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進化論と創造論の正否を論じる掲示板 -1-
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生物の進化を考える場合、大きく分けで進化論と創造論の二つに大別されます。
進化論にも色々な考え方があり、創造論にも様々なバリエーションがあります。
そのそれぞれに関して、その正否を幅広く論じていきたいと思います。
これまで同じしたらば掲示板の「シン進化論と創造論についての第1掲示板」で
同じハンドルネームで投稿してきたので、興味のある方はそちらを参照してください。
知識の有無は問わず、進化論と創造論に関して興味があり、フラットな視点でその正否の議論を展開したい方の参加を希望します。
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最初に私の立場を明らかにしておきたいと思います。
私は創造論、その中でもID論と呼ばれる考え方を支持しています。
これは宗教的な人格神ではなくて、インテリジェントデザイナーと呼ばれる
存在が生物を設計した、とする考え方です。
宗教者ではないので、宗教的な背景はありません。
一方進化論に関しては、ダーウィンの述べている様な自然選択論による進化は起こりえない、と考えています。
その様な考え方をベースにこちらは議論を展開するので、賛同する方、反対する方、それぞれの投稿をお待ちします。
進化論、創造論も含めて、幅広い議論を展開できればと考えているので、ご参加よろしくお願いします。
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このスレでは進化論創造論論争を決着させます。
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では、そろそろ本題に。
現在自然選択論が厳密に検証された科学だと明確に主張している研究者など誰一人いない。
やってることは精々何とか自然選択の痕跡を見出いそうと血眼になっていること位。
自然選択の観察例とされているのはごく限られた事例で、勿論それらに対しては反論もあり
科学的な証明を厳密に考えればとてもそれに該当する代物ではない。
ソレにも拘らず、自然選択論が現在もまだ通説のごとく扱われているのは、
実に驚くべきことだ。
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自然選択論を提唱したダーウィンの話と少し専門的になりますがゲノム(DNA)の話を少ししていきます。
著書「種の起源」でよく出て来るダーウィンの口癖、
「しかしこのように考えれば説明できる」
は勿論科学でも何でもない。
ダーウィンの論証は全てこの調子。
イクラ豊富な事例を持ち出してみたところで、これでは実証にも何にもなっていない。
教科書にも載っている工業暗化、或いはダーウィンフィンチ、その他大腸菌の変異、タスマニアデビル等、自然選択の結果の実例として引き合いに出されるものはこれ位しかない。
そしてこれらは全て全てゲノムの環境応答性でも説明できる。
自然選択の結果として精密に検証しようとすると矛盾点が噴出する。
逆にゲノムの応答性と考えれば、それ以上攻めようがない。
唯一の弱点はそのゲノムのメカニズムがまだ解明されていないことだが、それは現状の科学の進展状況を鑑みればやむを得ない事と言える。
いずれ発見されるだろう。
まだ発見されていないからと言って存在しないと断定するのが誤りなのは言うまでもない。
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ゲノム、つまりたった4種類の塩基が対になって2重螺旋で延々つらなることによって構成されている
DNAの遺伝情報によって、すべての生物の形態と生命活動は規定されています。
従って生物の進化もこのゲノムの進化つまりゲノムの変異そのものです。
人のゲノムの全てが読み取られたからと言って、その意味が解明されたことにはなりません。
ゲノムの塩基配列の意味は、むしろ大部分が未知であり未解明です。
その塩基配列の変異が何故もたらされたのか、それを明らかにするのが進化を理由を解明すると言う事です。
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ゲノムの話をもう少し続けます。
生物はゲノム、つまり4種類の塩基が対になって連なる暗号情報によって
完全に設計されています。
それは一卵性双生児を見ればよくわかりますね。
指紋であるとか、ほくろの位置とかの違いがるにせよ、外見上区別がつかないほどよく似ています。
ゲノムの主要な任務はタンパク質の製造です。
これがゲノムの中で遺伝子と呼ばれる部分の役割です。
ヒトで言えばゲノム全体の2%程度とされています。
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ゲノムの話をもう少し続けます。
あらゆる生物はゲノムによって精密に設計されています。
一卵性双生児を見ればよく分かりますね。
ゲノム、つまりDNA情報が全く同じであればそっくりな人が生まれます。
それは人の場合約30億の4種類の塩基対によって決定されます。
ツマリ生物の基本情報は全てゲノムの塩基配列によって決定される訳です。
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ゲノムのタンパク質製造過程はセントラルドグマと呼ばれます。
DNAの塩基配列がRNAに転写され、それが翻訳されてアミノ酸からタンパク質が生まれます。
アミノ酸は塩基3つが一組となったコドンによって生成されます。
生成されるアミノ酸の種類は20種類。
そのアミノ酸が連なってタンパク質が誕生します。
そのRNAからタンパク質への翻訳作業を行うのがリボゾームです。
リボゾームもタンパク質で構成されている、それ自身が巨大な分子機械です。
そのすべての過程は極めて複雑で精密にコントロールされており、その全ての設計を行っているのがゲノムです。
そのゲノムはたった4種類の塩基が連なることによってコーディングされた巨大なプログラムです。
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引き続きゲノムの話です。
ゲノム、つまりDNAの塩基配列は生命の根幹にある訳です。
生命体を誕生させるためにはゲノムの存在が必要条件、ゲノムなくしては生命体は存在しえない、
と言う話になる訳です。
このゲノムの極めて精密で周到なシステムが偶然誕生しえたのか、
これが進化論を考える上でもその根幹に置くべきテーマです。
ダーウィンの時代は想像もしえなかったこのシステム、それがダーウィンの提唱した
自然選択説で説明可能、と未だに多くの人たちが疑いもなく考えています。
もっとも原始的な単細胞生物が何故誕生したのか、これは未だに全く解明されていない
謎です。
その原初の生命体が人にまで進化したその過程は、複雑化と多様化です。
その複雑化と多様化が何故成し遂げられたか。
自然選択論者は当然その自然選択論によってその過程を説明しようとしますね。
自然選択論は、簡単に言えばより生存に適したものがより多く生き残ることによって、
進化がもたらされる、と言う考え方です。
ツマリ生存に有利なものが生き残り、より生存に有利な形態になる。
では、複雑化と多様化は本当に生存に有利であったのか。
単にその個体数を増やすためだけであれば、複雑化は全く必要がありません。
多様化も、その環境に応じた多様性があれば十分で、現在の様に数百万種に及ぶ種を
誕生させる必要はありません。
コレは極めて自明の事柄なんですが、何故か自然選択論者はそれを無視します。
不都合な事実にはすべて目をつむる、若しくは何とか言い訳をこじつける、残念ながら
それが自然選択論者の態度の真実です。
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現在、有性生殖が無性生殖に比べてそれ自体で決して有利ではない、基本的に
不利でしかない、というは多くの研究者の認めるところです。
より単純な無性生殖の方が単に個体数を増やすだけであれば遥かにリスクが少なく
有利と言えます。
その生存に有利とは言えない有性生殖が何故誕生したのか、その理由に多くの研究者は
頭を悩ませています。
悩む、という事はつまり自然選択論が念頭にあるからなんですね。
自然選択論的に説明のしようがない。
そこまで自然選択論を意識していなくても、その根底にはやはり生存に有利なものが生き残って進化するという
自然選択論が暗黙の了解事故になっています。
それが実は進化の考察の科学性を大きく損なっているのです。
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暗黙の了解事項ですね。
それは、創造論から完全に離脱した結果、と見ることもできます。
多くの人たちが創造論イコール宗教と言う固定観念に囚われています。
この思い込みが私の与するID論の理解を大きく妨げています。
創造論を宗教的な文脈だけで捉えようとする態度はむしろ中世的です。
それを未だに創造論を宗教としか考えない人たちが多いのは驚くべきですね。
ID論はそれ自体宗教的な人格神を想定していません。
それはID論を主張する人たちが宗教者であるかどうかとは全く別の問題です。
それを混同している人が少なくありません。
ID論を主張する人たちに宗教的な背景が多いことは事実です。
しかしその主張自体は非宗教です。
例えば長らく有名な無神論者で晩年それを否定してID論を提唱したアントニー・フルーには
宗教的な背景は一切ありません。
ID論を宗教と決めつけてしまう理由は一つはID論の理解が不十分の為であり、
もう一つは自説を守りたいからです。
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自然選択論は基本的に偶然性に依存しています。
「偶々環境に適した生存に有利なものが生き残って進化した」
と言ってる訳で、そこに予めの目的性は全くありません。
つまり偶然が積み重なって人間も誕生した、と言っているわけです。
そう信じ込んでいる。
偶然が積み重なって人のような複雑極まりない生物がどうして出来上がるのか、
それを真剣に考えれば疑問をいだきそうですが、そうならない。
ツマリ信じ込んでいる、それこそ宗教的な態度といえるでしょう。
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ID論は創造論の中でも少なくとも建前上全く宗教色を持たない説です。
聖書に記された正に宗教的な創造論とは全く異質のものです。
宗教者がID論を支持しているいかどうかと、ID論が宗教かどうかは全く別の問題です。
それを何としても紐付けて論じようとするのは、偏った態度です。
その理由の一つはID論を宗教であるとして否定したいがためで、それが前提として
存在しているので判断を誤る結果になります。
実際アメリカのプロテスタントの一部聖書原理主義者はID論を支持していますが、
聖書の天地創造の記述と現実の相違を無視した若い地球説を唱える人たちで、
ID論自体の非宗教性とは相容れないものです。
一方のカソリックの総本山のバチカンは、ID論が非宗教的であるという理由で
ID論を警戒しています。
その限りにおいては、バチカンの判断が正しいと言えるでしょう。
このID論と宗教の混同は根が深く、中々解決されない問題です。
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インテリジェントデザイナーを神と呼ぶのは勝手ですが、教義もなければ人格がある訳でもない。
例えば人格神を信仰するキリスト教、或いはイスラム教徒と言った特定される何者かは決して想定していない訳です。
いDID論を宗教と呼ぶのは、殆どがそれを攻撃材料とするためのID論に反対する立場の人たち、もしくは理解が不足している人たちです。
ID論は前提ではなくて結論です。
つまり信仰は前提があってそれを無批判に信じ込むのに対して、ID論は事実に基づく考察の結果であるところの結論です。
つまりID論自体は宗教とは無関係に存在します。
宗教者が支持している、と言うのはもちろんそれが宗教であることにはなりません。
ID論を宗教として批判しようとしている人たちは、歴史的な背景にばかり着目してID論のロジックをしっかり理解しようと
していない訳です。
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創造論を代表するものの一つとして、旧約聖書にある天地創造の記述通りに
生命が神によって創られた、とする考え方があります。
そしてこの天地は約6千年前に創られたことにされています。
ID論のロジックの組み立ては、知的な設計者が存在しなければ、
現在のような生物たちが誕生するはずがない、と言う事実に基づく推論です。
推論であり再現性もないので、証明の仕様もありません。
しかし、あらゆる科学的な知見を総合的に検証した結果導かれた結論なので、
非科学的と言う批判は的外れです。
上述のような聖書に基づく創造論者がID論を支持するのは別に勝手ですが、
ダカラと言ってID論が宗教である事には勿論なりません。
あらゆる科学的知見は聖書的創造論に反しています。
一部の宗教者たちがID論を支持してるという事実は、ID論が宗教かどうかとは
全く別の事です。
それを多くの人たちが混同しています。
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ID論、つまりインテリジェントデザイナー論というのは、1980年代以降提唱された、
比較的新しい議論です。
それ以前の創造論は基本的に宗教に拠って立つものが殆どで、そういった従来の創造論から
宗教色を一切排したものがID論です。
提唱者に宗教的な背景を持つ人たちが多いのは事実で、その為科学を装ったIDを隠れ蓑にした
宗教だと言う指摘もよくなされます。
これな何度も言ってきたことですが、提唱者に宗教的な背景があろうがなかろうが、ID論自体は
宗教ではありません。
そこには協議もなければ人格神も存在しない。
神からの啓示も存在しません。
従って、ID論自体を宗教と決めつけるのは誤りなわけですが、ID論に対する未理解、
若しくは単にID論の攻撃材料にするためにID論を宗教と決めつけている人たちも
少なくありません。
ID論には宗教の前提である無検証の信仰が存在しません。
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そもそもこの問題は、この世界は何の作為もなく全くの偶然、偶々の産物なのか、
それとも何らかの作為、意図に基づいて設計されたものかなか、
と言う根本命題に由来します。
これは突き詰めれば宇宙誕生のビッグバンにまで遡ることになります。
この宇宙の誕生が全くの偶然なのか、そうではなかったのか、と言う話ですね。
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ツマリ簡単に言ってしまえば、この世界の設計者がいるのかいないのか、
と言う話です。
この場合、設計者が何者か、は特定できない、特定しない、特定しようがない、
と言う話になります。
設計者の実体が全く不明なので、それを検証しようがありません。
従って、ID論を従来の科学の範疇で規定することは出来ないわけです。
あくまで仮説、さらに言えば仮説以前の推論ですね。
しかしながら、その推論の根拠は全て科学的な知見に基づいています。
あらゆる科学的な事実を検証し、それ以外の結論が導けない、つまり設計者なしには
この宇宙も存在しえない、と言うのがその論理で、その結論の正しさを担保するのは
ロジックの正確さ厳密さ以外にはありません。
それを非科学的と非難するのが的外れであることは、言うまでもありません。
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ID論は全て科学的な知見に基づいているので、当然ですが原初の単細胞生物から
現在のような多様で複雑な生物に至る進化の過程を事実として承認します。
前述したように、ID論は科学として確立した学術分野では無いので、一言でID論者と言っても
その主張の内容は微妙に異なることもあります。
共通認識は、設計者がいなければ生物は生まれない、と言う部分ですね。
まずその部分を検証していきましょう。
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この世界は設計されているのか?
コレが根本問題ですね。
設計されていない、とすれば全てが偶然の産物、と言う話になります。
この宇宙世界がどのようにして成立したかを考える場合、偶々か或いは設計されているか、
実はこの二つしか選択肢はありません。
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つまり、この世界はただあるがままに、何の作為も何の意図も介在せずに
全くの偶然の産物として存在しているのか。
それとも何かしらの意図、何者かの作為が介在することによって初めて
この世界が成立しているのか。
この何れかしかないのです。
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更に単純化て言えば、偶然か偶然ではないのか?
偶然とは全くのほったらかし状態。
そんな事で果たしてこの世界が出来上がるのか?
仮に全くの偶然の結果であるとするなら、どのようにして、どのような仕組みによって
この宇宙が生成され、生物は誕生したのか?
生物の進化に対して最も簡明な回答を与えるのが、自然選択論です。
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自然が他の何者の介入もなしにそれ自体で成し遂げ得る、それを説明し得るのは
実際の所自然選択論位しかないんですね。
それが未だに多くの人たちが自然選択論にしがみ付いている理由でもあります。
ダーウィンはマルサスの人口論によって自然選択論を着想を得たわけですが、
マルサスの真意は宗教的道徳的人口の抑制であり、社会科学理論としても
現在有用性は全くありません。
自然選択論が実はそれ自体が極めて非現実的な構想であることの理由は他にも
山の様にありますが、そもそもその着想の時点から躓いていると言えます。
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