。
この極めて不誠実な態度に何故これだけ多くの人たちが易々と乗せられて騙されるのか、まあ愚かなんでしょうね。
他に言い様がありません。
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驚くべき精巧な光学システムとデジタルシステムが統合されたこの目の機能がどの様な過程を経て誕生しるのか、それを説明出来る人など誰もいません。
自然選択の過程など少し想像力を巡らせば到底不可能であることなどすぐに理解できます。
それをダーウィンはあの持って回ったレトリックで不可能であるとする理由は無い、と言って見せます。
具体的にどのようにしてそれが可能たらしめられたのか、そんな説明は一切ありません。
呆れますね。
書く方も、それを読んで納得してしまう輩も。
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ダーウィン流のレトリック、確かにこれは説明困難な問題に見える、しかしこのように考えればそれは決して説明不可能であると断じることは妥当であるとは言えない、それが説明可能であるとすることの十分な理由存在しないとするのは妥当ではない、
こんな感じの言い回しで彼は自説を擁護し続けます。
この尤もらしく持って回ったレトリックに騙されるんですかね。
こちらにとってはそれは残念ながら騙す道具立てにはなりません。
とてもではありませんが、ダーウィンの態度は本来の科学者の取るべき態度とは真逆のものです。
それでも科学と呼びたいんですね。
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現代の進化論の主流とされる総合説は自然選択論がその基盤であり、そのダーウィンの唱えた自然選択論自体が基本にこの様に彼の空想に基づくものです。
正しかろう筈もありません。
環境に適応するように進化すると言うのは分かり易い概念です。
誰しも一度は動物たちの持っているそれぞれの形質が何の役に立っているのか考えてみたことはあるでしょう。
つまり生存のために何らかの役に立つのでその形質を持っている、と漠然と考える訳です。
しかしそれは漠然とした思い付きに過ぎません。
その漠然とした印象が自然選択論と類似している点も多くの人たちが自然選択論を抵抗なく受け入れてしまう理由でもあります。
当然ですが、その漠然とした印象は科学とは無関係です。
科学的な理論とその検証は通常の印象と全く異なることは逆に通常です。
相対性理論や量子論を挙げるまでもありません。
望遠鏡すらない時代、天動説は最も日常感覚に合致する理論です。
しかしこの科学が進歩した時代、その日常感覚と科学を混同して平然としている人たち、それも科学者を名乗っている人たちが少なからずいるんですね。
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単なる思い付きの妄想とそれに対する言い訳、それを正当化する為の博物誌的な偽装、それを科学と錯覚する、或いは錯覚させる、
この愚かしい人たちがアカデミズムの中心に陣取っています。
それは惨状であると同時に喜劇的な光景でもあります。
ピエロたちが道化を演じている訳ですからね。
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これは人類の恥です。
理性の敗北、つまり宗教そのものですね。
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彼らはおもちゃの家に向かってダーウィンの名前を唱え続けます。
礼拝は信徒の勤めですからね。
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礼拝の対象は妄想家です。
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その妄想家の言い訳すら、信徒にとっては礼拝の対象です。
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信仰の母体は無知ですから。
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科学信仰と言う自覚されざる信仰も勿論無知の産物です。
始末が悪いですね。
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良し悪しは別として、信仰も一種の病です。
信仰はマインドコントロールであり、理性を剥奪します。
特に知性の低い者程信仰によってがんじがらめになって身動きも取れない状況に陥りがちですね。
ダーウィン信仰も全く同様です。
他の事が考えられなくなります。
つまり病ですね。
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ダーウィンを崇拝していさえすればそれで事足りると言う貧弱な知性しか存在しない状態になります。
もともと知性が貧弱なのにね。
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バチカンなんかもその狭間で右往左往してますね。
彼らも矛盾の塊です。
残念ならがその整理が付けられるだけの知性は持ち合わせていません。
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最近神父の性的虐待が問題になったりしていますが、それも宗教の抱える矛盾を象徴しています。
勿論カソリックに限った話ではありません。
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つまり言ってる事とやってることが違う、言行不一致と言うやつですね。
宗教者には有りがちな話です。
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宗教は理性を曇らせます。
場合によっては理性を剥奪します。
特に知能の低い宗教者の場合にはその傾向が顕著です。
言行不一致はそれとはまた別の問題ですが。
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それが発達障害と融合すると全く救いようのない状態になります。
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進化論と宗教の関係も捩れまくっていますね。
これも基本的に無知によってもたらされますが、色々と混同が酷いです。
典型的なのはID論を宗教だと極め付ける、或いは宗教以外のものとして捉えられないと言う思考停止です。
これは前にも書きましたが、その理由はID論自体を全く理解できない、或いはそう極め付けないとどうしても都合の悪い何らかの事情がある、そのどちらかという事になります。
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それ以外でも、宗教者、非宗教者、科学者が入り乱れ、カオス的な混乱状態さえあります。
色々整理できない訳です。
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一つには物質的な説明がつかないものは科学ではない、と言う一方的な思い込みがありますね。
唯物論、或いは一種の科学至上主義です。
既存の知識、科学で説明できないもの存在を認めようとしないと言うかなり偏った科学主義もあります。
前にも書いた通り、科学に禁忌は存在しないし存在させたらそれは科学ではなくなります。
それが基本的な科学の姿勢です。
その基本が理解できていないんですね。
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人類が科学によって解明できているは巨大なピラミッドの頂点で顔を出しているほんの小さな四角錘に過ぎません。
その下に埋もれている巨大なピラミッドの全貌はまだ誰にも分かりません。
一部の科学至上主義者たちはそれがピラミッドの全てだと錯覚している訳です。
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宗教は基本的に虚構ですから、進化論と宗教の識別がつかないと言うのは事実と虚構の区別がつかいという事です。
虚構と言えば正に自然選択論ですが、その信奉者たちが宗教的とみなしたものを攻撃すると言う極めて皮肉な状況を生み出しています。
色々と自覚できないんですね。
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宗教は一種の病です。
それが低知能の発達障害と交わると悲惨なことになります。
飽きることなく醜悪な姿を晒し続けます。
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中世を暗黒で覆ったのは宗教です。
その暗黒に縋り付いて尚救われない重度の発達障害はさらに自然選択の妄想に救いを求めます。
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永遠に救われる事はないですね。
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そのデタラメぶりはキリストにも見放されます。
自業自得ですね。
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カソリック信仰とダーウィン信仰に二股かけるその姿は醜悪そのもの。
それに全く気付かない無自覚はその知能の低さ故ですね。
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唯物論的な物質主義と科学を混同している人たちが少なくありません。
これはこの世界の全てが物質的に説明可能だとういう思い込みから来ています。
デカルトの二元論が基本的に正しいです。
物質主義的な思考に陥っている多くの科学者はこれを否定します。
物質主義と科学が同一ではないことは言うまでもありません。
意識の存在に関して量子論的なアプローチも現在色々なされていますが、それはあくまで意識本体と物質的存在の接合部分の話でしかありません。
量子論或いは量子的な説明で意識の全てが説明される事はありません。
この政界の構成の全て、それは生物、生命体の意識を含みます。
意識の主体は脳内の出禁忌信号ではないのみならず、量子もつれや両氏の重ね合わせ、微小器官だけで説明できるものではありません。
この世界を理解するとはそういう事です。
人間の理解がどこまで進むのか、その限界が存在するのか、未知の存在を認識できないと逆に既知の事すら十分には理解できません。
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量子の重ね合わせですね。
それはその収縮も含めてあくまで物質の範疇における問題です。
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この世界の構成の全て、それは生物、生命体の意識を含みます。
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脳内のニューロンの電気信号は勿論単なる物資上の事象です。
視覚野で結像したデジタル情報が単なる物質的な事象であるのと同様です。
結像した画像を見ている主体は別に存在します。
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意識に関してただぼんやりとしか概念しか持ち合わせていない人が多いのには驚かされます。
デカルトの懐疑論の結末は自明のロジックなんですが、それも中々理解できない訳です。
自分の持っている意識について突き詰めて考えたことが無いんですね。
意識とは認識主体です。
人間であれば自分が自分と感じ、認識するものです。
それは物質では説明がつきません。
しかしそれは存在します。
それが現実であり事実です。
それは取りも直さずなんらかの非物質的な実在があるという事です。
それは物質的な説明に限界があることも意味します。
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ダーウィンは生物が意識を獲得する過程に関して全く興味を示していません。
意識に関して考察した形跡もありません。
本能ですら、その発生原因の解明からは逃避しています。
その点ラマルクは遥かに誠実です。
非物質的な存在をしっかり認識しています。
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ダーウィンは本能に関してわざわざ1章設けていますが、何ら本能の本質に踏み込もうともせず、単に生物の様々な本能の態様を書き連ねてそれ等が変異し得るのもだとひたすら述べるだけで、勿論ファーブルの指摘の回答になるウル説明など何一つありません。
ましてや本能と分かちがたく共存する意識、人間のみならず生物の自律性の核心である意識の獲得に関しては考察ゼロです。
ダーウィンの視野の狭さが如実に示されますね。
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生物の進化には極めて高く聳え立つ到底超えられそうもない壁がいくつも存在します。
そもそもの生物の誕生、真核生物の誕生、有性生殖、多細胞生物、それらカンブリア大爆発に至る過程だけ見ても到底説明可能と思われないイベントが数多く存在します。
生物の意識の獲得も更に説明の仕様がありません。
それらは全て現在の科学レベルでは説明不能です。
ダーウィンはほんの一部の事象だけ見ながら、微細な変異が蓄積すれば全ての事が可能だと言って見せます。
それが進化論の中心に位置する前提として何の疑いも持たない総合説をこれまた無検証に信じ込む、これを惨状と言わずに何と言えばいいのか。
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つまりダーウィンの進化の実相を全く理解しない単なる思い付きの妄想が亡霊どころか事実と信じられて祭り上げられます。
ダーウィンは進化を何一つ理解していません。
科学的な証明がゼロのみならず、構想の全てが誤りです。
博物誌的な出来事をいくら並べ連ねて見せても何の意味もありません。
構想も誤り、ロジックも誤り、宗教と唯物論は忌避するが自分の思い込みは何としても守る抜きたい、
色々矛盾に満ちていますね。
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そのダーウィンの名を唱えて跪く、思考停止の崇拝者とそれを取り巻く愚民たち。
勿論発達障害は論外です。
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信仰は病です。
科学信仰とダーウィン信仰が重複すると醜悪で悲惨な事態になります、」
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この現代においてなお、宗教は事実を歪め続けます。
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信仰を自認する宗教はそれでも居直ればいい話ですが、その自覚のない科学信仰、ダーウィン信仰は始末が悪く手に負えません。
終生それで過ごすしかありません。
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中世を暗黒で覆ったのは宗教です。
その暗黒に縋り付いて尚救われない重度の発達障害はさらに自然選択の妄想に救いを求めます。
そのデタラメぶりはキリストにも見放されます。
自業自得ですね。
カソリック信仰とダーウィン信仰に二股かけるその姿は醜悪そのもの。
それに全く気付かない無自覚はその知能の低さ故ですね。
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永遠に救われる事はないですね。
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宗教は一種の病です。
それが低知能の発達障害と交わると悲惨なことになります。
飽きることなく醜悪な姿を晒し続けます。
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発達障害の極めて顕著な特徴のひとつは壊れたレコーダーの如く同じ言葉を念仏の如く繰り返し呟き続ける事です。
それしかできないんですね。
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発達障害にとってダーウィンとキリストは同じなんですね。
つまり痴呆です。
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常に信仰と妄想が混在して無知をひたすら曝け出します。
醜悪なその姿が自分では全く見えません。
痴呆ですからね。
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知能が低いから知識もデタラメ、理解もデタラメ、言うまでもありません。
痴呆ですからね。
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カソリック教会で礼拝しながらダーウィンの妄想に耽ります。
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キリストにも見放されます。
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それでも尚譫言の様に同じ思考停止の繰り返しのデタラメと妄想を吐き続けるのを止めようともしません。
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痴呆ですから。
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極度の発達障害。精神疾患です。
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このスレでは勿論規制されます。
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そういった「荒らし」を排除するために建てた掲示板ですから。
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カソリックでありながら嘘を吐いて誤魔化す。
それでいながらダーウィン信仰で身動きが取れずのたうち回る。
尚且つ何事も理解できない低知能。
同じと事を呪文のように繰り返すしか能がない。
それらを無理やり押し付けてスレをヒタスラ毀損する。
そんな底辺はこのスレでは排除されて書込みは勿論できません。
金輪際ね。
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何より際立つのは何事も理解できない低知能と自分の信仰のひた隠し。
そして嘘とデタラメと独りよがりの「荒らし行為」
本当に救われないですね。
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殆ど嘘しか吐きませんから。
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キリストにも見放されて当然ですね。
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そしてまた必ず同じ嘘を吐きます。
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その繰り返しです。
サル以下ですね。
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だからまた同じことを繰り返します。
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それしかできないんですね。
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自分の捉われた独りよがりの思い込みの妄想を繰り替えしぶつけ続けてスレの毀損を図ります。
勿論悪あがきです。
何の意味もありません。
キリストにも見放されるだけです。
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その判断も自分では付けられません。
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これは完全に「異常」に分類されます。
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思考回路が壊れているので論理的な思考が全く出来ず、何があっても3つほど同じフレーズを飽きることなく繰り返します。
結局それしか言えません。
脳死状態ですね。
そもそもがキリスト教信仰と唯物論ダーウィン進化論信仰の二股かけてデタラメ言いまくっている訳ですから収拾がつきません。
挙句スレ毀損の荒らし行為に逃げ込むしか他に道がなくなるわけです。
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何かにつけては神様神様と口走りながらも自らのカソリック信仰を必死になって隠そうとします。
まさに頭隠して尻隠さず、その滑稽な姿にも自分では気付きません。
その一方で根拠のないダーウィン信仰にのめりこみます。
ダーウィンも自然選択論も共に理解できないのに盲目的に信奉する、まさに無知が母体となった信仰です。
終始一貫、全てが矛盾とデタラメに満ち溢れています。
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何故矛盾だらけのこんなものが存在しているのか、本当に理解に苦しみます。
何れにしても、他に何もできないんですね。
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ID論は言うに及ばず、ダーウィンも自然選択論も何一つ正確に理解出来ていません。
つまり母体が無知です。
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それが妄想と信仰を生み、ひたすら意味のない荒らし行為に駆り立てます。
つまり盲目ですね。
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自分のキリスト信仰、科学信仰、唯物論信仰、ダーウィン信仰、これらが全て未消化のままカオス状態で混在しています。
だから全てが支離滅裂で整合性が全く取れない状態の中でひたすら同じことを譫言の様に言い続けます。
それがスレを毀損する事だけが目的の「荒らし」行為として顕現します。
出来ることはそれだけです。
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思考回路が壊れているので、自分の中の凝り固まった思考パターン以外のものを一切受け入れることが出来ません。
その結果、何度でも飽きることなく壊れたレコーダーの様に同じ言葉を繰り返します。
それを自分でも制御することが出来ません。
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全ての見境が付かないんですね。
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事実と空想、妄想の区別が付きません。
自身のキリスト信仰と唯物論信仰の区別が付かないんですね。
キリスト信仰もデタラメ、唯物論信仰もデタラメという事です。
ダーウィン信仰は言うに及ばず、ですね。
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依存性と執着が異常に強いです。
自立できない典型的な発達障害です。
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自分自身が相矛盾する二つの信仰の虜となっているので事実と信仰の判別が付きません。
そして信仰の対象が全く理解出来ずに盲目的に信奉しているだけなので、常に話はデタラメです。
何でそんなものが存在しているんでしょうね。
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ここで再度自然選択論が如何に有り得ないか、改めて検証しましょう。
環境により適応した形質が集団内に広まることによって進化する、これがザックリ言った自然選択論ですね。
これだけだととても簡明で、如何にもあり得そうです。
それが多くの人たちが簡単に騙される理由でもあります。
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ではどこに落とし穴があるのか。
決定的に欠けているのは具体的な事例に即した検証です。
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そしてそれは「進化」を説明する必要があります。
では実際に進化を説明し得た実例があるのか、皆無です。
全てが多分そうなるだろう、と言うダーウィンの常用する説明に終始します。
工業暗化にしてもダーウィンフィンチにしてもそれ自体が実際の進化かと問われれば誰も明確には答えられない筈です
それは環境に応じた「変異」に過ぎません。
そして仮にそれが進化の一場面だとしても、自然選択の各ステップが全く実証出来ていません。
それが数少ない自然選択の実証例だと主張されるんですね。
頭の弱さの証明でしかありません。
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多くの人たちが、そんな事実による証明皆無の空想が科学的に証明された理論であるかのような誤解をして進化を語ります。
何処まで頭が弱いんですかね。
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